最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#125 第二十九話「鋏」


 以前、父はこう言っていた。  母の家族は黒染病の流行でみな亡くなってしまった、と。

 一方で母はこう言っていた。  私の家族は資金難により離散してしまった、と。

 私は当初、どちらかが噓をついていると思っていた。  しかし真実は違っていて、どちらも嘘をついていた。

 二人が本当のことを言わなかった理由は、イグマリート家の威厳を守るため……というところだろう。  研究が進んでいるとはいえ、黒染病が未だに恐ろしい病気であることには変わりない。  真実を知るには、今の私はまだ幼すぎると判断されたんだと思う。  それはまあいい。

 問題は母だ。  エルヴィス陛下は父と母の馴れ初めについてこう言っていた。  「ソニアが猛反対を押し切り、レブロンと結婚した」と。  しかも本来、父と結婚するはずだった姉を押しのけて、だ。

 ここも私が聞いた話とまるで違っていた。  今まで見てきた母の行動原理からはあまりにも逸脱している。

 私は父について、大きな勘違いをしていた。  イグマリート家の家柄にこだわり、そのためなら何だって切り捨てられる非情で薄情で、かつ軽薄な男。  私は長らく父を「くだらない野心に囚われている可哀そうな奴」だと嫌悪していた。

 けれど本当の行動原理は、死んでいった兄たちに恥じないため――だったのかもしれない。  行き過ぎた行動を見てきたが、それならまだギリギリ――お姉様に迷惑をかけること以外は――納得できる。

 同様に、母に関しても勘違いをしている可能性が出てきた。  陛下の話を鑑みるに、母の行動原理は――。

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「ソフィーナ?」 「……へ?」

 呼ばれて振り返ると、お姉様とリズベラがこちらの顔を覗き込んでいた。

「どうしました? お姉様……と、リズベラさん」 「どうしたも何も、さっきからずっと呼んでいたんですよ? 夕食のご用意ができました、って」 「声をかけても上の空だから、何かあったんじゃないかって心配したんだから」

 呆ける私に、リズベラとお姉様が交互に経緯を説明してくれる。  どうやら考えに耽りすぎて、周りの声が聞こえなくなっていたらしい。

「—―すみません。ちょっと考え事をしてました」 「何を考えていたの?」

 軽い問いかけだったが、私が何かに悩んでいないか、困っていないかと心配する気持ちが多分に含まれたものだった。  その気持ちだけで胸の中が温かくなる。

「最近、お姉様とあまりお話できてないなーって」

 花嫁修業はもちろんのこと、それ以外の時間は父と母のことで手いっぱいになっている。  そのせいでお姉様と過ごす時間が減っているのは事実だった。

 考え事で頭がいっぱいになっていたが、口に出してよりはっきりとお姉様成分の枯渇を自覚する。

「確かにそうね。最近のソフィーナはお父様とお母様にばかり話しかけているから」

 ふふ、と笑い、お姉様は私の頭を撫でた。

「あんまり構ってくれないと、寂しくて魔法の練習、しちゃうかもしれないわよ?」 「そ、それはダメです!」 「冗談よ」

 心臓に悪い冗談だ。

「ソフィーナの気が向いたら、またゆっくりお話しましょう」 「はい。必ず」

 気が向くも何も、私はお姉様にしか向いていない。  どんな道を辿ろうと、最後はお姉様に辿り着く。

 それこそが、私の行動原理なのだから。

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「おかーさまっ! お話しましょ」

 夕食後。  私は父の元へ行こうとする母を遮り、手を引っ張った。

「ソフィーナ、私はあの人と大事な話が」 「まあまあ、いいじゃないか」 「よくありません! 明日はフィンランディ家主催の懇親会なんですよ。事前に打ち合わせをしておかないと」 「それについては朝に話そう。起きてすぐのほうが頭もよく動く」 「……………………。あなたがそう言うのなら」

 不満たらたらが透けて見える返答だったが、父は気にした風もなく自室に戻った。  その背中を見送った後、私をじろりと睨んでくる。

「で、なんなのよ」

 父と話していた時よりも三段階ほど低い声で、母。  察するまでもなく機嫌は悪くなっている。

「大事なお話があるのにごめんなさい。けれど、どうしても聞きたいことがあって」 「なに?」 「お母様の、お姉様についてです」

 食後のワインを飲もうとしていた母の手が、ピタリと止まった。

「—―誰から聞いたの」 「エルヴィス陛下です」

 下手な人物を挙げても説得力がないので、ここは正直に打ち明ける。  陛下の名前を出せば少なくとも怒りが湧くことはないはず……という打算もあった。

「陛下と……!? どこで話したの!?」 「たまたま今日、オズワルド殿下の様子を見に来られまして。その際に、少し」

 含みを持たせる言い方で止める。  それだけで細かなシチュエーションは勝手に補完してくれるだろう。

「お母様。婚約者を交換したという話は本当ですか」 「……ええ。本当よ」

 確信に切り込むと、母はあっさりと白状した。

「その、理由をお伺いしてもいいですか?」 「あの女はあの人に相応しくなかった。それだけよ」

 フン、と鼻を鳴らす母。

「あの女はあの人のことをパッとしないだの、公爵家らしくないだのとゴチャゴチャ抜かしてたけれど……ただ単に『私は殿方を見る目がありません』って自己紹介していただけなのよ。そのとき婚約していた私の男をもの欲しそうに見ていたから、だったら交換しないかって持ちかけただけ」

 憤りと愉悦。  相反する感情が混ざった曰く形容しがたい表情で、母は中空を見上げた。

「私の家族はね、みーんな目が曇っていたの。そんなの家族だなんて思いたくもない」 「だから、資金援助をわざと遅らせて……」 「あら。エルヴィス陛下はお喋りな方ね」

 先ほどまでの機嫌の悪さはどこへやら。  一転して上機嫌になった母は、二本の指を立て、それを動かした。  まるで、庭師が使う枝切りはさみのように。

「さんざんあの人を馬鹿にした癖に、いざイグマリート家が力を取り戻したらすり寄ってくるなんて、都合がいいと思わない? そんな家族が残っていたら、あの人のためにならないわ――だから、の」

 ――母の言葉で、はっきりと理解した。

 やはり私は、とんでもない勘違いをしていた。  母は自分のプライドのためにイグマリート家へ嫁入りしたんじゃない。

 父を、心の底から、病的なほどに愛していたんだ。