最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#55 第十六話「本性」


 ノーラの姿がない。  こんな状況なのにどこへ行った?

 手伝ってくれると言っていたのに。  助けてくれると言っていたのに。

 あの明るい笑顔が見えなくなるだけで、私は不安を覚えた。  不安は間を置かず、疑惑に変貌した。

(まさか。協力するフリをしていて、お姉様がこうなることを狙っていた――?)

 ヒロインであるノーラが悪役令嬢であるお姉様に加担する理由は本来ない。  私のループ能力さえどうにかすれば、彼女には幸せな未来が待っているのだから。

(いいや。ノーラがそんなことをするはずが……)

 ……。

 ない、とは言い切れなかった。  どれだけ笑顔を向けられても、どれだけ友好的に接してきても、裏切る奴は裏切る。  ヒロインだからと言って――いや、ヒロインだからこそ、例外ではない。

 ループを共有していることや、巻き込んでしまった罪悪感が、無意識下でノーラを疑うことを抑え込んでいた。

 ノーラの本当の狙い。  考えられるのは、私のループ能力を取り戻すこと。  この能力は本来ノーラが持つべきものだ。  物語上、モブでしかない私が持っていていいものではない。

 それを取り戻すため私の仲間になったフリをして、油断を誘った……?

(確かめないと)

 いくら想像しても、真実は確定しない。  本人を探し、問い質さなければ。

「スイレン先生。お姉様をお願いします」

 不安定になっているお姉様から離れるのは忍びないが、一旦先生に任せよう。  顔を上げると、先生の顔が目に入った。

「レイラお嬢様」

 先生は、この場に似つかわしくない表情を浮かべていた。  それは例えるなら、が訪れた時のような。

 先生は、優しくたおやかに――笑っていた。

「――やっと『壊れて』くれましたね」 「……え?」

 しゃがみ込み、私とお姉様の目の高さを合わせる。

「二年ですよ二年。誰にも悟られないようあなたを壊すまでこれだけ時間がかかりました。少し才能がある程度ならすぐ壊せたのに」

 たった今、これまでの努力と溢れんばかりの才能を失った生徒に向かって、とてもいい笑顔を浮かべていた。

「スイ、レン……先生?」 「レイラお嬢様。あなたは本物の天才です。十年――いえ、五十年に一度の逸材です。しかも才能に溺れることなく素直で実直。研鑽を惜しまない努力できる天才。そこいらの凡百とは一線を画しています。本当に、本当に――」

 魅力的な笑みを浮かべたまま、暗く、淀んだ声で、彼女は続けた。

「――嫉妬します」

 ▼

 何も。  何も、言えなかった。

 あの穏やかだったスイレン先生――いや、スイレンが、こんなに豹変するなんて。  昨日、あるいは今この瞬間、顔立ちが瓜二つの何者かに入れ替わられたのだと言われてもすんなり信じてしまえるほどだ。

 けれど違う。  これが……彼女の、本性。

 こいつはお姉様の魔法を鍛えようとして来たんじゃない。  はじめからお姉様を壊すために来た――敵だったのだ。

 魔物の襲撃の際、スイレンはお姉様に同行していた。  一緒に死んだと聞いていたが、私は死体を確認していない。  まさか、あれもこいつの仕業だった……?

「スイレン先生は……私から魔法を奪うために、魔法を教えていたのですか……?」 「はい、そうです」

 はっきりと、スイレンはそう告げる。

「私は、私より若くて魔法の才に優れた者の存在を許しません。だから高負荷の訓練をずっと課していたんです。あなたが壊れてくれますように――と、毎日神に祈りを捧げていたんですよ? なかなか壊れない上に、どんどん実力を伸ばすから本当に焦りました」 「そんな……」

