最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#179 第二十六話「臆病者」


 『聖なる乙女と純白の騎士』でいがみ合う家同士に生まれたサナとセリーヌ。  仲良くすることはおろか、本音で話すこともできなかった。  けれど心の中ではシンパシーを感じ、友達になりたいと思っていた。

 ――そんな相手が、セラにもいる。

(しまった……つい……)

 勝手に動いた口を強めに塞ぎながら、私はセラから距離を取るように二歩、三歩と後ずさった。

「ノーラ、どういうこと……? どうしてあなたがレイラを知っているの」

 セラは眉をひそめている。  怒っているというよりは戸惑って……みたいな様子だ。

(お……落ち着け私)

 どくどくと跳ねる心臓をぎゅっと押さえる。  私がレイラの名前を知っていても、ぜんぜん不自然なことじゃない。  オズワルドの婚約者がソフィーナになった当時、レイラの名前はよく話題に上っていたし。

 動揺さえしなければ、やり過ごせる。

「……何年か前にオズワルド殿下婚約の件でお名前を聞いたことがありまして。それが記憶に残っていたんです」 「そうじゃなくて。どうして私とレイラの関係を知っているの」 「――ッ」

 重ねられた質問に、私は硬直した。  貴族と平民の接点は基本的にない。  公爵ともなればなおさらだ。

 レイラの名前を知っているだけならまだいい。  けれど私は『聖なる乙女と純白の騎士』のサナとセリーヌから、レイラを連想した。  フィンランディ家とイグマリート家、両方の事情と家庭環境を知っています、と言っているようなものだ。

「ノーラ。答えてちょうだい」

 ゆっくりと、セラが立ち上がる。

「どうして私にとっての『サナ』がレイラだと分かったの?」 「……」

 セラを納得させられるような言い訳をパッと思いつく。  物語の主人公ならそれくらいのことはできて当たり前かもしれない。  けれど私は主人公じゃない。

 新入社員だった頃、みんなの前でスピーチをしろと言われて頭が真っ白になった時のように、何も浮かんでこない。

「ノーラ。あなたは……」 「――なるほど。そういうことか」 「!?」

 私とセラしかいないはずのテラスに、三人目の声が割り込んだ。  ひやり、と背筋が寒くなるような男の人の声。  声の主は――テラスの向こう側から、ゆっくりと姿を現した。

 階段もはしごもない場所をしっかりと踏みしめながら。

「セヴェリウス……様」

 ▼

 セヴェリウスが歩くたび、足下に氷が形成され、それが足場になって彼の体重を支えている。  一階からここまで、そうやって登ってきたんだ。

 氷の魔法。  ひやりとした冷気を感じたのは、セヴェリウスが放つ冷たい視線だけじゃなかったみたい。

「お兄様。どうしてここに」 「なに。たまには可愛い妹と朝食でもどうかと探していたら、先客がいてな」 「……話を聞いていたんですか」 「聞かれて困るような話をしていたのか?」

 いきなり――しかもテラスの外側から――やってきたセヴェリウスは、話を盗み聞きしていたことに悪びれもしない。  セラは険しい顔をしながらも、それ以上の追求はしなかった。

「……さっきの『そういうこと』とはどういう意味ですか」 「そいつは貴族の密偵だ」 「!? ご、誤解です!」

 合ってるといえば合ってるんだけど……。  ほとんど接点のないセヴェリウスに断言されるような行動は取っていない。

「ではなぜレイラのことを知っていた」 「それは……」 「それだけじゃない。お前はセラの好みや趣味もあらかじめ把握しているように見受けられた」 「偶然です。偶然、私が以前読んでいた本が――」 「黙れ。魔法も使えない人間の言葉など信用に値しない」 

