最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#127 第三十一話「目と鼻の先」


「けど、ソフィーナのお父さんも悪い人だね。自分のことが大好きな奥さんがいるのに浮気するなんて」

 眉をひそめながら、ノーラは低い声を出した。  私の前だからと遠慮しているが、その表情には隠し切れない嫌悪感が現れている。

 クレフェルト王国において、貴族が複数の女性をめとることは珍しくはない。  父のようにこそこそしていれば後ろ指を差されるが、正式な手順を踏めば咎められたりはしない。  しかしニホンにおいてはれっきとした罪だ。  複数の女性を娶れば捕まり、牢に入れられる。

 こちらの世界に順応しているとはいえ、ノーラはやはり神の世界あちら側の人間だ。  あの世界の倫理観で物事を見て、考えている。  父に対する嫌悪感は私以上だろう。

 とはいえ、父の苦労ももちろん分かる。  黒染こくせん病で家族がいなくなり、いきなり当主に据えられた。  そのときの心労がどれほどのものだったかは察するに余りある。

 私もシナリオの都合上、当主めいたことは何度も経験していた。  けれど私と父では状況がまるで違う。

 私は分からないところは聞ける相手がいたし、失敗してもやり直しができた。  一方で父は相談できる相手はおらず、失敗もできない。

 私の想像が及ばないほどに父の絶望は深かっただろう。  それら重圧をすべて跳ね除け、傾いたイグマリート家を完全に立て直したことは素直に賞賛できる。  なんだかんだ言いながら幼少期を何不自由なく過ごせているのは父のおかげだし、居るだけでお姉様にもいい影響を与えている(はっきりとした因果関係は分からないが、早い段階で両親を排除するとお姉様は不安定になりやすい)

 苦難を乗り越え、家を立て直し、仕事を成功に導いた。  頑張ったのだから褒美くらいあっても然るべきではあるが……。

(どんなに理屈をこねくり回しても、浮気は擁護できないよなぁ)

 だったら正規の手順を踏んでめかけを――と思ったが、すぐにかぶりを振った。  あの母にそんなことを言えるはずがない。  娘の目元が似ているだけで嫉妬するくらいだ。  「妾が欲しい」なんて言い出した日には血を見ることになるだろう。

 私が生まれる前、実際にそういうトラブルがあったのかもしれない。  父が母に提案し、母が激怒した。  だからこっそり浮気している。  ……そう考えると辻褄は合う。

「他のことだったら何をしててもいいんだけどな」

 ちょっといい服をあつらえるとか、趣味にお金をかけるとか、それくらいならまだ理解できるのに。  どうして一番ダメな浮気に走るんだ……。

「浮気しちゃうくらいお母さんに魅力を感じてないのかな」 「そんなことは……ないと思うけどなぁ」

 母は私たちには厳しいが、父には逆らわない。  仕事のサポートもしてくれるし、毎日構ってもくれるし、何より見た目もいい。  「母」としては微妙だが、「妻」としてはかなり良い部類に入るのではないだろうか。  ちょっと病的だけれど。

「愛されるよりも愛したいってタイプなのかな」 「違う……と、思う、けどなぁ」

 父は愛されたいタイプのはずだ。  ……あれだけ色々間違えていた手前、断言はできないが。

「……あ。鐘の音だ」

 ゴーン、と街に鳴り響く鐘の音に、私たちは同時に空を見上げた。  夕刻を告げる鐘。それは作戦会議終了の合図でもあった。  私がうじうじしていたせいで、いつもの半分も話ができなかった。

 ちょっと消化不良感は否めないが、まあ仕方がない。

「まだ解決策は見えないし、もう少し様子を見ることにするよ」 「うん」

 広げていた敷物などをしまいながら頷くノーラ。

「早くお父さんとお母さんがラブラブになってくれるといいね」 「それができれば苦労はないんだ……けど、な?」

 ノーラの言葉が、何かに引っかかった。

「—―」 「どうしたの、ソフィーナ?」 「……」

 小首を傾げるノーラに反応を返せなかった。  何か返事をしたら、いま感じたこの感覚は永遠に記憶の底に沈んでしまう。

 いつもなら見落としてしまう、小さな小さな違和感。  それはまるで、指先をかすめるかのように――。

「それだ!」 「え、ななな何!?」

 急に大きな声を出した私に、ノーラがびくりと肩を跳ねさせた。  彼女の両肩を掴み、私はもう一度叫んだ。

「ラブラブだ!」 「………………はぁ?」

 ▼

 以前のループで、私は父にこんなことを言った。

 ――なんと言っても、お父様とお母様はラブラブですもんね!

 それに対する父の反応はこうだった。

 ――本当にそうなら良かったんだがな。

 あの時は「妙だな」くらいに思っていたが、いろいろと明らかになった今だとその反応はおかしいと断言できる。

 母は父を愛している。  これは確定した事実だ。

 なのに父のあの言い方は、母に全く愛されていないかのようだった。  実家を切り捨ててまで嫁いで来たというのに。  実の娘に嫉妬してしまうほど愛しているのに。

「もしかして」 「ああ」

 そこまで説明して、ノーラもピンと来たらしい。  答え合わせをするように、お互い同時に正解を口に出す。

「ソフィーナのお父さんは」 「愛されて、という勘違いをしている」

 かつて私が母の本質を勘違いしていたように。  父も、母のことを勘違いしている。  実家を捨てて尽くしてくれる良妻ではなく。  イグマリート家にすがり付き、利権を貪る毒婦であると。

 それによって気持ちにすれ違いが生じ、父は自分を愛してくれる存在を求めて浮気に走った。  そう考えると、すべての辻褄が合う。

「—―今夜、それを確かめる」 「うん」

 視線を合わせて頷き合い、私たちはそれぞれ帰路についた。  もし、この仮説が合っているのだとしたら。

 イベントの完全攻略は、もう目と鼻の先だ。