 さらに絶望の色を濃くした顔で、お姉様が嗚咽を上げる。

「ふふ。才能を失った気分はどうですか? けれどこれはこれで良かったのかもしれませんね。今回の試験を合格していたら、命を摘み取ることになっていたので」

 涙と雨で顔を濡らすお姉様の頬を、スイレンは撫でようとした。

「お姉様に触れるなッ!」 「『精霊の友よ。の者に蛇のごとく掻きいだく枷を』」 「ぐッ……!?」

 水が身体に巻き付き、あっという間に拘束されてしまう。

「ソフィーナ!」 「ああ――いい、いいですよレイラお嬢様! その表情、もっと私に見せてください?」 「う……」 「不思議ですね。今のレイラお嬢様のお顔を見ていると、なんだか気分が高揚します」

 震えるお姉様に、スイレンが再び手を伸ばす。  ――頭の中で、何かが弾けた。

「このクソ野郎がぁ! お姉様に、触れるなああああッ!」

 暴れ回る頭痛を無視して、私は呪文を紡いだ。

「『精霊の友よ! の者を獄炎ごくえんの演舞へと招来しょうらいせよッ!』」 「『精霊の友よ。直瀑ちょくばくの障壁を以て迫るを洗い流せ』」

 必死の思いで発動した魔法も、スイレンには何の痛痒ももたらさない。  雨が降っていることが災いして、スイレンの水魔法は強く、私の熱魔法は弱くなっている。

「が……ぐふ……」

 頭痛に加え、吐き気と目眩で視界が揺らぐ。  身の丈に合わない魔法の使用による反動だ。

「驚いた。ソフィーナお嬢様も魔法が使えたのですね。しかもこんな状況下で、これほど精密な魔法を……精神の強さはあなたの方がレイラお嬢様より上ですね」

 揺らぐ視界の中、水滴で髪がべったり張り付いたスイレンが目を見開く。  まるで幽鬼のようだ。

「姉妹揃って魔法の才能に恵まれているなんて――ホント、嫉妬しちゃう」 「く……そ、やろう」

 目の前に。  目の前にお姉様から魔法を奪った奴がいるというのに、身動き一つ取れない。

「そうだ、いいことを思いつきました」

 名案を思いついたように、スイレンが手を打つ。  教鞭を取り出し、ぼそぼそと呪文を唱えると――そこに水が集結する。

「これは危険なので教えていませんでしたが、物体の周囲を水で覆い形状を変化させることで、即席の刃を作ることができるんですよ。土魔法ほどの硬度はありませんけどね」

 教鞭の周囲に纏わり付いた水が鋭い切っ先を形成し、私の胸元に向けられる。

「レイラお嬢様。あなたという大きな才能を潰せて概ね満足していますが、もう少しだけ、絶望したお顔を見たくなりました」 「え……? え?」 「というわけで、大好きな妹ちゃんが心臓を貫かれるさまをそこで見ていてください」 「――」

 言われた意味が理解できなかったのか、お姉様の動きが数秒間固まる。

 お姉様はまだ十歳。荒事の「あ」の字も経験していない。  すぐに状況を呑み込めないのは無理もないことだ。

 スイレンの歪んだ笑みを見て、水の刃を向けられた私を見て――ようやく事態を理解し、私に向かって手を伸ばす。

「あ――ああああああああああ! やめてええええええ!」 「だめです」

 狂ったように暴れるお姉様。  しかし、うねる水流に絡め取られてその場から動くことは叶わない。

「どうして!? ソフィーナは関係ない! 私が憎いなら私をやればいいじゃない!」 「私は才能のない者は傷付けません。けれどソフィーナお嬢様は違う。どこで習ったかは知りませんが、先程の見事な魔法はかつてのレイラお嬢様と同等。――というわけで、ソフィーナお嬢様も私の嫉妬の対象です」 「ソフィーナ! ソフィーナあああ!」

 絶叫するお姉様。  私はお姉様に向かって、できるだけ穏やかな笑みを浮かべた。

 ――良かった。  私がで良かった。

 お姉様の死に目を見なくて済むのだから。  私が死ぬくらい、別にどうということはない。

 だからお姉様。  ――泣かないで。

(……次は……必ず、守ってみせます)

