最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#91 第二十六話「確定した過去」


「……」

 スイレンの顔を覆っていた水が、彼女が動かなくなったと同時に溶けて消える。

「やはりオリジナルよりは効果がもたんか。とはいえ十分じゃろう。このままふん捕まえてやる」 「……」

 やった。  スイレンを倒した。

 倒したんだ……!

 長らくシナリオを阻む敵がくずおれた瞬間、私は喜びを隠し切れずに身じろぎした。  その際、動いた手が草木とぶつかり、音を立てた。

「ソフィーナお嬢様?」

 がさりと揺れた草の音に、オー爺がこちらを振り返る。

「こちらに来てはいけません。家にお戻りください!」

 ほんの一瞬、オー爺がスイレンから目を離したと同時に。  スイレンの手が、オー爺の方へと向けられた。  意識があるのかないのか、白目を剥いたまま紫がかった唇が動く。

「――――『精霊……の。友よ。うねもり――』」 「っ!」

 ほとんど反射的に、私はスイレンに向かって叫んだ。

「『精霊の友よ! 彼の者に焦熱の傷痕を刻め!』」 「ぎゃああああああああああ!?」

 伸ばした腕を引っ込め、地面をのたうち回るスイレン。

「まだ気を失ってなかったのか!? 往生際の悪い奴じゃて!」

(もう一発、いけるか?)

 再度魔法を使おうと、私は自分自身に問いかける。  その瞬間――。

「う。おえぇぇええ!?」

 猛烈な目眩に襲われ、私はその場に膝を突いた。  痙攣する胃から食道を突き上げるように何かがせり上がってくる。  口を閉じて嘔吐感を必死でこらえるが、抵抗も虚しく盛大に吐き出してしまった。

 今の身体でも耐えられる魔法を使ったつもりだったが、許容量を超えていたらしい。

(ミスった……!)

 肝心なところで、またしても私は選択を誤ってしまった。  後悔したところでもう遅い。

 視界がぐにゃりと歪む。  森の緑と地面の土、空の青の境界線が混ざり合い、視界を埋め尽くしていく。  魔法の修行に明け暮れているときに何度も経験した、魔法の反動だ。  もう間もなく、私の意識は消失する。  経験則からそれが分かった。

「ソフィーナお嬢様!?」 「ソフィーナ!」

 慌てたオー爺の声に混ざり、ノーラの声も聞こえた。

「しっかりして! ソフィーナぁ!」

 幻聴だろうか。  抱き上げられているのか、背中をさすられているのか。  その感覚すらも、もうない。

 ――この絶好の機会を逃すわけにはいかない。  私はありったけの力を振り絞り、叫んだ。

「私は……大丈夫、です! 早く、早くスイレンを!」

 視界が完全な闇になり、私は意識を失った。

 ▼ ▼ ▼

「う……」

 次に気が付くと、私はベッドの上にいた。  ぼんやりと滲む視界の中、無意識に手を伸ばす。

 その手が、温かい何かに包まれる。  視線を動かすと、見慣れた青い髪が見えた。

「ソフィーナ」 「おねー……さま……」 「ソフィーナああああああああああ!」 「うごげ」

 どか、と覆い被さるように抱きしめられ、私はうめいた。

「よかったぁぁぁぁ! オー爺様は心配ないって仰っていたけど、二週間も眠ったままで……本当によかったぁぁぁぁぁ」

 二週間。  身の丈に合わない魔法を使った代償としては妥当なところだ。

 今回に限ってだが、二週間という時間はそれ以上の意味を含んでいた。  今日は、本来であればお姉様の試験の日だ。  そしてスイレンの悲願が成就し、お姉様が魔法の才能を失う日でもある。

 しかしぱっと見た限りではそんな様子は見受けられない。

(乗り越え……たのか?)

 最後まで見届けられなかったが、オー爺はスイレンを捕まえてくれたんだろうか。  ただイベントを回避しただけでは意味がない。  すべてが丸く収まる形になっていないなら、また戻ってやり直す必要がある。

