次の日の朝。
「おはようございますソフィーナお嬢様」 「おはようございます、リズベラさん」
挨拶を交わしてから、リズベラは周辺をきょろきょろと伺い――小さく耳打ちしてきた。
「昨日のことは内緒ですからね」 「もちろんです。誰にも言いませんよ」
しつこく念押ししてくるリズベラに笑みを向け、人差し指を唇の前に立てる。
「リズベラ! 何をしているの、早く来なさい!」 「はい奥様! た、ただいま!」
リズベラの背中を見送りながら、私は考える。
前回のループ時、リズベラは浮気の件を調べに行き、死んだ。 しかし今回のループでは生きている。 となると、殺したのはあの女だろう。 父の可能性も考えられたが、そちらはおそらくない。 父は冷酷ではあるが、自ら手を下せるほどの勇気は持っていない。
リズベラの死への考察はそこそこに、今度は手紙について考える。
『三日後。いつもの場所で』
あの筆跡。見間違えたくても間違えられないほどに見慣れた父のものだ。 十中八九、浮気のお誘いだろう。
今から三日後―― 一日経ったので二日後か――、父とあの女が逢瀬をする。 その件が母にバレてしまい、暴走が早まってしまう。
今回のイベントの流れとしてはこんなところだろう。
「リズベラ! 何度言ったら分かるのです!」 「申し訳ございません!」
母の機嫌はすこぶる悪い。 機嫌が良ければリズベラから伝わる可能性もあったが、あの様子だとなさそうだ。
――ここまで分かればあとは簡単だ。
私が最適だと決めた日以外、父の浮気がバレることはあってはならない。 だから、今回は父の浮気がバレないようフォローに回る。
これでイベントはクリアできる。はずだ。
「おはようございます。お父様、お母様、お姉様」
挨拶をしながら食卓につく。 父はいつも通り。 母も(ある意味)いつも通り。 お姉様は機嫌の悪い母に困った顔をしている。
「ソニア。しばらく仕事が忙しくなる。二~三日、家を空けることになる」 「そうですか。分かりました」
居心地の悪い朝食がひと段落すると、父が母にそう告げた。 私にはそれが浮気相手と楽しむための方便だと分かるが、母はもちろん気付いていない。
「気を付けてくださいね」
母は父に対して何かを言うことはないし、機嫌が悪くてもそれを押し込めてちゃんと対応する。 それは、二人が仲睦まじい夫婦だから――ではない。
父はイグマリート家の隆盛を願い、それを元に行動している。 そして母は、父を利用して自分の価値を高めようとしている。
要するに「イグマリート家を繁栄に導いた当主を献身的に支えた伴侶」という称号が欲しいだけだ。 浮気に対して異常なほどの怒りを見せるのは、自分のプライドを傷つけられたからに他ならない。
娘を利用する父。 父を利用する母。 両親を駒として使う娘。 私たちは仮初の家族だ。
この家でまともなのは……お姉様だけ。
▼
「リズベラ、窓に吹き残しがあるじゃない! 何をしているの!」 「申し訳ございません! すぐにやり直します!」
父が家にいないときの母は基本的に機嫌が悪い。 悪いというか、偉そうだ。 まるで自分こそが当主であると言わんばかりだ。
「お母様、王宮に行って参ります」 「—―行ってらっしゃいソフィーナ。たくさん学んで、オズワルド殿下をしっかり支えるのですよ」 「もちろんです!」
お互いに感情のこもっていない言葉で、上っ面の会話を交わす。 言われるまでもなく、オズワルドはしっかりと管理して――。 ……そういえば、何かを忘れてる気がするな。
「あ」
オズワルドの誕生日プレゼント。 それを買うためと偽って休みを取ったのに、リズベラの尾行にいっぱいいっぱいですっかり忘れていた。 ……どうしよう。
「膝枕券でも発行するか」
それなら買いに行かなくても、家にあるノートの切れ端で作ることができる。 この時の私は、そんなことを呑気に考えていた。
▼
「……ん」
二日後の朝。 寝起きはそれほど悪くはなかったのだが、その日は酷かった。 寝る前に「今ごろ父はどこかでよろしくやっているだろうな」と考えていたせいかもしれない。
亀のような動きでベッドから這い出ると、階下から悲鳴が聞こえた。
「いやあああああああああああ!」 「!?」
悲鳴は母のものだった。 何が起きたのかと急いで部屋を出ると、同じタイミングでお姉様が廊下に出てきた。
「ソフィーナ。今の悲鳴」 「はい。お母様のものでした」
二人で玄関ホールに目を向けると、母の姿があった。 そしてその前には、憲兵が立ち尽くしている。
「嘘よ、そんなの嘘よ……!」
憲兵の前で、母が泣き崩れている。
「あの人が死んだなんて嘘よ!」 「……心中お察しします。しかし事実です」
沈痛な面持ちで、憲兵は再度告げた。
「昨夜未明、レブロン・イグマリート卿は何者かによって殺害されました」
――。
父が死んだ。 なぜ? どうして? 一瞬『不幸』が頭をよぎったが――父が昨夜、誰と会っていたかを思い出す。
浮気相手の女。 あいつと会ったから殺された? いや。そんなことをしても浮気相手にデメリットしかない。 たくさん買い込んでいた食料も、父の援助あってのもののはず。 父を殺せば、また極貧生活に逆戻りする。
――なら、帰り道に誰かに襲われた?
「ああああ……そんな、そんな――!」 「落ち着いてください奥様」 「落ち着いていられるはずがないでしょう!?」
犯人として真っ先に思い浮かんだのは母だが……あの反応を見る限り違う。 母は良くも悪くも感情的な人間だ。ああいった演技はできない。 もし犯人なら「やったのは私よ」と開き直っているはず。
なら、誰が犯人なんだ……? 隣でお姉様が膝から崩れ落ち、私は慌てて思考を中断した。
「お姉様!? しっかりしてください!」 「お父様。嘘。嘘。そんな……」
抱きしめると、お姉様は私の服の袖を強くつかんだ。 手が白くなるほどに強く、強く。
「一昨日、いつも通り行ってらっしゃいってお見送りしたのに。あれが最後なの……? どうして……?」
家族の死を受け入れるには、今のお姉様はあまりにも幼すぎる。 悲しみを乗り越えたように見えても心の中には傷が残り続け、いつかそれはお姉様の心を砕く起点となりえる。 どれだけクソ野郎でも、母はもちろん――父にも、生きていてもらわなければならないのだ。
「お姉様。大丈夫です」
震えるお姉様を優しく抱きしめ、私は誓った。
「私が全部、打ち破ってやります」 「ソフィーナ……?」
私は立ち上がり、お姉様に微笑みかける。
「—―戻れ」