『ノーラをフィンランディ家に潜入させますか?』 →はい いいえ
「あ、ああああ!」
すぐに手を離し、「いいえ」に手を伸ばす。 その前に選択肢は消失してしまった。 まるで、はじめからそこに無かったかのように。
「どうしたんだソフィーナ? いきなり大きな声を出して」
父や母、そしてお姉様は目を丸くしている。 元から選択肢の見えていない彼らは、私がいきなり寄声を上げたように見えているだろう。
「――」
そんな私たちを余所に、ノーラがゆっくりと立ち上がる。
「今日からお世話になる――はずだったのですが、申し訳ありません。一身上の都合で辞めさせていただきます」 「え?」 「制服は洗濯してからお返しします。せっかくご縁をいただけたのに、本当に申し訳ありません」
いきなりの急展開に呆然とするお姉様たち。 ノーラは深くお辞儀をして、きびすを返した。 文字通り、何もかもを置き去りにして。
「どういうこと……?」 「分からん。だが、この状況で急に辞めるということは、よほどの理由があるんだろう」
父がそう言うと、母は勝手に納得した。
「残念ね」
神々が作り出したこの世界において、選択肢は絶対的な影響力を持つ。 その人物の性格的にありえないことでも、強制的に行わせることができる。
周辺の人物はそれがどれだけ理不尽でありえない行動だったとしても、自然な選択である、と勝手に納得する。 ――選択肢にさえ出れば。
そして、一度決定した選択肢は覆らず、書かれていることは必ず実行される。
「……っ。『戻れ!』」
半ば反射的に、私はそう叫んでいた。
▼ ▼ ▼
選択肢は私しか選ぶことができない。 先ほどは意表を突かれて先行されてしまったが、ノーラより先に「いいえ」を押せば良いだけだ。
ほんの数分だけ時が巻き戻った瞬間、私の手はノーラに捕まれていた。
「――やめ」
『ノーラをフィンランディ家に潜入させますか?』 →はい いいえ
「今日からお世話になる――はずだったのですが、申し訳ありません。一身上の都合で辞めさせていただきます」
ぽかんとするお姉様たちを尻目に、ノーラがきびすを返す。
「どういうこと……?」 「分からん。だが、この状況で急に辞めるということは――」
さっきと同じ光景が繰り返され、私は歯を食いしばる。
(くそっ! ループを読まれていた!)
一度目よりも早く、ノーラは動いていた。 ループの主導権が私にある以上、そうとしか考えられない。
もう一度。 もう一度だ!
「『戻れ!』」
▼ ▼ ▼
その後、何度かループを繰り返した。 タイミングを読まれないよう、時間をズラしたりもした。 結果はすべて私の負け。
ノーラは必ず私より先に動き、「はい」を選択し続けた。
「今日からお世話になる――はずだったのですが、申し訳ありません。一身上の都合で辞めさせていただきます」
幾度目かの敗北のあと、ノーラがこっそりと耳打ちをしてきた。
「ソフィーナ。ちょっと話そ?」 「……」
▼
イグマリート家の門をぐるりと周回するように、私たちは並んで歩いた。
「……」 「……」
話をしよう、と言い出したのはノーラだが、彼女は何も言おうとはしない。 こちらが切り出さないといけないような気になり、私の方から口を開いた。
「……なんでループのタイミングが分かるんだ」
自分でも分かるくらい低い声。 機嫌の悪さがにじみ出ている。
「ループするとき、いつもノイズが走るから分かるんだよ」 「ノイズ……ってなんだ」 「うーんと。うまく説明できないけど、視界がジリジリするの」
わからん。 ニホン特有の表現だろうか。
「ループのタイミングは分かるし、位置関係的にも私が割り込みやすい」
セーブポイントのノーラは、ちょうど私と選択肢の間に挟まるような場所にいる。 私が彼女を押さえ込みながら「いいえ」を選ぶことは相当に難しい。
……それでも、「はい」を選ぶ気にはなれなかった。
「お前が折れるまでループするだけだ。知っての通り、私はしつこいぞ」 「しつこさだったら私も負けてないよ?」
負ける気はしなかったが、かといって勝てる気にもなれなかった。
「ねえソフィーナ。一回だけチャンスをくれない?」
ノーラは私の前に回り込み、歩みを止めた。 進行方向を遮られ、自然と私の足も止まる。
「その一回で何も分からなかったら、ソフィーナの作戦で行く。これでどう?」 「ダメだ」
ノーラにとってそれが最大限の譲歩だったのだろう。 それでも首を縦に振らない私に、形の良い眉を山のような形にする。
「どうしてそんなに拒むの? 選択肢が出たってことは、あれが今回のイベントクリアの鍵になるかもしれないのに」 「そんなことは分かってる!」
