――そんなわけで、ノーラの家に行くことになった。
「こっちだよソフィーナ」
入り組んだ道とも思えないような道をすいすいと進んでいくノーラ。
「こんな道があったなんてな」
平民が暮らす場所とはいえ、ここは父が治める領地の中だ。 私もそれなりに地理に詳しいという自負はある。
しかしノーラが通るルートは、そんな私でも知らない道ばかりだ。 たぶん、いま手を離されたら迷子になる。
「ふっふーん」
ノーラはやけに嬉しそうにしている。 実家に帰る喜び……にしては度合いが大きいような。
「やけに嬉しそうだな」 「うんっ。推しと会えるからね〜」
……あ、そうか。 ノーラの家族は父親以外にもう一人いる。 義理の兄であり、神が設定した攻略対象であり、ノーラの『推し』だ。
推し、とは……うまく説明できないが「生きる理由」「活力の源」のようなものだ。 私にとってのお姉様が、ノーラにとっての義兄なのだろう。 鼻歌を歌うのも頷けるというものだ。
……というか、推しとの共同生活を引き離した私ってとんでもない悪党では? ノーラは私のためにと専属使用人を快く引き受けてくれたが、実は内心では仕方なくだったのでは……?
「どうしたのソフィーナ。急に黙っちゃって……は!?」
何かに気付いたように、ノーラの肩が跳ねる。
「違うからね!? 私がエドに会う理由を作るために無理やりお父さんを紹介した訳じゃないからね?」
どうやら私に公私混同を疑われていると思ったらしい。
ノーラの中で私はそんな鬼なのだろうか。 ……いや、推しと引き離したんだからそうか。
休暇はたっぷり与えて、帰りたい時に帰せるようにしよう……と心の中で誓っていると、
「ノーラ!」
後ろからノーラを呼ぶ声がした。 振り返ると、純朴そうな少年が息を弾ませてこちらに走ってくる。
どこかで見たことがあるのある顔だ。 記憶を漁ると、存外あっさりと答えにたどり着いた。
(浮気調査をしていた時にすれ違った少年か)
父の浮気相手の尾行をするリズベラ……の、尾行をしていた時、ノーラに声をかけてきた少年だ。
「ケビン。どうしたのそんなに急いで」 「どうしたもこうしたも。急に貴族の使用人になるって聞いて、お別れも言えずだったからっ」 「お別れって……大げさだよ~。こうやってちょくちょく戻ってくるし」 「そ、そっか。それは良かった……」 「?」
ほっ、と胸を撫で下ろすケビンという名の少年。 彼の頬が赤いのは、走ってきただけが理由ではない気がする。
「というか、その服……」 「これ? お仕事用の制服だよ」
メイド服姿のノーラがくるりと一回転すると、ケビン少年の顔に朱が増した。
「す……すごく、すごく似合ってるよ! ノーラにぴったりだ」 「うん。家事は得意だからね」
会話が微妙に噛み合わっていないが、ノーラもケビン少年それに気付いた様子はない。
「そうだ。次はいつ帰って来るの? 良かったらその時、僕と一緒に――」 「ごめんね。ちょっと急いでるから、また!」 「あ……」
ノーラは私の手を引き、颯爽とその場を離れた。 悲しそうなケビンの手が空中を彷徨う姿を見納め、私はノーラの方を向いた。
「あの少年とはどういう関係なんだ?」 「近所の友達だよ」 「友達ねぇ」
向こうはそう思っていなさそうだったが……。 まあ、彼の気持ちに気付いたところでノーラがケビン少年になびくことはない。 わざわざ言う必要もないか。
「? なに、どうしたの?」 「ノーラって自分の知らないところで人を泣かせるタイプだな、と思っただけだ」 「なんで急に悪口!?」
▼
ノーラの実家は治具屋を営んでいる。 治具とは、工房で言えば万力、衣装屋で言えば糸通し器、料理屋で言えばゆで卵カッターのような器具を指す言葉だ。 人間が行うあらゆる作業を「より正確に」「より効率よく」行うための補助具。 それが治具だ。
人々の生活に密着した製品とはいえ、それを専門にしているところはかなり珍しい。 複数の業種にまたがるものを取り扱わなければならない関係上、一つの製品を作るだけでもかなりの知識が必要になる。 つまり、ノーラの父はそれだけの知見を持っていると予想できる。
私に薦めてくるくらいだし、本当に腕のいい職人なのだろう。 とはいえ、あの石を加工できるかは微妙なところだ。
まあ、ノーラの家族には一度会ってみたかったのでちょうどいい機会だ。 仮に加工が無理だったとしても、お宅訪問は今後もやってもいいかもしれない。
「そういえば、ソフィーナはお父さんと会うのは初めてだよね」 「ああ」 「ちょっとびっくりするかもだけど、大丈夫だからね」 「?」
意味不明なことを言われるが、問い返すよりも早く店ののれんをくぐり抜けてしまった。
「ただいまー」 「おじゃましま――!?」
店に入った瞬間、私はノーラの前に立ち、右手を掲げた。 現在の私が取れる精一杯の戦闘態勢だ。
向けた掌の先に佇んでいたのは――凄まじい威圧感を放つ大男。 腕の外周が私の胴体と同じくらいではないかと錯覚するほど屈強に鍛え上げられた筋肉の鎧を身にまとったそいつが立ち上がる。
(でか!?)
