「私には三人の兄がいた。三人とも例外なく優秀で、みな将来を期待されていた。しかし、私はそうではなかった」
父に三人の兄がいたこと。 全員が優秀だったこと。 そして……父がそれほど優秀ではなかったこと。 ここまではエルヴィス陛下が言っていたことと一致する。
「何をしようにも兄たちに勝てず、父の期待に応えられずいつも殴られ、納屋に放り込まれていた。兄たちは一を教えられると十できるようになるのに、私は十を教えられても一しかできない。そこでついたあだ名が『出来損ない』だ」
陛下は父のことを「当主の器たる人物ではない」と言っていたが、それがかなり気を遣ったものだったことが分かった。
「挽回しようともがいたこともあったが、全部無駄だった。終いには使用人たちからも笑われる始末だ。何のために生まれたのか分からず、毎日を生きるだけで辛かった」 「……お父様」
出だしから不穏なものを感じてはいたが……父の話は、予想を超えて酷いものだった。 苦しそうに話す父の声が、言葉が、表情が突き刺さる。 その時の絶望が、手に取るように分かってしまう。
私もそうだったから。
「本気で馬車の前に身を投げ出そうかと考え始めていた頃、黒染病の大流行が始まった。同時に私は地下牢に閉じ込められた」 「どうしてですか?」
衛兵の詰め所にある地下牢。 お姉様が奇病に罹った際、医者が解剖部屋にしていたが……あれは例外的な使用法だ。 本来は屋敷に無断で立ち入った泥棒などを一時的に閉じ込めておく場所であり、住人が閉じ込められるなんて、よほどの理由がない限りない。
「いわゆる生贄という奴だ」 「生贄?」 「古い慣習の名残だよ」
大きな厄災が起きた際、神の怒りを鎮めるために生贄を捧げる――なんて風習がかつて存在していた。 どうやら父の父――つまり私の祖父は、それを「家の人間をひとり差し出せば他の者は助かる」という風に解釈したらしい。 実に都合の良い理屈ではあるが、それを一笑に付すことはできない。
治療法も分からない謎の伝染病が大流行していたのなら、集団でパニックになっておかしな行動を取ってもそれほど不思議ではない。
人間は、自分が思っているほど理性的ではないから。 何度も戦争を経験し、私はそれを学んでいた。
「私は地下牢で七日間、放置された」 「一週間も……!? よく持ちこたえましたね」 「運よく雨が続いてな。地下牢の壁から染み出す雨水を舐めてなんとか生き永らえた」 「……」
言葉を失ってしまう。 苦労知らずの父だとばかり思っていたが、そんな壮絶な経験をしていたなんて。
「七日目の朝、イグマリート家の異変を聞きつけてやってきたクレフェルト王国軍によって救出された。療養を終えた私に告げられたのは、使用人を含めた全員の死と、私がイグマリート家の当主になったことだった」
イグマリート家の異変。 父を生贄にして黒染病から逃れようとした祖父たちが死に絶え。 生贄に捧げられたはずの父だけが生き残った。 これほど皮肉な話もそうないだろう。
「その日から、私は、私が生まれた理由を見出した」
ぎゅう……、と、音が鳴るほど拳を強く握りしめながら、父は続けた。
「イグマリート家をこれまで以上に繁栄させ、『出来損ない』と決めつけていた父たちの言葉を否定してやるんだ、とな」 「お父様……」
父がイグマリート家の繁栄にこだわる本当の理由。 それは死んでいった家族に恥じないため――ではなく。 自分を馬鹿にした連中の言葉を否定するための「復讐」だった。
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復讐を胸に新たな人生を進み出した父。 人間の力は未知数だ。 環境、心境、立場、心構え。そういったもので出来損ないが勇猛果敢な戦士に変貌することだってある。
しかし父の場合はそうではなかった。 当主になった直後は祖父たちが言っていた通りの『出来損ない』の印象を払拭するほどの活躍はできなかったそうだ。
それに加えて「イグマリート家は病弱な家系なのでは」といううわさ話にも苦しめられた。 息まいて当主になったはいいものの、何もかもがうまく行かない。 父の精神が限界まで追い詰められる中、さらに追い打ちをかけるような出来事が起こった。
「私にはソニアの前に婚約していた人がいたんだが……彼女から婚約の解消を打診されてね」 「そ、そうなんですね」
エルヴィス陛下と母からなんとなく経緯は聞いているが、話がややこしくなるので知らない体で通しておいた。
父は、母の姉のことをそこそこに好いていたらしい。 商人ということもあって色々と手助けもしてもらっていたため、信頼も置いていた。
しかし、相手はそうではなかった。 冷静にイグマリート家の資産状況、そして父本人の能力を鑑み――「なし」と判断した。
信頼を置いていた婚約者からあっさり三行半を突き付けられ、父はぽっきりと心が折れてしまった。
「やはり『出来損ない』は『出来損ない』だったんだと思い知らされ、私は自分の代でイグマリート家を終わらせる決心をした。それを止めたのがソニアだ」
突然押し入って来た母は、呆然とする父にこう宣言した。
――今日から私が、あなたの婚約者です!
押しかけ妻となった母は父を励まし、協力し、寄り添った。 今のイグマリート家があるのはその後の父の頑張りもあるが、それを支え続けた母の献身あってこそだ。
なんとも美しい話だ。 それはいい。 それはいい……のだが。
「お父様。質問してもいいですか?」 「ああ」 「今の話のどこがお母様に愛されていないことに繋がっているんでしょうか……?」
婚約者を交代してまで潰れかけのイグマリート家に入り、折れた当主を支え続けた。 どの角度から見ても愛されている以外の結論には辿り着かないはずだが。
「決まっているじゃないか」
しかし父は下唇を噛み、苦虫を嚙み潰したようにぎゅっと目を瞑った。
「こんな出来損ないの私を愛す人間なんて、いるはずがないだろう」
……え。
「当時のイグマリート家は公爵家とは名ばかりの没落寸前の状態。そして当主は婚約者にすら見捨てられた冴えない男。こんな状態に嬉々として飛び込んでくるなんて、何か腹黒いことを考えているか、頭がおかしいとしか思えないだろう」
当時の状況と父の心境。 それが悪い方向に重なり、母の愛は「何か裏があるもの」と勘違いされていた。
母は父を「無条件で愛していて、気持ちが通じている」と勘違いしている。 父は母から「こんな自分が愛されるはずがない」と勘違いしている。
些細ではあるが、決定的なすれ違い。 このすれ違いが土台となり、浮気イベントが発生していたんだ。
(なら、これを解消すれば――!)
敵を理解し、イベントの原因を消し去る完全攻略。 ――トゥルーエンドへの道筋が見えた。
逸る心を抑えつつ、私は努めて冷静に話しかけた。
「お父様。落ち着いて聞いてくださいね?」 「……なんだ」 「お母様、お父様のことめちゃくちゃ好きですよ?」 「はっ。お前までそんなことを言うのか」 「いや本当ですって」 「ソフィーナ。貴族がみんなお前のように愛する人と結ばれるなんて考えてはいかんぞ。むしろそうでない人の方が大半だ」 「ですから、母はその少数派……」 「いいや。信じない信じない」
簡単、と思ったのも束の間。 この頑固者の心を変えるのは相当な難易度のように思えた。