「待て、ソフィーナ」
帰りの馬車にて、降りようとした私をオズワルドが引き留めた。 家庭教師の目の届かないところで怒るつもりなのだろうかと、私はやや警戒しながら振り返る。
「はい。なんでしょうか」 「……」
オズワルドは私の横を通り抜け、なぜか先に馬車を降りた。
「オズワルド様?」 「……ん」
何をするのだろうとみていると、彼はややそっぽを向きながら手を差し出した。 私の手を取り、降車を手伝ってくれるつもりらしい。
これが彼なりの優しさからくる行動……なのだろうか。 一応、説教は効いているみたいだ。 何日もつかは分からないが。
「ふふ。ありがとうございます」
理由はどうあれ、他人のことを考えてくれるのはいいことだ。 私は彼の手を取り、馬車を――
「わぁ!?」
降りようとして、オズワルドにぶつかった。 馬車はそのまま降りようとすると地面と高さに違いがある。それを緩和するためのステップが付いている。 そこに足を置こうとしたときにオズワルドが手を引いたため、踏み外してしまった。
「だ、大丈夫ですかオズワルド様!?」
幸いにもオズワルドの上に覆いかぶさる形になったので痛みはなかった。 代わりにオズワルドが地面に頭をぶつけていた。
「こ、この――!」
転んでしまった恥ずかしさと痛みで顔を真っ赤にするオズワルド。 私は噴火寸前の山を想起した。
一応、優しくするというお題目をこなそうとしてくれていたんだ。 いつもの理不尽に比べればまだいい――と、私は甘んじて彼の怒りを受け止めることにした。
「—―—―……」 (あれ?)
しかし、いつまで経ってもオズワルド山は噴火しなかった。
「優しく、優しく、だ……」
ぶつぶつと呪文のようなものを唱えながら、オズワルドは私に引きつった笑みを向けた。
「は、はは! ソフィーナはドジだな。次からは気を付けろよ!」
服に付いた汚れを払いながら、すれ違いざまに、ぽん、と肩を叩いてくる。
「じゃあまた明日な!」 「……あ、はい」
オズワルドはぎこちない笑みのまま帰って行った。
「……」
優しくなってくれようとしているのはいいことだが、かなり無理をしている。 変に我慢しすぎて大噴火するようなことにならないといいけど。
「早めにガス抜きの時間を作るか」
一応、留意しつつ私は屋敷の中に入った。
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「おかえりなさいソフィーナ」 「お姉様、ただいまです!」
家に戻り、すぐさまお姉様成分を補充する。
「お母様はどこにいるかご存知ですか?」
時刻は夕方。 この時間、父はまだ帰ってきていない。
「お母様? たぶん部屋にいると思うけど」 「ありがとうございます」
挨拶もそこそこに、私はすぐに母の元に向かった。
「お母様! お話しましょう」 「急に何よ」
今日も母は塩対応だった。
「実は、すごく気になることがあって」 「……はぁ。何?」
気だるげに身体を椅子の背もたれに預ける母。 機嫌の多寡を示す扇子は広げていない。 虫の居所は悪くないが、良くもないといったところか。
とはいえかなり微妙なところだ。 出て行けとあしらう気はないが、真面目に話を聞いてくれる気もあまり感じられない。 緊張で身体が強張るが、別に一度きりという訳でもないし、母が答えてくれなくても父がいる。 努めて気楽に、私は雑談を始めた。
「お父様とお母様って、どこで出会ったんですか?」 「……」
ぴくり、と母が反応を示した。
「どうしてそれを知りたいの」
その言葉は極めて平坦で、含まれる感情が読み取れない。 単純な疑問とも捉えられるし、何か裏があり、それを勘繰られるのを嫌がっているとも捉えられる。
「オズワルド様が陛下とお妃様が出会った時の話をしてくださったんです。そのお話を聞いて、そういえばお父様とお母様ってどうやって出会ったんだろう? って思って」 「……そう」 「どうかしましたか?」 「別に。そういえば話したことがなかったわね」
母は私の方に身体を向けた。
「と言っても、別に話のタネになるほど面白いものじゃないの」
母が語る二人の馴れ初めは、簡単に言うとお見合いだ。 商家の娘だった母。 たまたま縁談を探している折に、父と見合いの場を設けてもらえた。 そして二人はすぐに意気投合し、今に至る――という訳だ。
「商家の出身だったんですね」
母は何でもないことのように語っているが、結構すごいことだ。 腐っても父は公爵家。当然、相手にも相応の家柄を求める。 母の出自は最低でも伯爵くらいだと考えていたので、かなり意外だった。
「意外だって思ってるでしょ。商家ごときが公爵とは釣り合わないって」 「あ、いえ、そんなつもりは」
口には出さなかったが、母は言外にそういう意味と受け取ったらしい。 意外とは思ったのは事実だが、商家ごとき――とは思っていない。 機嫌を損ねるかと思ったが、そうはならず、母はむしろにやりと笑った。
「実はね。これにはからくりがあるのよ」 「からくり?」 「そ。実は曽祖父の頃、イグマリート家に貸しがあったの」
イグマリート家が公爵家に格上げされたのは曽祖父の代だ。 その当時、国内でも有力な商家だった母の実家は、まだ力の弱い頃のイグマリート家に何かと便宜を図っていたらしい。
「みんなすっかり忘れてたんだけど、実家が危なくなった時にそのことを思い出したの」
かつての借りを返してもらう形でお見合いの場を設けてもらった。 だから公爵家と商家という歪な組み合わせでお見合いが成立したのか、と私は納得した。
家柄は違えど、婚姻という形で縁ができれば助けざるを得なくなる。 娘を差し出してイグマリート家に資金援助してもらい、母の実家は窮地を脱したんだろう。
……あれ。 そこで私は首を傾げた。 母の実家の人間が訪ねてきたことも、母が実家に戻ったことも、これまでに一度もない。 未来で見ることになるイグマリート家の資産管理表にも「どこかの商家に送金した」なんて記録はなかった。
嘘をつかれている? いや、そういう雰囲気は感じられない。
「あの、お母様」 「なに?」 「イグマリート家にお母様が嫁入りして、ご実家を助けてもらったんです……よね?」
突っ込んで聞くと、母はあっさりと首を横に振った。
「いいえ?」 「え?」 「資金援助をしてもらう。そういう手筈だったんだけど、一歩遅かったの」 「えーと。それじゃあ」 「ええ。私の実家はもうないわ」
どこか嬉しそうに、母はそう語った。
「その時のゴタゴタで一家離散しちゃって、父も母も姉も、みんなどこにいるのかも分からないの」
暗い話だから無理に明るく言って雰囲気をやわらげよう、とか、そういうものではない。
「きっとみんな死んじゃってるでしょうね」
その笑顔は、寒気を感じるほどに誇らしげだった。