上背は二メートルに迫ろうかというほどで、広いはずの天井に頭が当たりそうになっている。 大男が、ゆっくりとこちらを振り返る。
威圧感を具現化したらこうなる、というお手本のような形相に、私はさらに警戒感を強めた。 よく怒った人間のことを鬼などと形容することがあるが、彼の場合はそのまま『鬼』だ。
髪は一本残らず毛を剃っていて、大男の動きに合わせてうっすらと光を反射していた。
(なんなんだこいつは!? 隠しボスか!?)
今から数年後の未来で、シナリオの進め方によっては傭兵や山賊と戦う機会がある。 彼らはみな、それなりの修羅場をくぐり抜けてきた猛者であり、放つ威圧感も相当なものだった。 目の前にいる大男はそれらと同等――いや、それ以上だ。
猛者と対峙した経験が、全力で危機を叫んでいる。
(ひとまずノーラだけでも逃がさないと)
いつでも魔法を唱えられる体制を取り、相手の出方を伺っていると――私の隣を素通りし、ノーラが大男の元へと駆け寄る。
「お、おい!」
焦る私を他所に、ノーラはめいいっぱいの笑顔で大男に飛びついた。
「ただいま、お父さん!」
……。 …………。 ………………。
え?
今、なんて……?
ポカンとする私の前で、大男がノーラに口を開く。
「こんな時間に帰ってくるたぁ、なんかあったのか」
お腹に響くほど低い声。 一瞬、口の中に楽器を仕込んでいるのかと錯覚してしまった。
彼が吠えたら厳しい訓練を積んだ騎士団でも裸足で逃げるかもしれない。
「今お仕事中だよ。お父さんに相談したいことがあって」 「ならさっさと用件を言え。仕事中にくっついて来てんじゃねえ」 「とか言って嬉しいくせにー」
大男のお腹あたりをつんつんと突つくノーラ。
「……」 (すごく睨まれてるぞノーラ!? 大丈夫なのか!?)
腕一本、いや指二本動かしただけでノーラの胴体をへし折れそうだが……幸いなことに、大男は睨んだだけで特に何かをする様子はなかった。
「さっさと離れろってんだ。暑苦しい」 「ふふっ。お父さんたら照れちゃってー」 (照れてる? 睨み殺そうとしているんじゃなくて???)
視線だけで人を殺せそうな形相でノーラを睨む大男。 ノーラ視点では、これは『照れ』らしい。
「ノーラ。その方は……?」 「あ、そうだった。紹介す――しますね」
大男の前だからか、余所行き用の敬語に言い直しつつ、ノーラはちょうど中間地点で私と彼を掌で指し示した。
「お父さん。こちらの方が、私がお仕えしているイグマリート公爵家次女、ソフィーナお嬢様だよ」 「娘が世話になっとります」 「……あ、はい」
攻撃するつもりで上げていた手をさりげなく下ろしつつ、反射的にペコリと頭を下げる。
「ソフィーナお嬢様。こちらは私の父ボルガです」 「しがねぇ工房をしとります」
大男――もとい、ノーラの父ボルガは再びペコリと頭を下げてきた。
「……」
私は驚きのあまり、言葉を失っていた。 二人が似てないから――などではない。 ノーラとボルガさんの間に血縁関係はないことは前に聞いたので、似てなくて当然だ。
私が驚いたのは、ボルガさんの見た目。 「ちょっとだけ強面だけど、とっても優しいんだよ」なんてノーラは言っていたが。 どう考えても「ちょっと」ではない。 ノーラの義父と認識を改めたのに、まだ肌がざわざわと粟立っている。
元山賊か荒くれ傭兵で、何かのきっかけで真人間になりました。 それくらいの過去がないと納得できない威圧感だ。
「ちなみに、お伺いしてもいいですか?」 「へい。何なりと」 「前職は何をされてましたか……?」 「この仕事一筋、今年で三十年目ですが」 「…………ですよね。変なこと聞いちゃってすみません」 「?」
人は見かけによらないとはよく言ったものだ。