最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#142 第四十六話「怖いこと」


 あのあと、私は父と共にかかりつけ医の元に連れて行かれた。  父は命に別状こそないものの重傷。  自宅に戻るまで一週間、完治まで一か月はかかる見込みだとされた。

 魔法があれば半分くらいの時間で治せるが、クレフェルト王国の治癒魔法の使い手はかなり限られており、かつ研究も進んでいない。  戦闘稼業と同じく、商売を奪われまいとする旧態依然の組織の妨害によるものだ。  いつもは忌々しく思っていたが、今だけはそれに感謝していた。  父が家に戻るまで一週間。その間に、母への対策を考える時間ができる。

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「家に戻ったら、少しお話しましょうか」

 事の顛末を知った母は、父に対しそんなことを言っていた。  父が怪我をしたと知って見舞いに来た時の泣き顔と、無事だと知って安堵した笑顔と、詳細を知って怒り心頭の顔の落差が今も脳裏に焼き付いている。

 てっきり医者の家で暴れられるかとも思ったが、そこはギリギリで踏みとどまったようだ。

(対策を考える前に、可能な限り母をなだめないとお姉様も危ないぞ)

 以前より家族仲は良くなっているが、母は母だ。  今回の出来事をきっかけに、またお姉様に辛く当たるようになるかもしれない。

 ここで戻ろうかとも考えたが……。

(いや、見届けよう)

 奇病イベントが長引いた原因は、私が早く戻りすぎたためだった。  その失敗を踏まえ、なるべくギリギリまでループを遅らせることにした。

「これでよし、と」 「ありがとうございます」

 父の治療が終わり、今度は私の番だ。  とはいえ額にたんこぶができているくらいなので、布を当てるだけで終わった。

「もう帰っても大丈夫ですか?」 「いえ、ソフィーナお嬢様も今日は泊ってください」 「え」

 てっきり帰れるものだとばかり思っていたので、私は素っ頓狂な声を上げた。

「私、こんなに元気ですよ」 「頭を打っていますからね。大事を見て今日一日、様子を見させてください」 「それは困ります!」

 来る家族会議に向けて対策を練る時間が減るし、何より私がいないとお姉様と母が二人きりになってしまう。  使用人がいるとはいえ、誰に矛先が向くのかは明らかだった。  きっと母は、父への苛々をお姉様にぶつけるだろう。

 それはマズい。

「で、でも――」 「ソフィーナ。言う通りにしなさい」

 扇を広げ、顔を半分隠しながら母がそう告げる。  表情を見るまでもなく「いま非常に機嫌が悪いです」のサインだった。

 今回のイベントを通し、母がどれだけ父を愛しているかが理解できた。  浮気という夫婦最大の裏切りをしていた父への怒りも尤もだと思う。  しかし、それを父以外にぶつけるのはお門違いだ。

「け、けれど……」 「あなたにもしものことがあったらどうするのです。今日は安静になさい」

 母のその一言で、私の眉がぴくりと動いた。  傍から見れば娘を心配する母の言葉のように聞こえるが……たぶん、真意は別だ。

「私がオズワルド様の婚約者だからですか?」

 私に万が一があれば、オズワルドとの婚約に支障が起こるかもしれない。  母が心配しているのはそれだ。

「なんですって?」

 眉間にシワを増やした母の顔を見て、しまった、と口を噤む。  ここで反抗的な態度を取って母を怒らせてもいいことは何もない。  むしろお姉様への危険が増すだけだ。

 完全に悪手だった。

「……あ、お母様。今のは」 「はい、そこまで」

 重くなった空気を散らすように、パン! とお姉様が手を叩いた。

「ソフィーナ。お母様の言う通りよ」 「お姉様……」 「あなたにもしものことがあったら、庇ってくれたお父様や心配する私たちの気持ちまで無下にすることになるわ。だから今日はお医者様の言うことを聞きましょう。ね?」 「…………はい」

 お姉様がそう言った――否、言わせてしまった—―以上、従わない訳にはいかない。  会話の方向を完全に間違えた。

 失敗、の二文字が頭をよぎる。

「……行くわよ、レイラ」

 話は終わりだと言わんばかりに、母はきびすを返した。  慌てて後を追おうとするお姉様の手を、ぎゅ、と掴む。

「どうしたの、ソフィーナ」 「お姉様。もし……もし、怖いことが起こったら、すぐに私のところに逃げてきてください」 「……? ふふ。大丈夫よ」

 お姉様はしばらくきょとんとした後、表情を柔らかくして私の頬を撫でた。

「怖いことなんて何も起こらないわ」 「……ッ」

 私は下唇を噛んだ。  私からすれば母が危険なことは言うまでもない。

 何度もお姉様を追い詰め、何度も心を壊し、殺してきた。  しかしこの人生において母の手は汚れていない。  未遂でもなく、何もしていない。

 危険性は明らかなのに、それを具体的に言うことができない。  ループの弊害だが、これほど辛いと思ったことは久しぶりだ。

「明日、朝いちで迎えに来るからね」

 何も知らないお姉様はそう言って、手を振りながら部屋を出て行った。

(――何も起こりませんように)

 私はただ、何事もなく明日が来るよう願うしかなかった。

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 翌日。  太陽が完全に顔を出す時刻になっても、お姉様は現れなかった。