最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#115 第十九話「指先をかすめる感触」


「お父様。少しいいですか?」

 夕食時にいなかった父は、翌朝には帰ってきていた。  帰りが遅い次の日はずっと家にいることが多い。  貼りついてずっと雑談したいところだが、オズワルドとの勉強会がある。

 なので、チャンスは朝か夜の二回だけ。  それを逃す手はない。

「ソフィーナ。早く支度しないと迎えの馬車に遅れるわよ」 「まあまあ、いいじゃないか」

 言外に早くどっか行け、と言う母をなだめる父。  感情的な母に対し、父は割と合理的だ。

 ループ前の私の処遇に対し、お姉様が強く出ても反論はすれど叱るようなことはしなかった。  プライドの高い父が娘から反論されたら喧嘩に発展してもおかしくないのに、そうはならなかった。  何故か?  あの時はお姉様がオズワルドの婚約者だったからだ。

 王族の婚約者というのは、それだけ今のイグマリート家にとっては重要なのだ。  ノーラを家に――庭先までだが――招けているのも、オズワルドをうまく手懐けている私の機嫌を損ねまいとしての措置だ。  普通だったら「ダメに決まっているだろう」の一言で取り合ってもくれないだろう。

 婚約者を無理やり入れ替えた当初こそ悪感情を向けられたが、その影はもうない。  私に悪感情を持たれないようにと合理的に判断して、真摯に耳を傾ける真似はしてくれる。

「私もお前も朝は忙しい。手短にな」 「ありがとうございます」

 私は用意したいくつかの話題の中から、短いものを選んで出した。  しっかり予習してきたので、以前のように言葉に詰まるようなことはなかったが……前日の母のような、思わぬ一面を垣間見るということもなかった。

(焦らずゆっくり行こう)

 辛抱強く我慢することは――不本意だが—―得意だ。

 ▼ ▼ ▼

「ソフィーナ、最近はよくお父様やお母様とお話しているわね」 「はい。どうかしましたか……?」

 両親との雑談を始めてから二週間ほど経ったとき、お姉様がぽつりとそんなことを言った。  私がいつもと違うことをして、それをお姉様が心配する。  もはや様式美となりつつあるいつもの会話。  今回は単に両親と話しているだけだから大丈夫かと思ったが、やはり余計な心配をかけてしまっているのだろうか。

「ふふっ」 「お姉様?」 「ううん、ごめんなさい」

 私の予想に反し、お姉様はくすりと笑ってくれた。

「あなたが話をするようになってから、お父様の機嫌が良くなった気がするわ」 「そ、そうですか?」 「ええ。あなたに話しかけられるのが嬉しいみたいね」

 家督である父の機嫌はそのままイグマリート家の中の雰囲気に直結する。  母の機嫌が悪くとも、父が良ければ全体として雰囲気は良くなる。

 今回の雑談は浮気イベントを攻略するための情報収集――の、前段階のつもりだったが、そんな副次効果があったとは……。  イベントを乗り越えたらもう話しかける理由はなくなるが、お姉様に良い影響があるのならその後も取り入れていいかもしれない。  ただし、話しかけるのは父の影響力を失うまでだ。

 浮気イベントを乗り越えれば自然と父の威厳は失墜する。  以降は顔色を伺う必要もなくなるので、それまでの期間限定なら……ありかもしれない。

 ▼ ▼ ▼

 一か月が経過した。  雑談を繰り返し、分かったことがある。  父に話しかける際、母が想像以上に鬱陶しいことだ。

「ソフィーナ。毎日毎日いい加減にしなさい!」

 家にいる間、父と母はほとんど一緒にいる。  そういう認識は以前から持っていたが……本当に、ずっと一緒にいる。

 食事、執務、散歩、ティータイム。片時も離れることがない上、父と雑談しようとするといつも邪魔をしてくる。

「この人は疲れているのよ」 「ソニア。私なら大丈夫だ」 「けど、あなた……」

 ゴチャゴチャ言ってくる母を父がなだめる。  父に話しかける時の様式美になりつつあった。

「愛娘がこうして話しかけてきてくれているのに、疲れているも何もないだろう?」 「………………あなたがそう言うのなら」

 不満たっぷりな声の母。  雑談のおかげで父との仲は以前より良くなった……気がする。

 しかし母とは初日以降、話せていない。  どうにも機嫌が最強に悪いらしく、いつも以上に邪険にされてしまう。  ノーラ風に言うと「塩対応」というやつだ。

 お姉様は父の機嫌が良くなったと言っていたが、母がこんな調子では差し引きゼロだ。  いや、むしろマイナスかもしれない。

「—―すみません。気分が優れないので私は先に失礼します」

 いつもは父と私が話し終わるまで待っている母だが、今日は先に席を離れた。  私に対する当てつけのように扉を強く閉め、バン、と大きな音が食堂に響いた。

「すまないな。ソニアも悪気がある訳じゃないんだ」 「分かっていますよ。こんな風に大好きな人を独り占めされたら、私だって怒っちゃうかもしれません」

 連日の雑談のおかげか、そんな冗談めいたことも言えるようになっていた。

「なんと言っても、お父様とお母様はラブラブですもんね! 私もオズワルド様とそうなれるようになりたいなぁ~」

 ヴォエ!  久しぶりに心の中で吐きながら、私はオズワルドを心から慕っているアピールをした。

 父は笑いながら「頑張れ」と言ってくれるかと思っていたが、予想外の反応を示した。

「ラブラブ、か……」

 父は。  表情に影を落とし、絞り出すようにこうつぶやいた。

「本当にそうなら良かったんだがな」 「え?」

 声を上げた次の瞬間、父は元の様子に戻っていた。  見間違いかと錯覚するほどの刹那だったが、確かに聞いた。

 長きに渡るループを見渡しても聞いたことのない、悲痛ともいえるような父の声を。

 ……何か。  何か、大きなヒントが指先をかすめる感触がした。