最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#132 第三十六話「負けない勝負」


「お父様、おはようございます」 「—―あ、ああ。おはよう」

 にぱ、と笑みを作って挨拶をすると、父は若干肩をびくりとさせた。  最近はずっと母のことを言い続けていたので防御反応を出させてしまっている。  素直に反省し、しばらく時間を置くことにする。

「お母様、お姉様、おはようございます」 「……おはよう」 「私には部屋で言ったでしょう?」 「お姉様には何回でも挨拶したいんですっ」 「ふふ」

 お姉様と顔を合わせてじゃれていると、父がこほん、と咳払いする。

「二人とも、早く席につきなさい」 「はーい」

 あの夜から、父は私を叱らなくなった。  少しだけとはいえ、本性を見せたことがよほど効いているらしい。  もしくは私を通して母の面影を見たのか。  ……いや、これは考えないようにしよう。

 私は母に似ていないし、ヤンデレでもない。

「いただきます」

 食事を口に運びながら、父をそっと観察する。  自信家で尊大だと思っていた父。  それは弱い自分を守るための鎧に過ぎなかった。  本当の父はとても脆くて弱い。  祖父や叔父たちから受けた言葉の暴力に今も囚われ、それを否定するためだけに野心を燃やしている。

 お姉様の精神的な脆さは母から譲り受けたものだとばかり思っていたが、もしかしたら父が由来なのかもしれない。  自信のなさを尊大な仮面で覆い隠す様は、どこかエルヴィス陛下と似ていた。

 ……そういえば、陛下と父は意外にも仲が良い。  趣味(チェス)が同じだから気が合うのだとばかり思っていたが、もしかしたら似たもの同士だから、というのが理由なのかもしれない。

 似たもの……といえば私もだ。  お姉様のあの言葉がなかったら、たぶん私も父や陛下と同様に卑屈を拗らせまくっていたと思う。

 ――少し時間はかかるかもしれない。けれどあなたには普通の人なら諦めてしまうような困難を打ち破る力がある。私はそう信じているわ。

 あの言葉があるから、私は立ち直れた。  父にもそうできればいいのだが……現状、うまい言い方が見つからない。  むしろ強引に行きすぎたせいで話す前に逃げられるようになっている。

 まずは話を聞いてもらえる場を作るところからやり直さなければ。

(場を作る……そうだ)

 ひとつの案を閃き、私はその日の夜、さっそく実行した。

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「お父様っ。お話ししたいことがあるんですけど、お時間よろしいでしょうか」 「っ。すまないなソフィーナ。ソニアと話したいことがあるんだ」 「! そうよソフィーナ。私とこの人はこれから大事な話があるんだから」

 父の方から母に「話したい」ということは滅多にない。  よほど私に話しかけられることを嫌がっているようだ。 「ソニアと話したい」と言った時の母の顔を見れば、疑心暗鬼なんて一発で解けるようなものだが……。

「ほら、早く部屋に戻りなさい」

 私に対して勝ち誇ったような表情を向ける母。  あれだけ憎たらしいと思っていた母だが、本心を知ってからは彼女の一挙手一投足が可愛らしく見えてくる。

「ぷぷ」 「何を笑ってるの!?」 「あ、いえ。すみません」

 疑心暗鬼のせいで父には伝わっていないが、母はただ父が大好きなだけなのだ。

「わかりました。機会を改めますね」

 それだけ言い残し、私はお姉様と一緒に食堂を後にした。

 ▼

 二時間後。  母と父が分かれたことを確認してから、私はすぐに父の元へ向かった。

「お父様。失礼します」 「!? ソフィーナ。まだ起きていたのか」 「やだなぁ。お話したいことがあるって言ったじゃないですか」 「機会を改めると言っていたのはどうした!?」 「ですから、二時間後に機会を改めました」 「屁理屈をこねるんじゃない! 今日はもう遅いから寝なさい!」

 屁理屈だが嘘は言っていない。  私は父の言葉を無視して彼に近づいた。

「く、来るな!」 「酷いですよお父様。実の娘がこうしてお話したいと言っているのに邪険にするなんて」 「何度言われようと私は信じないぞ! ソニアはイグマリート家の財産を狙っているんだ!」

 あれだけデレデレな母に対してこの解釈だ。  拗らせもここまで来ると妄想に近い。

「仕方ないですね。では勝負しましょう」 「……勝負?」

 私は父の書斎にある棚からチェス道具一式を取り出した。

「チェスをして、私が勝ったらほんの少しだけ、母の言葉を信じてみてください。全部でなくていいので」

 私が考えた案は、チェス勝負を仕掛けることだ。  話を聞いてくれないのなら、別軸の舞台を設ければいい。  詐欺師の基本戦略みたいなやり方だが、このさい手段は選んでられない。

「……もし私が勝ったらどうする?」 「今後、この話題は口にしません」

 父はしばらく悩んだ後、ため息を吐きながら私の正面に座った。

「今の言葉、嘘はないな?」 「もちろん。女に二言はありません」

 予想通り、父は乗ってきた。  私はにやりとほくそ笑む。

「ところで……どうしてそこの棚にチェスがあると知っていたんだ?」 「まあまあ。細かいことはいいじゃないですか」

 どこかのループ中に見つけました――なんて言っても信じてはくれないだろう。  適当に誤魔化しながら、私はコマを動かした。

 ▼

 今から数年後。学園にて遊戯大会が開かれる。  チェスやダーツ、トランプ――貴族なら誰もが嗜む遊びで一番を競う催しだ。  学園生活の中でいくつかあるレクリエーションのひとつなのだが……それもお姉様を殺すイベントの一つだ。  大会の裏では「誰が一位になるか」で賭けが行われている。  お姉様がそこで望外の強運を発揮し、一位を取る。  賭博者たちにとってお姉様はダークホースもいいところだったらしく、大金を失う者が続出。  彼らに逆恨みされ、お姉様は大会の後に殺されてしまう。

 それを防ぐためには、私が一位になる必要がある。  一位になるために、大会の項目はすべて死に物狂いで練習をした。  もちろんチェスも例外じゃない。

 おかげで今はハンデありでも学園一位のチェス強者を倒せるほどの腕前だ。  負ける要素はひとつもない。

 勝負は終始、私の優勢で進んだ。  勝利はもう目前――といったところで、父が予想外の場所に駒を置いた。

「えっ」

 思わず声が出る。  どう考えても自殺としか思えないような動かし方だったからだ。  父も上級者なので、そんな場所に置くことは予想もしていなかった。

「どうした。ソフィーナの番だぞ」 「は、はい」

 チェスは常に何手も先を読み合う。  変なところに駒が置かれたせいで、予想していた盤面に狂いが生じてしまった。  置かれた駒から、盤面を予想し直す。

(まあ、どんな攻め方をしても私の価値は揺るが……な…………い?)

 あれ。  あれ?

 おかしい。  私が優勢のはずなのに。  どの方角から攻めたとしても、数手先で逆転される。

 父がおかしな場所に置いた駒によって、すべての攻め手を殺される。

「……気付いたか。思っていたよりも先読みができるようだな」

 父が、にまりと笑う。

「くっ」

 何かの間違いだ。  苦し紛れに駒を動かす。

「ソフィーナがこんなにもチェスが強いとは思っていなくて驚いたぞ。しかし、私を倒すにはまだまだ早いな」

 戦況が変化し、私はあっさりと不利に陥り――そのまま、詰んだ。

「……負けました」

 父は。  これまでのループで出会った誰よりも、チェスが強かった。