最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#147 第五十一話「最後の一手」


「あの日、僕はテレスティ通り周辺を視察していた」

 以前説明した通り、公爵家は王都の一部の管理を担っている。  貧民街という別称がつくあの区画は父の管轄下にある。  父としては決して褒められた人物ではないが、仕事人としては能力がある。  あの場所をどうにかしたいと躍起になっていたんだろう。

「ひととおり見て回り、戻ろうとした時だ。橋の上で身投げする寸前の女性と出会った」

 父は咄嗟に身投げを止めた。  人として誰かを助けたいと考えていたのか、自分の管轄下で物騒なことを起こされたくないと考えていたのか。  どちらの気持ちが優先したのかは分からないが、とにかく父は女性を助けた。

「それがエレナだった」 「……」

 母は無言で、微動だにしない。  にも関わらず、母を中心に部屋の気温が下がった。  思わず無詠唱で氷の魔法を操る能力があるのか、と錯覚してしまう。

 凍てつく視線を向けられつつ、父は続ける。

「ひとまず彼女を落ち着かせ、話を聞いた」

 そこから先はエレナから聞いた話と同じ内容だった。  母と婚約者を交換、しかし相手はとんでもないギャンブル狂であっという間に結婚生活が破綻。ほぼ同時期に家も事業が傾き崩壊。一家離散。

 そしてエレナが流れ着いた先が、あの貧民街だ。

「僕は彼女に同情した。少しでも何かしてやりたい、と思ったんだ」 「へぇ」

 ガリ、と母がソファのひじ掛けを爪で引っ搔いた。

「お姉ちゃんがあなたに何をしたか忘れたの? あなたを見捨てたも同然で婚約破棄したのよ?」 「それは分かっている。しかし当時の僕が頼りなかったことは事実だ」 「私はそうは思わない。……けど、百歩譲ってその通りだったとしましょう」

 がり、がり。  母が一定の間隔でひじ掛けを引っ掻く。  私はそのリズムに聞き覚えがあった。

 ――どうしてここで寝ているように細工しているの?  ――あなたは昔からそうよねぇ。勘が良いというかなんというか。まるで……  ――未来が見えているみたい。

 今回のループの初期に母が起こした事件。  あの時のナイフを抜き差しするリズムと全く同じなことに気付き、戦慄が走る。

「頼りないあなたの元に駆けつけたのは誰?」 「ソニアです」 「頼りないあなたを励ましたのは誰?」 「ソニアです」 「頼りないあなたをここまで支え続けたのは誰?」 「ソニアです」 「そうよね」

 ガリ。  ガリガリガリ。  高価な皮で覆われたソファの表面に、母の爪痕が刻まれる。

「あなたのことを一番に考え、想い、ここまで尽くしてきたのに……なのにッ、どうして! あんな女のところに行ったのッ!?」

 ドン! と、母が机を叩いた。  まるで部屋全体の家具が揺れたような錯覚に陥り、わずかな浮遊感さえ覚えた。

「……」 「答えなさいッ! 私があの女に劣る要素が爪の先一つでもありましたか!?」

 母の言葉に、私はぴくりと反応した。  今のセリフは浮気イベントの終了の合図となる文言だ。

 ここで父が「ありません」と言ったのち、多少の引っ掻き傷を作って終わりとなる。

(よかった。無事に終わりそうだ)

 武器は持ち込んでいないものの、母が何かやらかしそうで穏やかではなかったが……なんとか収束に向かいそうだ。

 ――なんて安心した次の瞬間。  父がとんでもないことを言った。

「………………あ、ある」

 ▼

「なんですって?」 「ソニアがエレナに劣っている点が……あ、あると言ったんだ」

 父は母の怒りに当てられぶるぶると震え、気のせいか普段より小さく見える。  それでも、父は母の言葉にはっきりと反抗の意志を示した。

「なんですかそれは」 「……愛だ」 「……………………あい?」 「そう。エレナは僕を労わり、優しく包み、癒してくれた」 「そんなの、私だってッ!」 「君が愛しているのは僕じゃなくイグマリート公爵家当主としてのだろう!?」

 俯いていた父が大きな声を上げた。  怒りが混ざっているようでその実、深い悲しみにまみれた声だ。

「大黒柱の父と優秀な後継者だった兄さんたちが死んだ! 残ったのは出来損ないの僕一人! 黒染病の噂が広がり、手を差し伸べてくれる人は誰もいない! そんな状況のイグマリート家にやって来るなんて、何か別の目的があるに決まっている! そうだろう!?」

 黒染病によってイグマリート家は壊滅的な被害を受けた。  一人残ったのは、頼りない父だけ。  そんな状況でやって来た母を、父はむしろ疑った。

 自分なんかと結婚するなんてありえない。何か裏があるに違いない――と。

 常に優秀な兄たちと比べられ、見下され、自尊心が育たなかったゆえに、母を信じることができなかった。

 そんな胸の内を、父は初めて吐露した。

「……私が、この家を乗っ取ろうなんて考えていたってこと?」 「それしか考えられないじゃないか! だから僕は君に寝首をかかれないよう、この家の再起ぶぇええ!?」

 母が、父の頬を叩いた。  まるで雷が落ちたかと錯覚するほど大きな「バチン」という音が鳴り、父が吹っ飛ぶ。  父の身体が空中で一回転――私の見間違いでなければ、だが—―して壁に顔から突っ込む。

 母は肩を大きく上下させながら、父を睨みつけている。  まるで親の仇でも見るような壮絶な形相だ。

「あなたは……ずっと、私のことを……そんな風に思っていたのね」 「そ、そうだ! 君は僕を愛してなんていないんだろう!? 尽くしてきたのは僕の為じゃない! 君自身がこの家を乗っ取るための作戦――家族ごっこだ!」

 父も吹っ切れているのか、ぶっ飛ばされたにも関わらず啖呵を吐き続ける。  一度火のついた母ヘの対応としては、一番やってはいけない選択だ。

 静観を決めていたが、これでは結末は見えているようなものだ。

「二人とも熱くなりすぎです! 落ち着いて冷静に話し合いましょう? ね!?」

 私は咄嗟に二人の間に割って入った。  しかしヒートアップした父はそれでは止まってくれなかった。

「さあ正体を現せ! この――……え?」

 抑えても止まらなかった父が、唐突に戸惑いを混じらせる。  何事かと、私は母の顔を見上げた。

「お母、様……?」

 さらに苛烈な攻撃をしてくるはずの母は微動だにせず、泣いていた。

「そう……そう、なのね」

 逆立って見えた髪は下り、戦闘態勢に入っていた手がだらりと落ちる。  これまでにない母の反応に、私は目を見開いて固まることしかできなかった。

 母はくるりときびすを返し、部屋の扉を開け。

「さよなら」

 それだけを告げて、出て行ってしまった。

 思いもよらない方向に進んでしまったイベントに呆然としていると――不意に、目の前の空間が揺らいだ。

『ソニアを追いかけますか?』  はい  いいえ

 ――選択肢!