その日は生憎の曇り空だった。 ある程度制御可能な人の行動と違い、天気は人間の力ではどうしようもない。 同じ日でも晴れたり、雨が降ったりとバラバラだ。
以前、この日の天気はどうだっただろうか。 Bルートでお姉様がここまで生存しているのは初めてのことだ。 Aルートで八歳を過ごしていた頃の自分が、もう遠い昔のことのように思える。
今にも降り出しそうな黒雲を見上げながら、私はため息を吐いた。
「お姉様の魔法の試験日だっていうのに、嫌な空ね」
今回の試験に合格すれば、スイレン先生から宮廷魔法師へ推薦状を書いて貰える。 実質的な卒業試験といっていい。
総合的に見て、お姉様の魔法は既に高いレベルに達している。 けれど、それだけでは宮廷魔法師にはなれない。 コネが必要なのだ。
宮廷魔法師に繋がるコネの大半は四大公爵家の一つ、フィンランディ家が握っている。 イグマリート家とフィンランディ家はそれほど仲がよろしくない。 お姉様にいくら実力があろうと、推薦はしてくれないだろう。
しかし、スイレン先生はフィンランディ家以外との伝手を持っている、とのことだ。 私も用意できないことはないが、かなり未来の話になってしまう。 ならばここで彼女に用意してもらった方がいいだろう。
「レイラは水魔法使いなんだよね? 雨が降る方が有利になるんじゃないの?」
ちょうど作戦会議でイグマリート家に来ていたノーラがそんなことを言う。
「気分の問題だ。晴れている方が気分がいいだ――でしょう?」
ティーセットを運んできたメイドの気配を感じ、口調を変更する。
危ない危ない。 ノーラがいるとつい気が緩みがちだ。 この間も素の口調をお姉様に聞かれて「ノーラから悪い影響を受けているのでは」と心配されたところだ。
「いらっしゃいノーラちゃん。この間のお菓子、すっごい好評だったわよ。奥様に初めてお褒めの言葉をいただいたわ!」 「わぁ、それは良かったです」
この二年ですっかり顔馴染みになったノーラは門番や庭師のみならず、屋敷のメイドとも仲良くなっていた。 社交的な性格とは思っていたが、予想を遙かに超えている。
日本風に言えば、ノーラは『コミュ強』というやつだ。
「またレシピを教えてね」 「もちろんです」
メイドがいなくなったことを確認してから、再び口調を元に戻す。
「――雨は嫌いなんだよな」
初めてループした時、お姉様は誘拐犯に殺された。 その時の葬儀の印象が強く残っているせいか、雨は私にとって不吉の象徴だ。
雨雲が頭上にあるだけで妙な胸騒ぎがしてしまう。
(何事もありませんように)
私は胸中でそう念じた。 祈ることはしない。 祈りを捧げるべき対象は敵なのだから。
「始まるみたいだよ」
ノーラの言葉で、私は視線をお姉様の方へと向ける。
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「それではレイラお嬢様、準備はよろしいですか?」
スイレン先生に声をかけられ、それまで瞼を閉じていたお姉様が――目を見開く。
「はい。いつでも」 「では、試験開始です」
お姉様の魔法試験は大きく三つに分かれている。
一つ目は水の生成。 巨大な窪みの中に水を溜めていっぱいにする。
二つ目は水の操作。 生成した水を指定されたいくつものコップに零れないよう分ける。
三つ目は破壊力。 スイレン先生が用意した土の壁に水をぶつけて穴を開ける。
これらを一挙に完遂することで、晴れて合格となる。
「……」
お姉様は凜々しい瞳を土で塗り固めた窪みに向ける。 ゆっくりと手のひらを向けつつ、真一文字に引き締めた口元を解き、呪文を紡いだ。
「『精霊の友よ。一筋の雫を連ねて母なる蒼海を大地に育め』」
はじめは小さな水滴が落ちた。 それはみるみるうちに水流となり、窪んだ地をあっという間に満たしていく。
水魔法使いの魔力は視覚化しやすい、と言われている。 生成できる水の量と魔力量がほぼ比例するためだ。
窪地の大きさは正方形。 一辺の長さは正確に分からないが、私とノーラが横になるよりも長い。 深さはちょうど私が頭まで隠れるくらいだ。 要するに、相当な大きさを誇っている。
