武術館への扉を開けた瞬間、熱風を頬に感じた。 十分な換気は行われているが、それでも閉じた空間で汗を流す関係上、どうしても熱気はこもる。 ――ただ、それを加味しても今日は暑すぎると感じた。
違和感は続く。
武術館の中は、異様に静かだった。 普段は野次や応援の声がして当然なのだが……聞こえてきたのは、たった一人の声だけ。
「あああああああああああ! ああああ、ああ……ぁ」
その声ははじめは大きく、そして、だんだんと細くなり、消えていく。 戦っているのだから、勝手に声が出てしまうくらいは当たり前のことだ。 しかし今、耳に届いた声は戦闘中のかけ声というより。
断末魔のそれに近い。
熱風に煽られるように、私の焦燥感に火が付いた。
「――――!」 「あ、ソフィーナ! 兄上!」
同じタイミングで私とアレックスは駆け出していた。
「ソフィーナ。君はオズのそばに」 「すみません。無理です」
アレックスの声を置き去りにして、闘技訓練場が見える位置まで走る。 そして目に飛び込んできたのは。
全身を炎に包まれた、一人の新入生の姿。 いつから踊り狂っていたのだろう。私とアレックスが視認した途端、ばたりとその場に崩れ落ちた。
(違う。違うはずだ……!)
私はそれがお姉様でないことを確かめようと、目を懲らした。 が、すぐにそれがお姉様であることが確定してしまった。
ノーラが観客席の柵を乗り越え、闘技訓練場内に侵入してきた。 炎に包まれた新入生に、大きな布を何度も叩きつける。
この距離では何を言っているかまでは聞き取れないが、口元が何度も同じ動きをしていた。
――消えて、消えて、消えて、消えて、消えて、消えて、消えて……!
まるで呪文のように、ずっと、ずっと。 自分も炎の余波を受け、あちこちに火傷を負いながら。 それでも火を消そうと躍起になっている。
ノーラだけならまだお姉様ではない可能性も考えられた。 彼女はお人好しだから、たとえ赤の他人でも助けようと動くかもしれない。 しかしノーラに続いて父と母も燃える新入生に駆け寄り、炎を消す試みを始めている。
あの二人が助けようとする新入生。 ここまで状況証拠が揃えばもう希望的観測は望めない。 ――燃える新入生は、お姉様だ。
「なんで……」
ぺたん、とその場に尻餅をつく。
「兄上! ソフィーナ! いきなり何……」 「オズ。すまないが外で待っていてくれ」 「兄上? どうして目隠しするんだ。これじゃ何も見えないぞ!」
遅れてやってきたオズワルド。 凄惨な場面を見せないよう、アレックスが目を覆っている。
アレックスは目隠しをしつつ、オズワルドを軽く抱きしめるように胸元へ引き寄せた。
「いいから。ソフィーナの側にいてやってくれ」 「? 仕方ないな。兄上がそこまで言うなら。ソフィーナ、行くぞ!」 「……」
失敗した。 うまく行っていたはずなのに。 すべて防いだはずなのに。
「おい! 聞いてないのか! まったく仕方のない婚約者……ソフィーナ? おい、本当にどうした?」
オズワルドが膝を立てて肩に触れる。 彼にしては珍しく、焦りを含み、心配するように顔を覗き込んでくる。 そんな様子を、どこか別の世界から見ているように俯瞰していた。
「ソフィーナ!? 兄上! ソフィーナが、ソフィーナが!」
ショックで体が動かない中、それでもあの言葉を口にできたのは、繰り返してきた習慣か。 それとも目の前で喧しく騒ぐオズワルドから距離を取りたかったからか。
「……『戻れ』」
全部がぐちゃぐちゃに混ざり、もう、分からない。
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「とにかく。ソフィーナとの距離感には気を付けてよね」 「……」 「ちょっとあなた、聞いてるの!?」
更新したセーブポイント。 目の前には、私たちの時間軸では数秒前に焼死したお姉様が、眉をひそめてノーラに迫っていた。
「……レイラ」 「呼び捨てなんていただけないわね。いい? 仲良くするのはいいけれど、ちゃんと分別を――!?」
お姉様が、ぎょ、と後ずさる。 ノーラは顔をくしゃりとさせて、涙を流していた。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」 「怒ってる訳じゃないからっ! そ、そんなに泣かなくてもいいじゃない」
お姉様はおろおろしながらなだめようとしている。 父も母もかなり困惑した様子だ。 確かこの時間軸は、ノーラをみんなに紹介した直後だったか。
彼らから見れば、だらしない笑みで卒倒した直後にボロボロと泣き出しているように見えるだろう。 困惑するのも当然だ。
「すみません。ちょっと緊張で情緒不安定になってるみたいなので」 「そ……そうなの?」 「はい。顔合わせは済みましたし、今日はこれで下がらせてもらいます」 「え、ええ……。お大事に?」
やや強引に話を打ち切り、ノーラの手を引いて私の部屋へ移動する。 お姉様の死の瞬間に何が起きたのかを聞かなければ。
▼
「うっく、ひっく……」
部屋についても、ノーラはずっと泣いたままだった。
「ごめんない、私……ごめんなさい……守れなかった…………」
まるでうわ言のように謝罪を口にする。 落ち着くまで待っていようと思っていたが、どれだけ待っても泣き止みそうにない。
目の前で人が焼け死ぬ。 ノーラにはあまりにも刺激が強すぎる光景だっただろう。 常人なら立ち尽くすだけだろうし、心が壊れて無反応になっていてもおかしくはない。
しかしノーラは違った。 火を消そうとしていたし、助けられなかった命を思い泣いている。
初めて出会ったときから、ノーラの心は――本人は無自覚だと思うが――強くなっている。 それでも、立ち直るまでにはしばらく時間がかかるだろう。
「ノーラ」
少し強引にノーラの頭を胸に抱き寄せる。 いつも抱きしめてもらう側だったので、少し新鮮な気分だ。
「来てもらって早々に何だが、しばらく休んでくれ」 「……」
ノーラの頭を撫でる。 平民の髪とは思えないさらさらとした感触。指の間を少し開くと、そこからするりと抜けるほどに艶がかっていた。
「今回のことはお前のせいじゃない。私の指示ミスだ」
ノーラのことだ。 私が伝えたイベント回避はすべてやってくれていたんだろう。 それでも死亡イベントが発生したとすれば、そのことを予期できなかった私のせいだ。
「落ち着いたらまた来てくれ。それから対策を練ろう」 「……待って」 「ノーラ?」
離れようとする私の裾を、ノーラが掴んだ。
「ソフィーナと別れている間に何があったのか、全部話すよ。時間を空けたら忘れるかもしれない」
凄惨な事件は、思い出すだけで相当な苦痛を伴う。 今のノーラなら、思い出すだけで拷問のように感じるだろう。
「無理するな。壊れるぞ」 「平気だよ」
目を強く擦り、ノーラは前を向いた。
「もし時間を空けて大切なことを忘れていたら。そのせいで今のレイラがまた同じ目に遭ったら。それこそ私は壊れる」 「ノーラ……」 「イベントを発生時から見ていたのは私。なら、それをソフィーナに伝えるまでが私の役目のはずだよ」 「……」 「私は大丈夫だから。お願い、聞いて」
強い意志と覚悟を宿した光で、ノーラ。
私が思っている以上に、ノーラは強くなっている。 そう感じさせる目をしていた。
「わかったよ」
ノーラが正面に来るような位置に座り、私は続きを促した。
「聞かせてくれ。私がオズワルドのところにいる間、何があったのかを」