約束の日になり、ノーラはイグマリート家へやってきた。
「ようこそイグマリート家へ。ソフィーナ様からお話は伺っておりますので、お通りください」 「ひっ」
前回のループでは怖い顔をしてノーラを捕まえていた門番が、今回はにこやかな顔で道を空けている。 ノーラは前のループの記憶を保持しているので、彼を怖いと思っているようだ。
このように、人と人との出会いはほんの少し状況が変わるだけで抱く印象が全く変わる。
「ど、どうも……」 「緊張なさっているのですか?」 「だだだ大丈夫です」
ノーラがビクビクする理由が分かるのは、前回を知る私だけ。 彼女と初対面の門番がノーラの震えを「公爵家に招待され緊張している」と誤解するのは当然と言えた。
……こうして俯瞰して見ると、なんだか面白い。
「行こう、ノーラ」 「う、うん」
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お姉様を救うための共同作戦会議は、外の東屋で行われることになった。
「ごめん、中に入れてあげられなくて」
本当なら応接室に通すはずだったが、平民のノーラに本館への入室許可は降りなかった。
ルートによって多少変化するものの、父はそこまで選民思想が強くない。 ノーラを招待することもすんなりとOKしてもらえた。 ただ、最低限は分別を弁えるように――と言われてしまい外でのお茶会しか許されなかった。
下町の女と浮気している奴が、よく分別なんて口にできたな――と、喉から出かかった言葉を呑み込みつつ、庭で一番景観が良い場所を借りた。
「全然いいよー。緑がいっぱいで素敵だし、ここなら誰にも話を聞かれなさそう」
東屋の周辺に遮蔽物はない。 子供二人の会話を盗み聞きしようなんて輩はいないだろうが……念には念を、だ。 離れの研究棟を貰える年齢になるまでは、この形式で作戦会議をすることになるだろう。
「あ、紅茶私が入れようか?」 「お客さんは座っててくれ」
前回はノーラのチーズケーキに仰天してしまったが、今度は私が驚かせる番だ。 かつては渋すぎる紅茶を出して母にカップを投げられたこともあったが、幾度となくループして練習を重ねたおかげで入れ方は完璧だ。
「さあ、どうぞ」 「ありがとー」
上品な仕草で紅茶を一口飲んだノーラは、ほう、と表情を綻ばせる。
「おいしい」
私がチーズケーキを食べた時くらいの反応を期待していたのだが、そうはならなかった。 ……まだまだ修行が足りないようだ。
「このカップかわいい~。ソーサーが葉っぱ柄で、カップが花柄の対になってるね。取っ手の上のところにはかわいい蝶々が止まってて、入れた紅茶が花から出る蜜を表現しているみたい」 「……よく分かったな」
デザインした者の意図を完璧に見抜いたノーラに驚きを隠せなかった。 私はお姉様から聞いたから知っていたが、見ただけで分かるとは……。 感想が全部「かわいい」に集約されるところが気になるが、デザインや美術にもそれなりの造詣があるようだ。
「スマホがあったら撮ってるのになぁ」 「? まあいい。とりあえず話を進めるぞ」
まずは前提の確認と――私が知らない用語を教えてもらわなければ。 既に説明してもらっているものもあるが、まだ知らないことだらけだ。 これらの説明から、私たち二人の作戦会議はスタートした。
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「――という訳。まだ何か分からないこととかある?」 「……」
分からない……というか。
「信じられないことばかりだ」
用語の解説の最中、ノーラの前世――日本の生活について幾度となく触れた。 何百キロ離れた相手とでも会話できる電話。 絵画よりも精密に、映したものを保存する写真。 空間をまるごと切り取り、いつでも再現できる動画。 それらすべての機能を内包し、手のひらのサイズに収まるスマホなる道具。
他にも馬を必要としない馬車――自動車や、何百人も人を乗せて高速で走る電車、空を飛んで移動できる飛行機なるものまで。
文明のレベルが違いすぎる。 こちらから見る日本は、まさしく『上位世界』と言えた。
……まだ本題にも入っていないのに、額が熱い。
「大丈夫?」 「問題ない。けど、少し休憩させてくれ」
五歳児の身体に負荷をかけすぎるとすぐに熱が出ることはもう何度も経験済みだ。 頭を冷やし、聞いたことを整理するための時間を設ける。
「あ、そうだ」
ノーラはぽんと手を打ち、鞄をごそごそと漁り始める。 出てきたのは茶色いお菓子だ。
