最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#83 第十八話「和解」


 凡ミスに次ぐ凡ミスにより、ここ十回ほどは無駄なループが続いていた。  こんな状態ではお姉様を救えない。

 間違えないようにしなければ。  間違えないように、間違えないように……。

「ソフィーナ見てみろ! すごいだろう!」 「……」 「おいソフィーナ! 聞いているのか!?」 「――っ、は、はい。すごいですー!」

 反射的に返事をするが、話を聞いていないことは丸わかりだった。  オズワルドは眉をひそめて不機嫌そうに睨んでくる。

「最近ずっとぼんやりしてるぞ。僕の婚約者という自覚が足りないんじゃないか? そんな腑抜けなままで僕の支えになれると思っているのか!?」

 ―― 一瞬、何もかも忘れてこいつを殴り倒してしまいたい衝動にかられる。  拳で、辞典で、コップで、椅子で、動けなくなるまで。  何なら殺してしまってもいい。

 何か間違えても、やり直してしまえば元通りになるのだから。

 壊れても、殺しても、『戻れ』と言うだけですべてリセットされる。  けれどたった一つ、やり直しが効かないことがある。  ノーラとの関係だ。

 私がしてしまったことを、彼女はループした後も覚えている。  失礼な態度、見下した笑い、吐き捨てた言葉。  全部、全部。  私の短絡的で浅慮な振る舞いが、たった一人の仲間との絆を断ち切ってしまった。

 おいしいお菓子を作ってもらうことも、  次のイベントへの攻略を相談することも、  オズワルドへの愚痴を聞いてもらうことも、  もう二度とできない。

 自分自身への強い失望が、オズワルドの神経を逆撫でする言葉に刺激されて怒りに変わる。

 ……お前に。  お前に、私の何が分かる。

 ――――――。  息を大きく吸い、ぐちゃぐちゃになる感情が出ないように努める。

「なんだ。突然深呼吸なんかして」 「自分の至らなさを胸に刻み込んでいるんです」

 すべての感情を堪え、縛り、抑え付け、私はいつものように微笑んだ。

「すみませんオズワルドさま。もっともっと、いっしょうけんめい頑張りますー!」

 ▼ ▼ ▼

「……はぁ」

 イグマリート家の裏庭を歩きながら、私はため息を吐いていた。  スイレンはもはや殺す以外にないと結論づけたものの、初回以外は勘付かれてしまっている。  このまま闇雲にやっても、また失敗するだろう。

 ――やり方を大幅に変える必要がある。  私の殺気が漏れているなら、奴が来ている期間は会わない方がいいかもしれない。

 オズワルドを使って王宮に住まわせてもらうことはできないだろうか。

「……いや、無理だ」

 浮かんできた案を即座に振り払う。  一日二日のお泊まりならともかく、スイレンの在任期間は二年だ。  その間、ずっと王宮に住んでいられるような言い訳が思いつかない。

 学生になれば魔法の研修と称し、しばらく家を空けることもできるが、それでも数ヶ月が限度だ。

「時期が悪いのか? やっぱりお姉様と会う前に殺して……いや、そうなると他のろくでもない家庭教師たちが……」

 あちらを立てればこちらが立たず。  ぐるぐると思考が堂々巡りを始める。

「ああ、もう、どうすりゃいいんだよ!」

 考えがまとまらない。  ノーラにしてしまったことへの後悔がずっと尾を引き続け、濃い霧となり思考能力を奪っていた。  髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしりながら歩いていると。

「誰か居るのか?」 「っ」

 ちょうど馬車小屋の中に使用人がいたらしく、私の声を聞きつけて近くまでやってきた。  口を塞ぎ、慌てて草むらに隠れる。

「……気のせいか?」

 使用人はしばらく辺りを見渡してから、首を傾げる。

「ソフィーナお嬢様ぽい声がしたんだけどなぁ。けど、あの方があんなに声は出さないだろうし……空耳か」

 そう納得し、馬車小屋に戻っていく。

(……おちおち素の自分も出せないな)

 ほっと胸を撫で下ろした次の瞬間。

「!?」

 背後から、にゅ、と出てきた手に口を塞がれた。

(侵入者? どうしてこんな時期に……いや、そもそもどうして私を狙う?)

 侵入者イベントはいくつかあるが、すべてお姉様を狙ってのものだ。  オズワルドの婚約者が私になったから?  けど、こんなにも早い時期に発生するなんて――。

「しーっ。お願い、声を出さないで」

 ……え。  混乱する私の耳元で囁かれた声は。

「約束してくれるなら頷いて。そうしたら手を離すから」

 肩越しに見えた人物は。  もう二度と話をすることは叶わないと思っていた、ノーラだった。

 ……そういえば、もう来ることはないだろうと秘密の通路を閉じていなかった。  そこから入ってきたことは分かるが……どうして、会いに来てくれたんだろう。

「……」 「あれ!? 頷いてくれない!?」

 思考停止して動かなくなった私に、おろおろし始めるノーラ。  少し遅れて、私はこくりと首を縦に動かした。

「もう、びっくりさせないでよ。また警備員さんを呼ばれるのかと思ったじゃない」 「……どうして」 「うん?」 「どうして、まだ私に構うんだ」

 あれだけ邪険にして、嫌な言葉を吐いたのに。  意見を聞かず、対話もせず、追い払うようなことをしたのに。  姿を見せなくなったから、完全に愛想を尽かされたと思っていたのに。

