最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#40 第一話「嵐前」


 レイラ・イグマリート。

 王国を支える四大公爵家の長女で、将来は第二王子オズワルドとの婚姻を控えていた。

 責任感が強く、真面目で我慢強い。  両親の期待。婚約者の我儘。  未来の王族の一員として、公爵家の長女としての責任と重圧に耐える日々。

 どれだけ辛い日々であろうと、いつか報われる。  彼女はそう信じていた。  しかしそんな願いは、ある出来事をきっかけにあっさりと崩壊する。

 婚約者のオズワルドが、ある少女に夢中になる。

 彼が他の女性と親しげに話すのはいつものこと。  だからレイラも、はじめは特に気にしなかった。  しかし、徐々にそれがエスカレートしていく。

 何よりも少女を優先するオズワルドに、さすがのレイラも注意せざるを得なくなる。  しかしオズワルドは反省するどころか、逆にレイラを責めた。

「小言ばかりの婚約者なんていらないんだよ!」 「――っ!」

 オズワルドとの仲は決して良くはなかった。  それは表面上のものであり、心の奥底では確かな絆が結ばれていると思っていた。  それが事実ではなく単なる願望であることに、レイラはその時、気が付いた。

 少女をめぐる言い争いをきっかけに、二人の仲は急速に冷えていく。  やがて不仲説は雪だるまのように膨らんでいき、婚約が解消されるのでは、というところまで大きくなる。  そのことを知ったレイラの両親は、彼女を激しく責め立てた。

 婚約者と、父と母。  彼らのためにこれまで重圧に耐えてきた。  誰にも相談せず、誰にも文句を言わず。  泣くときはいつも一人で。

 皮肉にもレイラは、人生の大半を捧げた相手によって心を壊されることになる。

「こんなことになったのは――全部あいつのせいよ」

 壊れたレイラは、次第に少女を憎悪するようになる。  レイラはオズワルドのために、両親のためにと伸ばしてきた才覚のすべてを少女を害することに向けた。 

 それが裏目となり、レイラはオズワルドと少女によって罪を暴かれ、裁かれる。  この世のすべてを憎むかのような表情は、まさに物語に出てくる『悪役令嬢』そのものだ。

 レイラ亡き後、オズワルドと少女はささやかな婚姻を結び、いつまでも幸せに暮らした――。

 ▼

「その少女こそが、『ヒロイン』」

 灯りを消した部屋の中で、私ことソフィーナは呟いた。  暗闇に目が慣れて、わずかに周辺の輪郭だけが分かる程度の暗闇の中、右手を持ち上げる。  少しだけ爪が食い込んだ手のひらを――何度思い出しても胸糞の悪くなる物語だ――開く。

 脳裏に思い浮かべていたのは、神々の世界で見た、神々の言語で記されたお姉様の末路。  ヒロインがオズワルドを選べば、二人の恋路を邪魔する敵として。  ヒロインがオズワルドを選ばなければ、ヒロインのあずかり知らぬところで。

 ヒロインがどんな選択をしようとも、最終的にお姉様は死ぬ。  幸せな未来は絶対に訪れない。

 見たことのない衣装を着た全身真っ白な人型が、『そうなるように』運命を操作していた。  鼻歌を唄いながら。

「……」

 ギリ、と奥歯が軋む音がした。

 いま、私達が住まうこの世界には、上がある。

 空に大陸が浮かんでいる――とかではなく、概念としてがある。  そこに住んでいる人の形をした白いなにか。  彼らにあえて名前を付けるとすれば、神だ。

 彼らが指先を僅かに動かすだけで、私たちのいる下の世界のあらゆるものを自在に操作できる。  無から有を。  有から無を。  当然、人の運命を操作することだってできる。  一人の人間を必ず死ぬようにすることなど造作もない。

