「ソフィーナお嬢様。夕食の準備が整いました」 「わかりました。すぐに行きます」
メイドにそう答えてから姿見の前で短く息を吸い、頬を叩く。
「よし」
今日からはただ夕食を食べるだけじゃない。 ノーラの助言通り、父と母ともっと会話をする。 お姉様の未来を邪魔する障害物――なんて気持ちは捨て、素直な心で。
「遅いわよ、ソフィーナ」
食堂の扉を開くなり、母から棘が飛んできた。 今日は機嫌が良くないらしい。急いで自分の席に座る。
「これで揃いましたね」 「……お父様は不在ですか?」
父が座るはずの席がぽっかりと空いている。 食事も用意されていないので、仕事か何かだろうか。 こういうことはたまにあるが、まさか会話をしようと意気込んだ初日とは……。 先が思いやられる。
「見れば分かるでしょう? それじゃ、食前の祈りを」 「……」
祈りをしてから、食事を開始する。
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イグマリート家は公爵家だ。 落ちぶれた、なんてことをよく言っているが、それでも貴族の中では最も格が高い。 当然、出される食材はすべてが一級品。 雇っているシェフも確かな腕を持っていて、彩りまでも含めて完璧な食事を提供してくれる。
――なのに全く、味がしない。 まるで味覚がマヒしてしまっているかのようだ。 いや、実際しているのだろう。
食事は「何を食べるか」よりも「誰と食べるか」だ。 たとえ高級なものじゃなくても、お姉様とこっそり持ち寄ったお菓子を食べたり、ノーラと橋の下でサンドウィッチを食べている方がよほどおいしく感じられる。
ちらりと横目でお姉様の様子を伺う。
「……」
食事中のため話ができないが、言葉をかわすまでもない。 かなり居心地が悪そうだ。
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「ごちそうさまでした」
非常に気まずい食事を終え、いそいそと食堂を出る。 父がいないのでは家族の会話も何もない。 明日に仕切り直そう。 明日も仕事だったら明後日に――。
(だめだ。また思考が逃げに偏ってる)
関わりたくない。 関わられたくない。 そんな思考の癖が、私の「逃げ」を合理的な判断だと肯定してくる。
逃げるな。 困難に立ち向かってこそ、だろう。
「……」 「ソフィーナ、部屋に戻らないの?」
急に足を止めた私を不思議に思ったのか、お姉様が振り返り首を傾げてきた。
「……すみません。少し、お母様とお話したいので」 「お母様と?」
お姉様は丸い目をより見開き、驚きを表現した。 機嫌の悪い母がどれほど話の通じない相手かをよく知っているからこその驚愕だ。
「それならまた明日にしない? その、お母様もいろいろ疲れているだろうし……」 「いえ。すぐに済むので。お姉様は先に戻っていてください」
にぱ、と笑ってから、私はきびすを返して食堂へと戻った。
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「なに」
食堂に入るなり、母から声をかけられる。 まるで警戒を促す獣のような声に、私は思わず足を止めてしまった。
父がいない時、母は部屋に引きこもるか、食堂で酒を飲んでいる。 今日は後者らしく、テーブルにはワインのボトルが置かれていた。
「用がないなら出て行きなさい」 「いえ。少しお話したいなと」 「……はぁ」
母は何も言わず、ボトルやグラスをそのままにして席を立った。 私を無視して部屋に戻るつもりらしい。
「待ってください」
会話が失敗するのはまだいい。 しかし何もできないで終わるのは嫌だ。
横を素通りしようとする母の手を掴むと、彼女は鬱陶しそうに睨んでくる。
「ソフィーナ。私は疲れてるのよ」 「ごめんなさい。けど、お母様にしか話せないことなんです。オズワルド様とのことで」
オズワルドとの婚約はイグマリート家にとって一大イベントだ。 彼の名前を出された以上、母は足を止めざるを得ない。
……本当はもう少し当たり障りのない話題から入りたかったが、この状態の母の足を止めるにはこれしかなかった。
「—―あなた、まさか殿下に粗相をしたんじゃないでしょうね?」 「してません」 「じゃあ、何?」
ひとまず話を聞く体制にはなってくれた。 よし。
「実は――」
私が話した内容は「オズワルドが本当に自分を好いてくれているか不安」というものだ。 ノーラ風に言うと「恋バナ」。
正直、ノーラの言う恋愛と貴族の婚約は同じようで違う。 好き同士で婚約――いつぞやのループでのアレックスとお姉様のように――することもあるだろうが、かなり少数だ。 大半の貴族は好きでもない相手と結婚をして、義務で家庭を構築する。
母は典型的な後者だ。 父はもちろん、お腹を痛めて産んだ子供すらも蔑ろにして家柄に縋りついている。
「どうしてそんな風に思ったの」 「……え?」 「答えなさい。どうしてそんな風に思ったのか」 「え、えーと」
意外にも母はちゃんと話を聞いてくれた。 想定では「くだらない感情を挟むな」と叱られると思っていたのでこの反応は予想外だ。 予想外すぎて、次に繋がる会話を用意していない。
「わ、私をあまり淑女として扱ってくれないというか……なんだか婚約者というよりお友達とか、そういう風に思われているのかなぁ、と」 「つまり具体性のない、単なる漠然とした不安、ということ?」 「そ、そうなります……ね」 「……はぁ」
盛大にため息を吐く母。
「ソフィーナ。そんなことで不安になるなんて自己鍛錬が足りていない証拠よ。今の立場に甘んじず、もっと自分の内面も外面も磨きなさい」 「は、はい」
親身という訳ではないが、ちゃんとした助言をくれた。 機嫌が悪い母らしからぬまともさだ。
意外だ。 意外すぎて反応に困る。
「あなたは私の子よ。自信を持ちなさい」 「……あ、ありがとうございます」
励まし(?)のような言葉もくれた。 ……本当に、反応に困る。
「わ、私もお母様みたいに綺麗だったらこんなことで悩まずに済んだのになぁ。はは、ははは」 「何を言ってるの。あなたにも私の血が流れているのよ」
私はどちらかと言うと父に似ている。 母の子であることは間違いないが、外見は本当に似ていない。
「お姉様がうらやましいです」
母は(性格にさえ目を瞑れば)本当に美人だ。 そしてその美しさを構成する要素はお姉様に受け継がれている。
「そうね。見た目は確かに似てないわね。けど、中身はよく似てると思うわ」 「えっ」
私はこんなにも性格が悪いのだろうか。 そんなことは――。
(反論できない)
これまで数々の人間に酷いことをしてきた手前、否定はできなかった。
母はおもむろに私の頭に手を置いた。 掴むと撫でるの中間くらいで、どちらがしたかったのかは定かではない。
「なにせ、オズワルド殿下の婚約者になったのだから、ね」
――オズワルドの婚約者になった……?
会話の前後が繋がらず、私の頭に「?」が浮かんだ。
「お母様、それって、どういう……」 「リズベラ。リズベラはいるかしら」
問おうとする声を遮り、母はベルを鳴らした。
「はい、ここに」 「ワインセットを私の部屋に運んで頂戴。今日はそっちで飲むわ」 「かしこまりました」
それで話は終わりだと言わんばかりに、母は手を離した。
「あ、あの!」 「話は終わりよ。もっと自分磨きをなさい」
母は振り返ることもなく食堂を去って行った。
食堂に残された私は、ぽつりと独り言をつぶやく。
「……ノーラの言う通りだ」
私は、両親のことを何も理解していない。 それは同時に、理解の先にイベント攻略のヒントが存在していることを示唆していた。