 セヴェリウスが私に手を伸ばす。

「『精霊に命ず。氷鎖ひょうさとなり罪人を我が膝元へ』」 「!?」

 呪文を唱えた瞬間、ひんやりとした空気が鎖の形を成しながら私の元へ押し寄せてくる。

「『精霊に命ず。炎壁となりて小さき者を守護せよ』!」

 私の前に炎の壁が現れる。  セラの魔法で守られたかに見えた――けれど。

 氷の鎖は、炎の壁をカンタンに突き破り、私に絡みついた。  ぐい――と、強い力でセヴェリウスの足下に引き寄せられる。

「あぐ!?」

 両手を縛られ、受け身も取れず顔から床にぶつかる。  じんじんした痛みに、目の前で星がちかちかと瞬いた。

「セラ。お前では私の魔法は防げんよ」

 頭の上に、何かがのしかかる。  見えはしないけれど、感触で分かる。  セヴェリウスの靴だ。

 私は今、頭を踏みつけられている。

「痛っ……!」

 ぐりぃ、と、セヴェリウスが私の後頭部の上でかかとを回した。  尊厳を踏みにじられているみたいで、勝手に涙が出てくる。

「ん? なんだこれは」

 腰に下げていた匂い袋を引きちぎられる。

「平民風情が贅沢なものを。色香で惑わせて取り入る算段だったのか? 誰だ? 父上か? それとも私か?」 「か、返して下さい!」

 セヴェリウスは匂い袋を床に落とし、魔法で氷の塊をぶつけた。  衝撃で中身が周囲に飛び散る。

「やめてくださいお兄様! いくらお兄様でもそれ以上の侮辱は許しませんよ!」 「やけにこの平民に肩入れしているな。そんなに嬉しかったのか? くだらない本の感想を共有できたことが」 「ぐ……っ」 「そんなことだからお前はリネアにすら劣るんだ。この臆病者め」

 ――フィンランディ家の正当な血筋なのに、覚悟が足りてないのよ。あいつは。  ――弱いってことっ

 リネアの言葉が、すっと頭をよぎった。

 セラに魔法の実力がない訳じゃない。  セヴェリウスの魔法は防げなかったけど、リネアの魔法は防げていた。  なのに覚悟が足りないと言われたり、臆病者と呼ばれたり。  魔法以外の何かが足りていない?

「くだらない物語に心血を注ぐ。平民に肩入れする。どうもお前はフィンランディ家としての自覚を欠いているように見える」 「……」 「そう睨むな。私は兄としてお前のことを心配しているんだよ、セラ」 「お兄様が心配しているのはフィンランディ家の将来だけでしょう?」 「冷たいことを言うなよ。私たちは血を分け合った兄妹じゃないか」

 ……氷の鎖が体に触れているところが冷たい。  氷水に手を入れたときみたいに、そこを中心に体中の体温が奪われていく。

 体が痛いのと、セヴェリウスが怖い以外の理由で体の震えが止まらない。

「ここで楽しそうに平民とおしゃべりしていたことを父上に報告したら、お前はどうなる?」 「……それ、は……」

 お父さんの話が出た途端、セラが怯えた表情に変わる。  セヴェリウスはあくまで優しい態度で、セラにささやく。

「叱責や折檻で済めばいいが、お前は二度目だ。着の身着のまま追放もありえる。しかしそれは私の望むことじゃない」 「……何がお望みなんですか」 「三年前の試練をやり直そう」

 私の後頭部を押さえつけていたセヴェリウスの足が、す――と退いた。  同時に、私を縛っていた氷の鎖が溶けていく。

「う……」

 ゆっくりと顔を起こした私を差し出すように、セヴェリウスが手を向けた。

「さあ、こいつを殺せ」

 ▼

 殺せ。

 前世ではアニメとかドラマとか、何かを隔ててでしか聞かない言葉を吐かれた。  冗談でもなんでもなく、本気で。

「フィンランディ家たるもの、強力な魔法を使いこなす素養は必須。それを証明するため、十になると人を一人、殺さなければならない」 「……」 「だがお前は逃げた。だから父上も母上もお前を認めない。もちろん私も、弟妹もな」

 セラは俯いたまま動かない。  かすかに震えている手は、セヴェリウスの魔法の余波で寒くなっているからだろうか。

平民こいつら貴族私たちによく似てはいるが、違う生き物だ。試練はそれを体に覚えさせるための儀式でもある。加えてこいつは密偵の可能性がある。何もためらうことはない」

 違う。  はじめから密偵とかはどうでもよくて。  多少強引でも、ことが目的なんだ。

「さあ。可愛い妹のため、逃げられないように弱らせておいたぞ」 「うっ!?」

 セラの前に押し出されるように、お腹を蹴られる。  縛られたところも、踏みつけられた頭も、痛くて、寒くて、満足に立ち上がることもできない。

「試練を乗り越えたとなれば父上や母上もお前のことを見直すだろう。冷遇されることだってなくなる」 「……」 「入学式にはガイウスを貸してやる。専属はそのあとゆっくり探せばいい」

 セヴェリウスはあくまで優しく語りかける。

「さあ。試練を乗り越えて、今度こそ本当の家族になろう」 「……」

 セラが、ゆっくりと……私に手を向ける。

「ひっ!」

 私は反射的に手で顔を覆った。  セラの魔法の威力は知っている。  彼女がその気になれば、フィンランディ家の試練は簡単にクリアできる。  私なんて、ものの一分で炭にされるだろう。

 ……けれど、いくら待っても魔法が放たれることはなかった。

 恐る恐る目を開くと、そこには。  崩れ落ちるように尻餅をつき、両手で顔を覆うセラの姿があった。

「できません……ッ」