それがお姉様の魔法により、水がなみなみと注がれた池へと変貌した。 ――この時点で、過去に見てきた水魔法使いの誰よりも多い魔力量を持っている。 この上さらに水流を操作する余力があるのだから、本当に底知れない。
お姉様を襲う死のシナリオ。 攻略の基本は「起こる前に原因を潰す」だが、フラグの関係でどうしても戦闘が避けられない場面が出てくる。
守ると誓った手前、とても不本意なのだが――いくつかのイベントでは、お姉様本人の戦闘力が重要になる。 Aルートではオズワルドの為にと叩き込まれていた戦闘訓練で凌いでいたが、Bルートでは魔法がそれに変わって役立ってくれそうだ。
ただ、少しだけ不安が残る。 魔法は精神状態の影響を受けやすい。 日常のちょっとした不安や焦燥などでも狙った通りの効果が出ないことだってあるのだ。
優しすぎるがゆえに心が脆いお姉様にとって、魔法は相性が悪い。
――それにしても……魔法って、こういうとき、全然使えないのね。たくさん練習したのに……「ソフィーナが危ない」って思ったら、呪文とか……全部、どこかへ飛んで行っちゃった。
ループ前。 初めての死を経験する直前の、お姉様の言葉が脳裏をよぎった。
「はぇー。ここまですごい魔法は初めて見たよ」
ノーラの言葉で、ふと我に返る。 あれこれと考えている間に、試験は第三段階まで進んでいた。 宙に浮かせた水を使い、土の壁に穴を開ける。
ふーっ、と一呼吸置いたお姉様が、呪文を口にする。
「『精霊の友よ。荒波の如く波跡を』……ッ!?」
お姉様は突然詠唱を止め、両手で頭を抱えた。
▼
制御を失った大量の水が地面に落ち、大きな音を立てて波となった。 それは、遠くで見守っていた私とノーラの元にまで流れてくる。 まるで庭の一部だけが大雨に見舞われたように水浸しになる。
その中心で、お姉様は洋服が濡れることも厭わず膝を突いていた。
「あ、あ……」 「お姉様!」
私はすぐに駆け寄り、お姉様の肩に手を置いた。
魔法を使う際、身体が十分に成長していないと頭痛が起こる。 人体に備わっている一種の防衛装置だ。 難易度の高い魔法をこれだけ使っていたんだ。 頭痛の症状が出ても何ら不思議はない。
「頭痛ですね? 大丈夫です、少し休めば――」 「ソフィーナ。違うの」
お姉様の手が、私の腕を弱々しく掴む。 先程まで凜々しく呪文を唱えていた唇が、震えながら続ける。
「頭痛は一瞬だったわ。けれど頭の中で『ぷつり』って……変な音がしたの」 「――ッ」
お姉様の言葉の意味を、私は正しく理解した。 腕の腱が切れれば剣を振れなくなるように。 足の腱が切れれば走れなくなるように。
魔法にも、切れてはいけない『腱』がある。 物理的に存在するものではないが、確かに『それ』は存在する。 魔力と身体の成長のバランスとは別の、魔法が孕む危険性の一つだ。
お姉様が聞いた音は、それが切れた音だろう。 ということは――お姉様は。
「『精霊の友よ。恵みの恩寵で枯れた地を癒せ』」
震える手を伸ばして呪文を唱えるが、魔法は発動しない。 当たり前だ。 それが切れてしまった者は、魔法を全く使えなくなるのだから。
「どうして……どうしてよ……あんなにたくさん練習したのに、どうして魔法が使えないの?」 「お姉、様……」
泣き崩れるお姉様。
ぽつり、と。 雨が降ってきた。 湿り気を帯びる程度だったそれはすぐに豪雨に変わり、お姉様の涙も、傍に立つスイレン先生の顔すらも、流れる水滴に隠してしまった。
――嗚呼。 やっぱり、雨は嫌いだ。
空を見上げながら、私はお姉様の冷たい身体を抱きしめた。
……私のせいだ。 やはりお姉様の練習量をセーブするよう、スイレン先生に進言すべきだったのだ。 私は魔物の襲撃を恐れるあまり、選択肢を間違えてしまった。
二年前の間違いを正し、お姉様が壊れないよう慎重に魔法を教えてもらうようにルートを変えなければ。
次は間違えることのないように。
「ノーラ。今回は戻る」
お姉様を胸に抱いたまま、私は傍にいたノーラに声をかける。 しかし、周囲を見渡してもその姿はなかった。
「……ノーラ?」