最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#25 第十話「助っ人」


 オズワルドが恐る恐る天窓から外に出る。

「私も外に出るので、またあとで」 「ちょ、ちょ――」

 まだ何か喚くオズワルド――ちゃんと声を抑えているので、気付かれることはないだろう――を無視して、私は流れる水の中に入った。

 水車を回すためだけの水路なので、中はかなり狭い。  子供の身体でなければ「ここを通ろう」なんて思いつきもしないだろう。  オズワルドが言っていたように汚い場所だが、ほんの十秒ほどの我慢だ。

「ぷは」

 水路を通って外に脱出した私は首を振って水気を振るう。  服はこの水路を通ることを想定し、ある程度水を弾く素材にしているのでそのうち乾くだろう。  春先とはいえ夜の外気は寒い。  身を震わせながら、私はオズワルドが降りているであろう壁を見やった。

「……オズワルド様?」

 そこには、壁に張り付いたままのオズワルドがいた。  なにやってんだあのバカ。

「オズワルド様、早く降りてきて下さい」 「……きない」 「はい?」 「高くて飛び降りられないんだよ」

 湿っぽい声を出しながら、オズワルド。  ……縄を用意した私の苦労を返してくれ。

「じゃあ一度戻って水路から出てください」 「できない」 「今はそんなことを言っている場合じゃないでしょう?」 「そうじゃなくて」

 オズワルドは壁に張り付いたまま振り向いた。  その顔は、情けなく涙に濡れていた。

「登れないんだ」 「……」

 このまま放って帰ってもいいだろうか。

 ▼

 そうしたいのはやまやまだが、もちろんそれはできない。  近くに手頃な足置き代わりになるものもない。

「オズワルド様、私が受け止めるので飛び降りてください」

 仕方なく、私は自分が踏み台になることを選んだ。

 やり直しの中で、私は何度も身体的に痛い目を見た経験がある。  血が出るだけでは済まない、死の経験だって何度もしてきた。  今さら子供の下敷きになるくらい、どうということはない。

「無理だ!」 「あなたの婚約者を信じてください。だいじょーぶですから」 「……わ、わかった」

 オズワルドは覚悟を決め、縄から手を離した。

「ッ!」

 私は自分の身体を緩衝材にして、落下の衝撃から彼を守った。  ゴツン、と後頭部を地面にぶつけてしまい、目の裏で火花が散る。

「お、お前!」

 さすがのオズワルドも私の献身に身を案じてくれたようだ。  すぐに飛び退き、安否を確かめる声を――。

「お前……くさい」 「は?」

 オズワルドは飛び退いたままの体制で鼻を塞ぎ、眉をひそめていた。  私の身体は水で濡れている。  その水は飲料用ではないので、当然のように生臭い。  それは分かっていた。

 分かっていたが……身を挺して受け止めた相手に、そんな文句を言うやつがいるか?

