ぱっとしなかった父との婚約を、母は羨んだ。 私は母の気持ちを知っているので「ああ、純粋に羨ましかったんだな」と理解できる。
しかしエレナはそうではない。 仲が良くなかったらしいので、普段から小言以外の会話――つまり雑談が少なかったと予想できる。 母の真意など、知る由もないだろう。
どちらが図ったわけではないが。 エレナが母の言葉を嫌味と受け取ってしまう土壌は出来上がっていた。
彼女が父との結婚を押し付けるようなことを衝動的に言ってしまったとしても、ごく自然なことのように思えてしまう。
「それで、お母様の反応は……」
娘である私がここにいる時点で先は予想できたが、それでも一応聞いておく。
「すごくいい音で手を叩いて、その手があったわ! って喜んでたわ。あんなにはしゃいだソニアを見たのは後にも先にもその時だけよ」
母はその日のうちに婚約者交代を両親に申し出た。 しかし、すんなりとは受け入れられずに何度も却下された。
いわゆる上流階級層の婚姻には色々な利権が絡んでいる。 たとえ姉妹であっても簡単には交代させられない。 私とオズワルドのように、あっさり「いいよ」と言われる方が稀なのだ。
「何回却下されても全っ然諦めなくて、ついには毎週家族会議が開かるようになったわ」
うんざりした様子で、エレナ。 自分の一言がこんな騒動になるなんて、想像もしていなかったのだろう。 実の姉なのに母の性格を掴み切れていないところからも、会話不足が伺える。
……昔の私を客観視したら、こんな感じなのだろうか、とふと思ってしまった。
(余計なことを考えている場合か)
軽く首を振り、エレナの話に集中する。
「全員で説得したのにそれでも折れなくて。……終いには修道院に入れて頭を冷やそうかって話まで出てきたわ」 「うわぁ」
どうやら母は、当時から父一筋だったらしい。
「そんな時に、事件が起きたのよ」 「黒染病の流行、ですよね?」
私の言葉に、エレナは神妙な顔で頷いた。
「イグマリート家がレブロンさんを残して亡くなったと聞いて、父や母はすぐに婚約を破棄したわ。……私たちを酷いと思う?」 「いいえ」
黒染病が流行した当時、病気に対する理解は今よりも浅かった。 どうやって伝染るかも分からない。治療法もない。罹れば高確率で死ぬ。 そんなものが蔓延している中で、一家全滅した家に嫁ぐなんて真似ができるはずもない。
人から人へ伝染ることのない病気なので、この時のエレナたちの判断は間違いではあるが……それは今だから言える結果論だ。
そんな状況では婚約破棄もやむなしだろう。 もしそれを押し切って父と結婚するような人物がいたとしたら。 よほどの傑物か、周りが見えていない馬鹿のどちらかだ。
「婚約を破棄したと知った途端、ソニアが飛んできたわ」 「……お母様は、なんて言ってたんですか?」 「『婚約破棄したのなら、私があの人のところに嫁いでも問題ないわね!?』って」 「……」
……うちの母は傑物か馬鹿か、どちらなのだろう。 私は手で顔を覆――おうとして、まだ縄で縛られていることを思い出した。
ここ数年の雑談で母についての理解はかなり進んだつもりだったが、さすがにその行動力にはいろいろ驚かされてしまう。 私の母……後先考えなさすぎでは……?
やっぱり馬……いやでも結果的にイグマリート家は盛り返すから、傑物……? かなり判断に迷うところだ。
「もちろん問題は大ありよ。ソニアにも婚約者がいたから」
当時、母にも婚約者がいた。 詳細は知らないが、問題があったとは聞いていないのでつつがなく婚姻まで進もうとしていたのだろう。
しかし結局はエレナが母の元婚約者のところに嫁いだ……と、母からは聞いていた。
「結局は婚約者を交換する形になったんですよね?」 「あいつが家出同然で出て行ったから、そうするしかなかったのよ!」 「あっ、なんかすみません」
ひゅん、と顔の前を刃物が通り過ぎたので、私は慌てて姿勢を正した。
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「その、エレナさんは新しい家に嫁いだんですよね」 「ええ。そうよ」
ナイフを持っていない手で髪を掻きむしるエレナ。
「嫌々交換って風になったけど、正直なところ私は喜んだわ。レブロンさんとは比べるべくもない優良物件だったから。ソニアには彼の良さが理解できなかったんだって、優越感すらあった…………けど」
けど、の部分で三段階ほど声のトーンが下がる。 彼女の声に引っ張られるように、周辺の温度が下がったような気がした。
「あのクソ野郎、とんでもないギャンブル狂だったわ。親が稼いだお金を怪しげな投資話に全部突っ込んで、あっという間に破産……。私の幸せな結婚生活は、一年と経たずに終わったわ。実家に戻ったら戻ったでそっちも商売難で家が傾いてて……何なのよ、もう!」
バリバリ! と音が聞こえるほどに強く髪を掻きむしるエレナ。
「エレナさん。落ち着いてください」 「これが落ち着いていられるかっての! 私の人生、踏んだり蹴ったりよ!?」
話しているうちに過去を思い出したのか、興奮気味になってきている。 まだ核心には触れていないと言うのに……。
(何度かやり直さないと全部聞けないかもな)
戻ることも視野に入れつつ、私は話を先へと進めた。