 ノーラの口から出てきたのは、予想もしない言葉だった。

「一言、謝りたくて」 「…………謝る?」

 ノーラは私の前で、深く頭を下げた。

「ごめんなさい! 私、自分の意見を押し付けてばっかりで……ソフィーナのこと、全然考えられてなかった」 「……」 「ソフィーナが優しい子だってことは知ってたのに。そんなあなたが、それでも殺さなくちゃ前に進めないって決断をするまでにどれだけ悩んで、苦しんだかを想像できてなかった」 「…………」

 初めて人を殺したとき。  百回以上の失敗を経験した。  殺す決断をするまで二十数回。  殺す勇気がなくて四十数回。  殺す際に手順を間違えて三十数回。  殺した後の手の震え、嗚咽、幻覚が治まるまで十数回。

 あの失敗を通して感じた苦悩、絶望、恐怖。  あれだけ殺人を忌避していたノーラが、私を……理解しようとしてくれている。

「だから、あの時に私が最初に言うべきなのは否定の言葉なんかじゃなかった。もっともっと話し合って、お互いのことを知るべきだった。あんなこと言ったら、誰だって怒るよね」 「……」 「酷いこと言って、傷付けてごめん」

 再度、ノーラは深く頭を下げた。

「……何を。何を言ってるんだ」 「……っ。そうだよね。許してもらえるはずないよね」 「謝るのは、私のほうなのに」 「へ? うわっ」

 ノーラの胸に飛びつくと、彼女は支えきれず後ろに転んだ。

「いたた……」 「ごめん。私も、ノーラの気持ちを考えられてなかった」 「ソフィーナ……謝らないで。私が悪かったんだから」

 勝手に怒って、突き放して。  悪いと分かっていたのに、謝ることもできず悶々としていた。

「いやいや、私の方が悪かったよ」 「何を言ってる。私だ」 「私だよ」 「私だ」

 お互い譲らず、しばらく見つめ合ってから……どちらともなく「ぷ」と笑う。

「あ、そうだ」

 ノーラは持っていた手提げ鞄から、箱を取り出した。  中にはチーズケーキが入っていた。

「仲直りの印に持ってきたんだ。食べよ?」

 今の私でも食べやすいサイズにカットされたそれを、口に運ぶ。

「どう?」 「……」

 咀嚼していると、ノーラの顔が、ぐにゃりと滲んだ。  ノーラだけじゃない。地面も、木も、草も、何もかもが水面越しにものを見ているように歪んでいく。

 それが自分の涙によるものだと気付くまで、しばらく時間がかかった。

「ソフィーナ、どうして泣いてるの!? 味、おかしかった!?」

 おろおろするノーラに、私は答えた。

「……おいしい。おいしいよ」 「良かったぁ。あ、そうだ。食べ終わったらスイレンさんのことも聞いてほしいな。もしかしたらだけど、いい方法が見つかるかもしれなくて」 「うん……うん」

 私は長らく勘違いしていた。  壊れた関係はリセットしなければ元通りにできないと。  多くの場合、それは正しいけれど……違うこともあると知った。

 一度は壊れかけた絆を、ノーラが直してくれた。  元通りに、ではなく。  より強固で、壊れない形へと。

「ごめんノーラ。本当に……ごめん」 「大丈夫大丈夫。友達は喧嘩するものだし……ね?」

 ノーラは、ぽんぽん、と頭を撫でてくれた。  その仕草で、笑顔で、私の中の何かが――ぷつりと――切れた。

「うぇ……ぐす」 「ソフィーナ?」 「……う、うわああ、うわあああああああああああああああああああああん!」 「そ、ソフィーナ。そんなに大声で泣いたら……」

 ノーラが背中をさすったりして泣き止まそうとしてくれるが、濁流のように溢れる涙が、声が止まらない。

「うわあああああああああああああああああああああん! あああああああああああああああん!」 「お願いソフィーナ、泣き止んでぇ! でないと誰かに見つかっ――」 「お嬢様!? 何事ですか!」 「ひっ」

 声を聞きつけた警備の人間がやってくる。  ――そしてノーラを発見するなり、目尻を釣り上げた。

「何者だ!? お嬢様を泣かせるとは……子供とて容赦はせんぞ!」 「ああああ!? やっぱりこうなったぁ!」

 ▼

 私が泣き止み、言葉を話せるようになるまで、それから十五分かかった。  その間、ノーラは警備の者に首根っこを掴まれ、私の声を聞きつけて飛んできたお姉様に激しく責められていた。

「侵入者め! ソフィーナお嬢様にどんな酷い仕打ちをしたんだ!」 「私の妹に何をしてくれたの。返答によっては容赦しないわよ」 「ごごご誤解なんですー!」

 ごめん、ノーラ。