 先程まで女々しく泣いていた姿は消えており、いつもの態度だけ尊大な彼がいる。

「背中が濡れたじゃないか……くそ、お気に入りの服なのに!」 「……」

 殴りたい。  殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい――

「――不快にさせてしまって申し訳ありません。けれどオズワルド様が無事で良かったです」

 内で暴れる衝動をギリギリの理性で制御し、私は微笑みを返す。  ――この程度の理不尽、神々に比べれば全然マシだ。

 全然、全然マシだ……。

「当然だ。僕に何かあったらこの国の一大事だからな!」 「では、早く戻りましょう」

 既に捜索隊が出ており、私たちを探している。  一番近い隊に見つけてもらえるルートを辿れば、この誘拐劇は終わりだ。

 ……ただ、当初に想定していたような信頼の上昇は見て取れない。

 このルート選びは失敗だったのだろうか。  意味のないルートなら、わざわざイライラを押し込めて選ぶ必要もない。

「よし、案内しろ!」

 オズワルドは当然のように手を差し出してきた。

「……臭いからイヤなんじゃないんですか?」 「それとこれとは別だ!」 「はいはい、わかりました」

 効果あり……か?  少しだけ変化を感じた私は、もう少しだけ様子を見ることにした。

「おい、ガキどもがいねぇぞ!」

 水車小屋の中から野太い声がして、オズワルドの肩が、びくん! と跳ねた。

「――ッ!」 「探せ! ガキの足ではそこまで遠くには行ってねえはずだ!」 「にげますよ!」

 足がすくんでへたり込みそうになる彼の手を引っ張り、私はその場から駆け出した。

 ▼

 一人であれば、水車小屋から逃げた時点で勝利は確実なものになる。  相手は大人だが、所詮は流れ者。  城下町の地理を網羅している私が逃げられない道理などない。

 ――しかし、そこにもう一人加わると話は別だ。

「いたぞ!」 「待てこのガキ!」

 あっさり見つかった私たちは、ぐんぐんと距離を詰められる。  狭い路地を回って撒こうとするが、オズワルドの手を引いているためどうしてもテンポがズレてしまう。

「オズワルド様、もっと早く走って!」

 オズワルドは恐怖のせいか、いつも以上に息切れが早い。

「そんな……こといっても……これが、精一杯――あ!」

 とうとう足がもつれ、オズワルドはその場に転んでしまった。  手を繋いでいる私も引っ張られて転びそうになるが、なんとか踏み留まる。

「なにやってんだ! 早く――」

 急いで起き上がらせようとするが、誘拐犯たちが悠長に待ってくれるはずもなく。  私たちは追いつかれてしまった。

「へへ……どうやって縄を抜けたか知らねえが、次は絶対に逃げられねえよう簀巻きにしてやるぜ」 「ついでにちょっとお仕置きが必要ですね」 「だな。軽くシメとくか」

 撒くことを優先したせいで捜索隊からは逆に離れてしまっている。  大声で叫べば気付くだろうが、誘拐犯たちは逃げられないと悟ると必ず私たちを道連れにする。

「あぅあ……ぐず……」

 「臭い」と言っていた私の足にしがみつき、しゃくり上げ始めるオズワルド。  完全に――詰んだ。

 あと何度、これを繰り返せばいいのだろう。  大きなため息と共に、私は小さく呟いた。

「――戻れ」

 ▼ ▼ ▼

 その後、実に五回ものやり直しを行った。  逃げ出すまではすんなりと進むようになったが、どうしても追いつかれてしまう。

 脱出の際に音を立てなくても、いざ逃げようとした際に必ず気付かれる。  逃げる道順を変えても結果は同じ。遅いか早いか程度の違いしかない。  こうなったら仕方がない。

「最終手段を使うか」

 行き詰まった私は、魔法で誘拐犯たちを撃退することにした。

 優れた剣士の素質を持つ者は、一定の年齢に達するまで修行の量を厳しく制限されるという。  まだ出来上がっていない身体で強力な技を振るえば、負荷に耐えられず簡単に壊れてしまうからだ。

 魔法も同様だ。  例え素質や魔力があっても、成長しきっていない身体で使うと、身体を壊して使えなくなる可能性がある。

 私の魔法は便利ではあるが、お姉様を救うために必須という訳ではない。  一方オズワルドは絶対に必要だ。  どちらを優先するかは分かりきっていた。

「よし」

 覚悟を決め、私はもう一度同じルートを辿る。

 お姉様からオズワルドを奪い、お父様に嫌がらせを受け、家庭教師におねだりをして、オズワルドと一緒に勉強を開始し。

「あっ」

 そこで私は、ひとつミスをした。

 アレックスとの会話で出てくる選択肢に『はい』と応えてしまったのだ。  くそ、余計な時間を……。

「オズワルド様がよく隠れる場所とかごぞんじではありませんか?」 「ひょっとしたら裏の庭園に居るかもしれないよ。ただ、見つけるのは難しいかも」 「ありがとうございます。そちらを探してみますね」

 早めに話を切り上げ、私は続きのルートを辿った。

 オズワルドを見つけ出し、一緒に城下町へ繰り出す。  広場で小銭をぶちまけ、誘拐犯に連れ去られる。  水車小屋でオズワルドをなだめつつ脱出し、そして。

「おい、ガキ共がいねぇぞ!」 「――逃げますよ、オズワルド様」

 私は彼の手を引いて走った。  ただし、行く先はこれまでとは少し違っている。  逃げるふりをしながら、人気のない場所へと誘拐犯を誘導する。

 ▼

「へへ……追いついたぜ」

 袋小路に逃げ込んだ私たちは、あっさりと追いつかれた。

「自分から追い込まれるとは、貴族のガキは頭が悪いな」 「ビビってどこに逃げればいいのかも分からなくなったのか?」 「あぅあ……あああああ……ぐず」

 立ちはだかる誘拐犯。  足元に縋り付いて泣くオズワルド。  清々しいほど同じ光景に、私は思わず肩を震わせた。

「オズワルド様、だいじょーぶですよ」 「……え?」

 呆けるオズワルドに、にぱ、と微笑みを返す。

「私が守ってあげますから」

 誘拐犯たちに向き直り、彼らにも笑みを零す。

「あなたたち、何を勘違いしているんですか?」

 ただしそれは、オズワルドに向けたようなものではない。  獰猛で、見る者を射竦めさせるような――好戦的な笑みだ。

「追い詰められてるのは、あなたたちですよ」 「は? 何を言って――」

 私は掌を向け、魔力を込めた呪文ことばを発する。

「『精霊の友よ――』」

 瞬間、耐え難い頭痛が頭蓋骨の中で暴れ回った。  視界が眩み、動いてもいないモノが二重にぶれる。  魔法を使うことを、身体が拒絶しているのだ。  発動すればタダでは済まない――それを前以て教えてくれている。

 知るか。  その痛みを無視して、続きを詠唱する。

「『の者達を焦熱しょうねつの――』」

 不意に、視界が暗くなった。  魔法の反動ではない。

 誰かが袋小路の向こうから、壁を飛び越えてきたのだ。

「ぎゃあ!?」 「ぐぇ?!」

 そいつは剣で誘拐犯たちを斬りながら、音もなく着地した。  ふわり、とローブの端が遅れて地面に着く。

「二人とも無事か?」

 目深まで被ったローブを取ったその顔は――私たちがよく知る人物だった。

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