最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#145 第四十九話「親子喧嘩」


 父と私がいないイグマリート家で、母の苛々は上限を振り切っていた。  目につくものすべてに難癖をつけ、出会う使用人すべてに悪態をつく。

 母は父を深く愛していた。  だからこそ、浮気という裏切り行為を行った父が許せない。

 しかも今回、相手が母の姉ということが判明してしまった。  ただの浮気ですら勢い余って父を殺してしまうような母だ。  相手が肉親と分かればその怒りはさらに倍増することは想像に難しくない。  収まりどころのない溶岩のような怒りが、とめどなく溢れる様子がありありと思い描けた。

「お母様、炎の魔法を使えるのかと思ったくらいよ」 「き、昨日のことは忘れて頂戴……大人げなかったと反省しているわ」

 その時の様子を思い出してくすくす笑うお姉様と、恥ずかしそうに俯く母。  ……傍若無人が服を着て歩いているような母が『反省』という単語を口にする場面を見る日が来るなんて。

 元に戻ったはずの頭の回転が再び鈍りそうで、私は二、三度頭を振るった。  お姉様は続ける。

「今回に関して、お母様の怒りは尤もだと思うわ。私も……将来、そういうことがあったら同じことをしていると思う。そう考えたら、ふと気付いたの。お母様は怒っているんじゃなくて、悲しんでいるんだって」

 お姉様は父と母の結婚の真相を知らないが、それでも毎夜の家族団らんで二人をいつもより間近で見ている。  母が父を愛していることを肌で感じていたのだろう。

 母が怒るのは毎度のことだが、その基準はよく分からないことが多い。  昨日は大丈夫だったものが今日は叱られる、といったことが日常だったからだ。  しかし今回に関しては、怒る理由や気持ちをお姉様が察し、同情することができた。

『好きな人がいる』という共通項が、初めて二人を結び付けた。

「どうにか悲しみを紛らわせられないかなって思って……思い切って部屋に行ったの。そしたらキッチンにナイフを取りに行こうとしてて」

 ナイフ、と聞いていろいろ嫌な記憶が脳裏をよぎった。

「『あの人を殺して私も死のうと思って』なんて言い出すから、冗談でもそういうことは言わないで! って、私、本気で怒ったの」

 今までの母の行動を鑑みるに、それは冗談じゃなかったと思う。  ……普通のシナリオだったら、そこでお姉様は殺されていただろう。  しかし今回、そうはならなかった。

「そこから喧嘩になっちゃって。……いろいろ、いろいろあったの」

 微妙に言葉を濁すお姉様。  改めて母の部屋を見回すと、かなり荒れている。  めくれたカーペット、倒れたタンス、無造作に散らばった本。机には紙が乱雑に折り重なった上にインクがぶち撒けられている。定位置にあった絵画も外れて斜めにぶら下がっていた。  怒り狂った母が手当たり次第に八つ当たりしたのだとばかり思っていたが、何割かはお姉様の『応戦』によるものらしい。

「それでまあ、色々お互いに言いたいことを言い合って……気付いたら布団の中で恋バナしてたわ」 「……え、それだけ? で、ございますか?」

 静かに成り行きを聞いていたリズベラが口を挟む。

「それだけよ。言いたいこととか、溜まってたことぜーんぶ言い切ったら、なんだかスッキリしちゃって」 「はぁ……」

 あっけらかんとそういう母に、リズベラはあまり釈然としていない様子だった。  噂好きの彼女としては、もっと派手なイベントがあることを期待していたんだろう。

 私も少し前までならリズベラと同じ反応をしていたと思う。  けれど今なら二人の気持ちがよく分かる。

 ▼

 少し前。  スイレンの排除方法を巡り、私はノーラと喧嘩をした。  奴は通常の方法では排除できない相手だった。  そういう相手をイベント外へ追放するには、この世から消えてもらうしかない。  単刀直入に言うと殺す必要があった。

 しかしノーラはその作戦に大反対。  自身もスイレンに一度殺されたというのに、話が通じないことはノーラも分かっているのに、それでも殺すという選択肢はないと主張した。

 前世の価値観に引きずられ殺人を禁忌とするノーラ。  やむを得ない場合の最終手段として殺人を肯定する私。

 相容れない価値観がぶつかり、私とノーラは初めて仲違いした。  紆余曲折あって和解することができたが、以前よりも仲良くなれたように感じた。  喧嘩したのだから、むしろギクシャクするのが自然かと思ったがそんなことは全くなく、むしろより自然体になれている……気がする。

 基本的に喧嘩は避けるべきものだ。  一度人間関係が壊れてしまえば修復はかなり難しい。  私でなくても、多くの人間が経験則から理解できると思う。

 ただ、もし。  喧嘩した後に関係を修復できたとすれば。  それは以前よりもさらに良いものとなる可能性が高い。  私とノーラのように。  母とお姉様のように。

「私、お母様のことを今まで誤解してました」 「私も。レイラのこと、いろいろ勘違いしてたわ」

 互いを見て、母とお姉様は、ふふっ、と微笑み合った。

 ▼

 お姉様のおかげで最悪の事態は回避できた。  ここまではいいが、問題はこの後だ。

 果たして父と母の関係は修復できるのだろうか。

 今回、母は感情に任せてお姉様を殺すようなことはしなかった。  しかし父はどうだろう。

 冷静でも、父の顔を見ると豹変するかもしれない。  激情に身を任せて蛮行に走るかもしれない。

「~♪」

 機嫌よく過ごしている風に見えるが、父をどうするつもりなのだろう。

「あの、お母様」 「どうしたのソフィーナ」 「お父様が戻ってきたら、どうするおつもりですか」 「ソフィーナ」

 唐突に扇子で顔を隠す母。  にこにこしていたはずの目が、一瞬で冷徹なそれに切り替わる。

「あの人のこと、今は何も聞かないでくれるかしら」 「は……はい」

 ……今の母はそんなことをしないと信じたい気持ちと、これまでの母はこんなことをしてきたという気持ちがせめぎ合い、私はどうするべきかを悩んだ。

 ノーラに相談しに行きたかったが、今は外出絶対禁止令が出ている。  家の中は常にリズベラが張り付いていて、庭へ出ることすら許可を取らなければならない。  抜け出す手段がない訳ではないが、下手をするとノーラに迷惑がかかってしまう。  ここは一人で悩むしかない。

「……よし」

 そして悩みに悩んだ結果。  私は今の母を信じ、父が戻る日を待つことにした。

 これが吉と出るか凶と出るか。  結果は数日後に分かる。