 神の視点から見ればこの世界はまさに箱庭、神々の玩具箱だ。  そこに生きている人間の生き死になんて、何ら頓着していない。

 まるで舞台演出の一つであるかのように、簡単に人の運命を歪め、捻り、壊す。  お姉様は悪い意味で神に魅入られてしまったのだ。

「……」

 関係ない。  お姉様の幸せを邪魔するものは、私が潰す。  それが例え神の寵愛を受けたヒロインだろうと。  この世界を統べる神そのものだろうと。

 私はそれらに、ことごとく反逆する。

 ▼

「それじゃあおねーさま、いってきます」 「ええ。勉強頑張ってね」

 お姉様に挨拶をしてから、私――ソフィーナは正門へと向かう。  門の前には馬車が停まっている。  そして馬車の扉の前では、一人の少年が偉そうにふんぞり返っていた。

「おはようございます、オズワルド様」 「うむ! 行くぞ!」 「はーい」

 少年ことオズワルドは私の手を掴み、馬車の中へと引っ張って行く。  ……エスコートもへったくれもない。

 勉強は随分とマシになっているが、こういったマナーはてんで駄目だ。

 オズワルドが単体で社交の場に出ることは基本的にない。  これまでのシナリオでは、必ずお目付け役としてお姉様がついていた。  一人で出すと碌なことにならない、ということを彼の父はきっちりと理解している。

 勉強がある程度モノになったら、今度はマナー講座もしなければ。  まだまだ、やることは山積みだ。

「今日は歴史の勉強だな! ソフィーナは暗記物が苦手だろうからこの僕が覚えやすい方法を教えてやる!」

 「私に勉強を教える」をモチベーションに、オズワルドは意欲的に勉強してくれている。  しかし時々嫌になり、中庭に逃げ出すことがある。  僅かでも勉強を遅らせまいとして、対抗策を編み出した。

 それが、これだ。

「ありがとうございます。やっぱりオズワルド様は頼りになりますね」 「当然だ!」

 私の膝に頭を乗せながら、オズワルドは偉そうに両腕を組む。

 そう。膝枕だ。  奇病からお姉様を救い出す過程で知ったのだが、彼は膝枕コレが好きならしい。  こうして定期的に膝を貸すようになってからは勉強から逃げ出すこともなくなった。  これまで「脅す」「色仕掛け」「人格の消去」などの方法を使ってきたが、まさかこんな簡単な方法で言うことを聞かせられるとは……。

 もっと早く知っていれば、以前のルートに戻ってやり直す方法もありだったかもしれない。  しかしもう、他のルートを選ぶつもりはない。

 オズワルドの婚約者だったお姉様と今のお姉様。  両者を見比べれば、どちらがより活き活きとしているかは明らかだ。

 それに、今のルートの方がお姉様とアレックスをより早くくっ付けることもできる。  多くの失敗を重ねてはいるものの、着実に前に進んでいるという実感はあった。

「そういえばオズワルド様。最近なにか変わったことはありませんでした?」 「またその質問か」

 はぁ、とオズワルドはため息を吐く。  その態度にこめかみを疼かせながら、私は辛抱強く彼の返答を待った。

「変わったこと、変わったこと……」 「些細なことでいいんですよ。最近かわいい女の子に言い寄られたとか、思わず目で追ってしまうほどの美少女に出会ったとか」

 私はヒロインの顔を知らない。  彼女が宣戦布告してきた以上、きっと『ヒーロー』の一人であるオズワルドを狙ってくるはず。  そう当たりをつけて警戒すること数か月。  馬車の中でこの質問をすることが恒例になっていた。

「……そういえば」 「あるんですか!?」

 ついにヒロインが尻尾を現したか、と食い気味に身を乗り出す。

「半年くらい前の話だが、庭師が交代していたぞ。白い眉毛で目が隠れた爺さんだ」 「……ソウデスカ」

 ズレにズレまくった回答に、私は肩を落とした。  最近って言ったのになんでそんな前の話が出てくるんだよ、というツッコミは心の奥にしまっておく。

 私とやり合うために手紙を出してきたはずのヒロインは、未だに何の動きも見せていない。  静かすぎて不気味だった。

 まるで何か大きな出来事が起こる嵐の前の静けさだ。

 嵐前。  その表現がぴったり当てはまるほどに苛烈な状況に追い込まれるとは、この時の私は予想もしていなかった。