最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#135 第三十九話「結実」


 浮気相手の女がイグマリート家の周辺までやって来たことは一度もない。  二人の関係を思えばそれは当然のことだ。

 奴は父に生活費を賄ってもらっている。  それが収入の柱なのだから、二人の関係は絶対秘密にしておきたいはずだ。

 あんな風に「家人に用があります」みたいな態度で外をウロついていたら、何がきっかけでバレるか分からない。  そんなリスクのある行動を取れるはずがない。

 なのに奴はいま、すぐ外にいる。  今までのループになかった行動に、私は混乱した。

 浮気イベントが特定のタイミング以外でバレた場合、待っているのは家庭崩壊だ。

(—―落ち着け。まだバレたと決まった訳じゃない)

 早鐘を打つ心臓を抑え、窓から見える範囲で周囲を確認する。  見回りの人間は彼女の存在にまだ気付いていない。  今なら、あいつを別の場所に誘導できるかもしれない。

(せっかくいい感じにシナリオを進められているのに……邪魔されてたまるか!)

 私は急いで洋服を着替え、部屋の外に飛び出した。

 ▼

 塀の傍までやってきた私は、格子越しに声をかけた。

「あの、何かご用でしょうか」 「!?」

 いきなり声をかけられて驚いたのか、浮気相手の女はびくりと肩を震わせた。

「……」 「? あの、私の顔に何か?」

 浮気相手の女は、こちらをじろじろと観察している。  私はとぼけた顔をしつつ、同じように観察し返す。

 前回のループで見た時は「いかにも」なみすぼらしい恰好をしていたが、今回はちゃんとした服装になっている。

(こうして見ると小綺麗でまともそうに見えるのにな)

 まあ、外見と中身が一致していないことなんて当たり前のようにある。  本物の詐欺師は外見や言動で怪しいところを見せたりはしない。  優しくて物腰穏やかなまま、笑顔で人を騙すのだ。

「不躾に見てしまって申し訳ありません。草むらからいきなり出てきたからびっくりしてしまいまして」 「いえいえ。当家になにかご用でしょうか」 「当主様とお話がしたいの」 「お父様のお知り合いですか?」

 小首を傾げると、浮気相手の女は私と目線を合わせて笑みを浮かべた。

「はい。私はエレナと申します。当主様が管轄する地区にて、調査のお仕事を手伝わせていただいてます」 「お仕事の関係者様なら、門番に言っていただければ案内してもらえますよ」 「実は私、正規の仕事関係者ではないんです」 「というと?」 「……ここでは長話になってしまうので」

 父に会いたいと言いつつ、門番を通すことを嫌がる。  こういう手合いと関わると碌なことにならないのは目に見えているが、今は相手の意図を知りたい。

「では場所を変えましょうか」 「え?」 「どこならお話が聞けますか?」

 私がそう提案すると、相手は意外そうに目を丸くした。

「そ、そうね――いい場所があるわ。ついて来てくださる?」 「はい」

 ▼

 幾度となく人生を繰り返した私は、単なる公爵令嬢では経験できないことをたくさんしてきた。  嫌いな奴との結婚はもちろん、詐欺師を論破したり、暗殺者や騎士と戦ったり、犯罪組織を壊滅させたり。

 多くの経験をしてきた私でも、父の浮気相手と外を出歩くのは初めてだ。

(また嫌な経験が増えたな……)

 相手に悟られないように顔をしかめつつ、浮気相手の女――エレナの後をついて行く。

「ここならいいかしら」

 辿り着いた場所は貧民街と呼ばれる区画の近く。  人通りのない寂れた路地だった。

「さて、私と当主様の関係の話でしたね」 「その前に。私に敬語はいらないですよ」 「そう? なら、普通に話させてもらうわね」

 話しにくそうな敬語を使っていたので、こちらからそれを外させた。

「さっき言った通り、私は非正規の協力者――関係があることを知られてはいけないの」 「どういうことでしょう」 「私の仕事は町民の世論調査。簡単に言うと、管轄区内でイグマリート家の評判を調べることなの」

 クレフェルト王国での公爵の役割として、王都の管轄区の統治がある。  王の膝元とはいえ、管轄区内でのみ適応されるルールを制定できるので与えられた裁量はかなり大きい。  他の公爵家も同様だ。なので、管轄区ごとに税や賞罰に微妙な差異がある。

 ノーラはこの区画のことを「アメリカ方式なんだね」とか言っていた。  アメリカとは神の世界にある大国の名前らしい。  この世界風に言うなら、西大陸のようなものだろうか。

 その差異に対し、町民がどう思っているのかを調べるのがエレナの仕事――とのこと。  調査内容からして、関係があることを悟られないようにすることは……まあ、不自然ではない。

 つまり父は、浮気ついでに世論調査の仕事を頼んでいた……?

 父の行動原理はイグマリート家の繁栄であり、これが揺らぐことはまずない。  浮気は副次的なものに過ぎず、主と副が逆転することは考えにくい。  満たされない(と、勘違いしている)愛情を埋めつつ、主目的の手助けもしてもらう。

(父ならやりそうだなぁ)

 真偽の判断は保留しつつ、ぽんと手を打つ。

「なるほど。関係者だと分かっちゃうと調査がしにくくなるから他人のフリをしているってことなんですね!」 「さすが賢いわね」

 頭を撫でようと伸ばしてきた手をさりげなく避けつつ、次の疑問を投げかける。

「じゃあ、どうして家の前に来ていたんですか?」 「緊急で話さないといけないことができてしまったの。直接会おうにも連絡を取る手段がなくて……」 「なるほど。それで家の前にいたんですね」

 今までのシナリオでエレナが家の前に来るイベントは起きたことがない。  以前までと今回からでは、シナリオの進め方をかなり変えている。  だからエレナの行動が変化した理由――「緊急で話さないといけないこと」とやらが発生した原因はすぐに見当がついた。

 イグマリート家の家族仲が良くなったことだ。  それがエレナにとっての不都合に繋がり、危険を冒して家の前にやって来た。

 そう考えると辻褄は合う。

 エレナにとっての不都合。  生活費の減少――は考えにくい。  イグマリート家の財政状況は悪くなく、むしろ良い状態だ。平民一人の生活費を賄うくらいは余裕でできる。  それに、父は見栄っ張りだ。仮に財政が苦しくなったからといってお金を下げるようなことはしないだろう。

 だとすれば、考えられるのは一つ。

(父からの、浮気解消……)