最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#151 第五十五話「謝罪の証」


「行ってきます」 「行ってらっしゃい、あなた」

 翌朝、いつものように父が仕事に出る。  イベントを完全攻略した後なので、いつもより堂々とした立ち振る舞いになる――はず、なのだが。

「なぁ……これ、本当にやらないとダメか?」 「もちろんです。これくらいしないと罰になりませんからね」

 いつもより小さく見える父の背中に、紙が貼ってある。  そこには母の字で、こう記されていた。

『私は浮気をした最低な男です。しっかり反省し、以降は妻だけを愛します』

「一週間、張り紙を付けて生活をする……昨日、あなたも納得してくれたでしょう?」 「しかし実際にやると……こう、私の威厳が損なわれるというか何というか」 「そんなものは後からいくらでも挽回できます。それに……たとえ落ちぶれたとしても、私はずっとあなたを愛してますよ」

 妖艶な笑みを浮かべる母に、ひやりとしたものを感じる。  しかし父はその言葉をむしろ肯定的に受け取ったらしい。

「それなら何も不安に思うことはないな」

 すぼめていた肩を広げ、意気揚々と馬車に向かう。  風を切って前に突き進むその姿は、我が父ながらちょっとかっこいいなと思ってしまった。  ……背中に貼り紙さえなければ、もっとかっこよかったのだが。

 しかし、このまま父を行かせてもいいのだろうか――という疑問がよぎる。

 父の不貞行為が表沙汰になるとイグマリート家の印象はマイナスになる。  「側室を作ります!」と公言しているより、「作りません!」としておきながら実はやっていました、の方が印象はよろしくない。  それは完全攻略を果たした今でも同じのはずだ。

 この一点だけはお姉様にとってマイナスになる。

「お母様」 「どうしたのソフィーナ」 「他の方法はなかったんでしょうか? お父様が不憫というか、かわいそうと言うか……」 「ソフィーナ」

 母は膝を折り、私と目線を合わせた。  顔には母にしては珍しい優しい笑みが浮かんでいる。  私の肩に、ぽん、と手を置き、

「本来、浮気は許してはならないことよ」 「お母様が裏切られた気持ちは痛いほど理解できます。ですが、さすがに浮気を周知させるのはやりすぎというか……痛っ」

 肩に置かれた母の手に力が込められ、思わず声が出た。

「今回は、今回だけは特例」

 優しい笑みを浮かべた母は消え去り、代わりに歯を食いしばり、拷問に耐えるかのような顔に変貌していた。

「最初に不貞を持ちかけたのがあっち側だったことと、私自身に落ち度があったこと。この二つがあったからギリギリで許したに過ぎないわ」

 ギリギリと、何かをすりつぶす音がした。  音の出どころは母の口内だ。全力で食いしばった歯の隙間から、奥歯が悲鳴を上げている。

「浮気を許した理由はもうひとつあるわ。自分の気持ちを一方的に押し付け、あの人の気持ちを汲み取ることもせずに浮かれていた私自身への『罰』よ」

 他のルートで浮気が発覚したとき、母は一度たりとも父を許さなかった。  今回は浮気相手の事情などもすべて把握できたから、ギリギリで落としどころを見つけられただけ。

 エレナ同様、母も……いや、母の方が激情的な性格をしていることをすっかり失念していた。  あんな謝罪文をぶら下げるだけで許している今が相当に特殊なのだ。

「私はもう慢心しない。イグマリート家四代目当主レブロン・イグマリートの妻として、これまで以上にあの人にすべてを捧げる」

 母の瞳の中に、燃える炎が見えた。

「私とあの人が心から結ばれた今、家の名が落ちることなど些事に過ぎないわ。そうでしょ?」 「……そ、そうですね」

 再びにっこりと笑う母。  ……父の威厳失墜により、イグマリート家は今までよりも困難なルートになる。  しかしそれは一時的なもので、遠からぬ先ではより強固な信頼と実績を積み上げるだろう。

 私の力添えも必要とせず、それは達成される。  そんな未来を確信させるほどの力強さを、母から感じ取った。

 ▼ ▼ ▼

「—―そんな感じだ」

 恒例のノーラとの作戦会議。  前回は橋の下だったので、今回は私の家で開催している。

「よかったねぇ、本当によかったねぇ……」 「泣くほどのことじゃないだろ」 「ソフィーナ、お父さんとお母さんのことになると嫌な顔してたからずっと心配だったの」

 嬉し涙を流すノーラの顔にハンカチを押し付ける。

「私が言えたことじゃないけど、家族はやっぱり仲良しでいてほしいって思ってたから」 「……余計な心配かけて悪かったよ」 「ううん。ところでソフィーナ」

 ノーラはきょろきょろと周囲を見渡しながら尋ねてきた。

「今日はどうして部屋の中なの?」

 いつもは外でやっている作戦会議だが、今日は私の自室でしている。  平民を家の中に招くことはできないと言っていたので、ノーラが困惑するのも無理はない。

「そうだな。その話を先にするか」 「?」

 首を傾げるノーラを置いたまま、私は用意していたものを取り出した。

 今回、彼女を室内に招いた理由は作戦会議以外にもうひとつある。

「ノーラ。これに着替えて」 「? なにこれ……メイド服?」 「私は外に出てるから、終わったら呼んでくれ」 「あ、ちょっと」

 それだけ言い残し、私は一旦退出した。

「ねえ。着たよ」

 五分ほど時間を潰していると、ノーラがひょっこりと顔を出してきた。  室内に戻って見てみると、メイド衣装に身を包んだノーラがいた。

 平民服でも隠し切れなかった美少女オーラが一段階パワーアップしたように思えた。

「サイズは大丈夫か?」 「うん。ぴったりだけど……何なのこれ。コスプレ?」 「こすぷれじゃない。制服だ」

 ――浮気イベントの解決に際し、父から「謝罪の証としてやってほしいことはないか」と尋ねられた。  そこで私がお願いしたのがだ。

「ノーラ。この家でメイドとして働いてほしい」