大きめの声が出てしまい、ノーラが動きを止めた。 怖がらせてしまったかと思ったが、喋る口は止まらなかった。
「じゃあ、なおさら行かないと」 「ダメだ」 「どうしてダメなの?」
言わないと絶対に納得しなさそうだ。
「……。フィンランディ家は危険なんだ」
私は、ノーラを潜入させたくない理由を正直に話した。
魔法使いと血統でしか人間を判別しないこと。 そのどちらも持っていないノーラはどんな扱いをされるか分からないこと。
「……うーんと。つまり」
長々と語った私の話を、ノーラは端的に要約した。
「ソフィーナが私を行かせたくない理由は、私が心配だから……ってこと?」 「それ以外に何がある」
話の根本はそうだが、改めて言われると気恥ずかしい。 そっぽを向きながら答えると、ノーラが不意に抱きついてきた。
「ありがとうね、ソフィーナ」 「……別に」 「けど、一番大事なのはレイラに幸せになってもらうことでしょ?」
私がループを繰り返す理由は、お姉様に何の理不尽もない幸せな人生を歩んでもらうこと。 お姉様だけを思い、今までずっとやってきた。 他人を省みず、すべてを犠牲にして。
その観点から言うと、ノーラを止める行動は矛盾している。 本当にお姉様のためを思うなら、行かせる以外の選択肢はない。
「怖いんだよ。ノーラにもしものことがあったらって考えたら」 「そこはちゃんと気をつける。言ったでしょ? みんなで幸せになろうって」
まるで駄々っ子をあやすように、頭を撫でてくる。
「ソフィーナ。お願い。私をフィンランディ家に行かせて」 「――条件がある」
▼ ▼ ▼
「最低でも二百五十グラム以上が望ましいです。形状は縦に長い長方形か菱形で、なるべく平べったくしていただけると」
時は少し進む。 今、私たちがいる場所はノーラの家。 例の石を露店で入手し、ボルガさんに加工を依頼する場面だ。
今回も、石は前回、前々回と同じ場所で売られていた。 場所と日時がここまで一致していることから、おそらく奇病と同じく固定になっていると思われる。 奇病の時は頭を抱えたが、こういうイベントが固定なのはありがたい。
「――あと。粉末を先にもらいたいんですが」 「粉末を……ですかい?」
ボルガさんは眉間にしわを寄せた。
粉末は、それにしか使えないような純度の低い精霊石と、宝石を形作るときの端材を混ぜて作るのが一般的だ。
これだけ純度の高い精霊石なのに、先に削って粉末を用意しろ、なんていう客は私くらいだろう。
しかし今欲しいのは宝石ではなく、粉末なのだ。
「それでしたら今すぐにお渡しできますが……本当にいいんですかい?」 「お願いします」
眉間にシワを寄せまくった仏頂面――ではなく、困惑しているんだろう。たぶん――のまま席を立つボルガさん。
「ソフィーナ。粉を先に用意して、何をするの?」 「お前用のプレゼントだよ」 「?」
頭上に「?」を浮かべるノーラ。 ボルガさんと違い、すごく分かりやすい表情だ。
▼
「これを渡しておく」 「これは……匂い袋?」
ノーラに渡したのは、匂い袋だ。 良い匂いをさせたり、汗の臭いを誤魔化すために使われていて、庶民では親しまれている。
「嬉しいけど……これがフィンランディ家に行くために必要なものなの?」 「ああ。中に精霊石の粉末を入れてある」
精霊石の粉末は、散布することで魔法を発動させることが出来る。 使えるのは一度きり、かつ込められる魔法も限られている。 それでも魔法を使えない人でも使えるため、一部では重宝されている。
「入っているのは単純な魔法だ。撒けば、私にもそれが伝わる」
私が最も恐れていること。 言うまでもなく、ノーラが危ない目に遭うことだ。
ループすればその危険は無かったことになる。 ……が、離れた場所にいる私は、そのタイミングを知ることができない。
「ループ用……ってことだね」 「そういうことだ。危なくなったらすぐに使ってくれ」
この魔法を使っても、多少の時間差は発生する。 それでも、何も分からないよりはましだ。
「ありがとうソフィーナ」
礼を言われ、胸が痛む。 本来、こういった危険なことは私の役目だ。
なのに今回は、ノーラにやってもらわなければならない。 私は見ているだけ。 いや、見ることすらもできない。
それが歯がゆくて、悔しい。
「ノーラ」
私は彼女の手を取り、その手を自分の額に当てた。 祈るような、願うような姿勢で、絞るようにこう頼んだ。
「どうか、無事で」
私の不安を吹き飛ばすかのように、あえてノーラは明るく返してくれた。
「大丈夫! 相棒に任せてよ」