「クッキー焼いてきたの。この前は食べ損ねたって言ってたから」
疲れた頭には甘い物と相場が決まっている。 私は差し出されたクッキーを手に取り、口の中に放り込んだ。
「……むぐ」
噛みしめた瞬間、ぴしり、と硬直した。
「今回はちょっと自信ないんだけど……どう?」
私はもぐもぐとクッキーを咀嚼してから呑み込み、感想を述べた。
「おいしすぎて草」 「完璧に使いこなしてて草」
私たちはどちらからともなく、ぷ、と吹き出した。
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おいしいクッキーと紅茶で頭を落ち着かせてから、話を再開する。
「私はもう推しがいるから、オズワルドルートに入ることはない……っていうだけじゃレイラは救われないんだね」
ノーラは既に意中の相手――ヒーローの一人で、ノーラの義兄らしい――が居るので、オズワルドを攻略する気はない。 それはこれまでのループの中で、一度たりとも彼女が接触してこなかったことからも分かる。
お姉様はもともとオズワルドルートでヒロインに立ちはだかる悪役令嬢として配置された。
ノーラがオズワルドルートを選べば敵として散る運命にある。 ヒロインが別のヒーローを選んでいる以上、お姉様を縛る死の運命はそこで潰える。 ――そう考えるのが普通だが、制作者はそうしなかった。
ノーラがオズワルドを選ばなかった場合。 お姉様は、何の関係もないところで死ぬ。
制作者がお姉様を死の運命に縛るその瞬間を、私はこの目で見た。
「シナリオを雑にしちゃうくらい製作が押してたのかなぁ……無理しなくても全然待ったのに」 「お姉様の死を根本的に回避する方法を知らないか?」
制作者と同じ世界に住んでいたノーラなら、何か秘策を知っているかもしれない。 そんな期待を込めて尋ねるが、彼女は胸の前で指を突き合わせながら気まずそうに答えた。
「ごめん……実は私、未プレイなんだよね……。前作はスチル解放百%までやったんだけど」
ノーラはこの世界にプレイヤーとして参加することなく日本で生涯を閉じている。 知っているのは登場人物の顔と名前くらいで、シナリオに関しては私の方が詳しいくらいだ。
はぁ、とノーラは大きなため息を吐きながら机に突っ伏す。
「メインシナリオライターさんの体調不良で何度も何度も何度も延期されて、炎上とか乗り越えてようやく発売が決まって。転売ヤーとの壮絶な予約競争にも競り勝って、さあ用事を済ませてプレイしようとした矢先で……この世界に転生しちゃったの」 「……そうか」 「ごめんね、役に立たなくて」 「そんなことはない」
ノーラの知恵で何もかも万事解決、とはならなかったが、それでも彼女が仲間になってくれたことは大きい。 接触してくれたことに感謝しなければ。
……接触。 自分の思考に、ふと疑問が湧き上がる。
「そういえば、ループの主導者がどうして私だと気付いたんだ?」
これまでノーラがこちらに接触してくることはなかった。 まさかループの主導権をこんなモブが持っているとは思いもしなかったんだろう。
だが、どのタイミングで私がそうだと気付いたのか。
「オズワルドの婚約者になったでしょ? その時からだよ」
西大陸との戦争回避のために行った婚約者入れ替え作戦。 違和感を覚えたのはその時らしい。
「この世界はゲームと関係ない部分は行動次第で色々なイベントが起こせる。けど、製作者が決めた本筋のシナリオは変わらない」
オズワルドはヒーローの一人。 その婚約者はお姉様。
ヒロインの物語には関わりがなくても、これが崩れることはない。 それを崩した人物がいる。
私だ。
他にループ能力を持っている者はいないと思い込み気にしていなかったが、できる人間から見れば私の行動は不自然極まりない。 ましてや、ゲームのあらすじを知るノーラからすれば余計におかしく思えただろう。
「オズワルドと下町に何度も来ていたでしょ? その時にあなたのことを見ていたのよ」
露店の雑踏の中に、ノーラもいたらしい。 少しでも目を離すとどこかへ行ってしまうオズワルドにかかりきりで、見られていることに全然気が付かなかった。
「それで確信を得たの。あなたがループ元だって」 「どういうところが?」 「オズワルドが見ているときはにこにこしていたのに、見ていない時はオーガみたいな顔していたから。とてもじゃないけど、オズワルドが好きでレイラから婚約者を横取りした恋する女の子の顔じゃなかったわ」 「…………」
人が大勢いるし、誰も私なんて見ていないと気を抜いたことが災いした。 分かってはいたが、改めて思う。
私はとんだ間抜けだ。