「さようなら、ソフィーナお嬢様」

 死ねばループ能力は自動的に発動する。  痛いのはほんの一瞬だけ。  私は目を閉じ、迫る刃を受け入れた。

 いつまで経っても予想した痛みはやって来ない。  何事かと、私は目を開いた。

 スイレンと私の間に、誰かがいる。

「ノー、ラ?」

 ノーラは私を庇うように両手を広げている。  そして、その背中からは……血液に濡れた刃の先端が生えていた。

 同時に、スイレンに何者かが襲いかかる。  白衣を身に纏った、イグマリート家お抱えの医者だ。

「この、離しなさい!」 「乱心したのかスイレン!? こんなことをして、許されると思っているのかぁ!」

 スイレンを押さえ込み、一喝する医者。  二人は水溜まりの中でもみ合いになり、互いの動きを止めようと牽制し合う。

「ノーラ!」

 私の目の前で崩れ落ちるノーラ。  胸の傷は完全に貫通しており、鼓動に合わせて、どく、どく、と血を溢れさせていた。  拘束されたままの私は彼女に駆け寄ることも、抱き留めることもできない。

「どうして私を庇った!? どうせ――」 「『どうせループするのに』とか……そんな風に……言わないで」

 ノーラを中心に、濡れた地面が朱色に変色していく。

「このループが『なかったこと』になったとしても……私は、ソフィーナが傷付くのを見るのは嫌だよ」 「ノーラ……」 「みんなが忘れても、私は……ずっと覚えてるんだから」 「……ッ!」 「今回は残念だったけど……また、頑張ろぅ……ね。次こそ……ハッピーエンド……に……」

 ノーラの目から、光が消えた。

 ▼

 ごぼ、と音がして、私はそちらの方を向いた。  医者に組み敷かれていたスイレンが、のそりと起き上がる。

「助けを呼びに行っていたんですね。気付きませんでした」

 医者はスイレンの横で身体を宙吊りにされていた。  拘束されていないのに手足がだらんと垂れている。  視線を上に上げると、頭をすっぽりと水で覆われていた。  彼は、宙吊りのまま――溺死していた。

「門番や警備の者を呼びに行っていたら助かったかもしれないのに、よりによって医者を連れて来るなんて。なかなかのお間抜けさんですね」

 どうしてノーラが医者を連れて来たのか。  答えは至極簡単だった。  ノーラはお姉様が倒れたことを、魔法的な要因と思わず、ただ体調が悪くなったと勘違いしたのだ。  姿が見えなくなったのは、瞬時にそれを判断して医者を呼びに行ったから。

 ノーラは敵じゃない。  敵じゃ、なかったんだ……。  ほんの僅かでも彼女を疑った自分を、私は恥じた。

 ノーラを見下ろしながら、スイレンが髪をかき上げる。

「私としたことが、才能のない者を手に掛けてしまいました」 「スイレン。お姉様を泣かせ、ノーラを傷付けた罪は重いぞ」

 お姉様は拘束されたまま意識を失っていた。

 拠り所にしていた魔法を失い、  頼りにしていた先生に裏切られ、  妹を傷付けられそうになり、  目の前で二人、殺されたのだ。

 目を覚ましても、以前のようなお姉様にはもう戻れないだろう。  神が定めた運命シナリオどおり、悪役令嬢レイラはここで『死』んだ。

 ――クソが。  そんなことは、絶対にさせない。  こんなイベントは――私が否定してやる。

「いい目をしていますね。しかしそんな状態で何ができると言うのですか?」

 スイレンが再び水の刃を手にし、それを私の胸に突き立てた。  鉄の刃が突き刺さるとはまた違った感触が身体を貫通し、そこから血がボタボタとこぼれ落ちた。

「今回は……お前の勝ちってことに……して……や……る」 「そんな状態で強がりを言えるなんて、本当にいい根性をしています」

 拘束が解け、ぼちゃん、と水だらけの地面に身体が落ちる。

(……)

 雨が頬を叩く感覚も、冷たい地面の感触も、スイレンへの憎悪も、全部、全部が泡となり消えていく――。

 BAD END

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