 戻るか、続行か。  それをお姉様に聞くことはできない。  事情を知っている人間に聞かなければ。

「おねーさま。お願いを聞いてもらってもいいですか?」 「いいわ。何でも言って」 「ノーラを呼んできてもらえますか?」

 ▼

 その日は夜も遅いということで、翌日にノーラはやって来た。

「ソフィーナ……様ぁ! 良かったぁ~、です!」

 やって来たノーラはぎこちない敬語を――お姉様がいるので砕けた口調だと怒られてしまう――使いながらじわりと涙を流した。

「……」

 お姉様はじとー、と後ろからノーラを見ている。  このままだと聞ける事情も聞けないので、申し訳ないと思いつつさらにお願いをする。

「おねーさま。ノーラと二人でお話したいので、その」 「……ええ、いいわ。出て行くわ」

 昨日はあんなに嬉しそうだったお姉様だが、ノーラの名前を出してからは随分と不機嫌だ。

「あなた……ノーラ、だったかしら」 「はい」 「ソフィーナは病み上がりだから、無理はさせないでよね」 「も、もちろんです」

 ずもも……と凄みを入れてから、お姉様は部屋を後にした。

「でへへ……姉妹愛、てぇてぇ」 「ヨダレ出てるぞ」

 妄想の世界に飛び込みそうなノーラを現世に戻し、私は意識を失う前後の事情を聞いた。

 ▼

「意識を失う直前、ノーラの声を聞いたけど。あの場所にいたのか?」 「うん。ソフィーナの後を追いかけてたの」

 ……気が付かなかった。  私が意識を失う前に聞いたあの声は幻聴ではなかったようだ。

「スイレンは捕まえられたのか?」 「……ううん。逃げられちゃった」

 スイレンはオー爺との戦闘を諦め、すぐに逃亡したらしい。  吸魔法も含め、オー爺の技は反撃に特化している。  スイレンが逃げの一手を取ってしまえば止める術はほとんどなかった。

「お姉様にはなんて説明した?」 「急用で国外に出ることになって、代わりにオー爺さんが家庭教師を引き継ぐ……っていう形になってるよ」 「それでよく納得させられたな」

 お姉様はスイレンに懐いていた。  急に辞めたとなれば嫌がりそうなものだが、さっきの様子から察するにショックを受けた様子はない。

「オー爺さんがこっそり身分を明かしたことが効いてるのかも?」 「……まあいい。それは置いておこう」

 今回はイベントを突破するまでこぎ着けられたが、このまま続けるか否か。

「どうするの?」 「『なし』だな」 「だよねぇ」

 問題の日は乗り越えられたが、スイレンを取り逃がしてしまったことは捨て置けない。  原因もはっきりと分かっている。

 私がオー爺の気を逸らしてしまったことだ。  あれさえなければ、きっとスイレンを捕らえることができていた。

「分かった。やり直そう」 「悪いな」 「何言ってるの。私たちは一蓮托生! 今度こそハッピーエンドにしよう!」

 景気づけのためか、ノーラが拳を伸ばしてきた。  私も彼女に倣い、丸めた手を、こつん、と当てる。

 その瞬間、ウインドウが現れた。  選択肢――ではない。

 いつも通り無機質な文字で、そこにはこう記されていた。

『蟷シ蟆第悄編終了。セーブポイントが更新されました』

 ▼

「セーブポイント?」

 そういえば、ノーラを仲間にしたときに能力が解放されたというメッセージがあったことを思い出す。  知った直後は色々と試してみたが、結局発動しなかったのでずっと忘れていた。  それはノーラも同様のようだ。

「すっかり忘れてたね。私たちが拳を合わせたら発動するのかな?」 「もう一回やってみるか」

 私とノーラは、互いの手を軽くぶつけ合う。  しかし、再びウインドウが出ることはなかった。

「セーブポイントの前はなんて書いてあるんだ?」 「分かんない。文字化け……かな」 「戻るときにスタート地点かここかを選べるようになる……のか?」 「ゲームの通りだったらそうだと思うよ」

 選択肢と同様、結局は使ってみないと分からない。  戻ろうと思ってたし、丁度いいか。

 私はいつもの言葉を口にした。

「――戻れ」

 ▼ ▼ ▼

「ん?」 「あれ?」

 代わり映えのない景色に、私とノーラは同時に声を上げた。  身長は縮んでいないし、家具の配置はそのまま。  何より、ノーラが目の前にいる。

 ――スタート地点に戻れていない。

 不発かと思ったが、違う。

「ソフィーナ、見て」

 ノーラは柱にかかった年代物の時計を指差した。  一見すると何の変哲も無いが、長針がわずかに巻き戻っている。

 ループ能力はちゃんと発動している。

「何にも表示されなかった?」 「ああ」 「もう一回やってみて」 「――戻れ」

 もう一度試してみたが結果は同じ。  スタート地点に戻れない。

 いや。  セーブポイントが更新されたことで、

 よりによってスイレンを取り逃がしたこの状態で、過去が確定してしまった。

「嘘だろ……」