「こっち向いて」 「……」 「向けっつってんの」
リネアが足をだん! と踏みつける。 それが合図になったみたいに、メイドさんの自由を奪っていた水がするりと取れた。 まるで意思を持ったスライムみたいに、私の手足に絡みつく。
「わ、わ!?」
あっという間に、メイドさんと同じ格好で宙づりにされる。 その過程で強制的に振り向かされ、リネアと目が合う。
「ん~? 見かけない顔ね」
ふわふわした桃色の髪をツーサイドアップにした、お人形さんみたいに整った顔立ちの女の子。 いつもだったらその可愛さに卒倒していたかもしれないけれど、険しそうに歪めたその表情が、彼女の可愛さをぜんぶ台無しにしていた。
「ライザ。こいつ新入り?」 「……はい。彼女はノーラといいまして、本日配属されました」 「あー。先週、お兄様のせいで働けなくなった奴がたくさん出たもんね」
ライザさんの説明に、ぽんと手を叩くリネア。 フィンランディ家では、セラさんの専属使用人以外にも使用人の募集が行われていた。 どうやら「働けなくなった人」がいたらしいけれど、その人はどうして働けなくなったんだろう。
「いえ、彼女は補充要員ではなく――」
ライザさんが補足しようとしたけれど、リネアはもう聞いていなかった。 私から視線を外し、今まさに虐めていたメイドさんの前にしゃがみ込む。
「申し訳ありません、申し訳ありません、申し訳ありません……っ!」
痛みと恐怖で縮こまり、震えるメイドさん。
「……」 「おっ、お願いします、命だけは!」 「人聞きが悪いなぁ。私はお父様やお兄様じゃないんだから、よっぽどのことがない限り、そんなことはしないわよ」
ぴん、と、メイドさんの額を指で弾く。
「次から気を付けてね♪」
にこー、と、年相応の笑みを浮かべるリネア。 ここで起きた数分の記憶さえなかったら、萌えてしまいそうなくらい愛くるしい笑顔だ。
――だからこそ、怖い。 あんなことをした相手に対して、タイムラグなくそんな笑顔を向けられるこの子のことが。
「ライザ。この子立てないみたいだから、連れてってあげてー」 「かしこまりました。あの、ノーラは」 「この子は居残りー」
声のトーンは無邪気なままなのに、どうしてだろう。 震えが止まらないくらい、恐ろしく感じるのは。
「リネア様。彼女は――っ」
肩越しに、リネアがライザさんの方を向いた。 途端に、ライザさんの顔がさあ――と青くなった。
私の位置からだとリネアの表情は分からなかったけれど、なんとなく、どういう表情をしているかは想像がついた。
「彼女は。なに?」 「――――いえ。失礼いたします」
ライザさんは俯いたまま、メイドさんを連れて出て行ってしまった。
「さて。まだフィンランディ家のことが分かっていないあんたに、この私が直々に教えてあげるわ」
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私は魔法を使うことはできない。 けれど転生者としての性か、魔法に関しての興味は人一倍あった。 もともと雑学が好きってことも手伝って、魔法の話を聞くことは大好きだった。
この世界の魔法は、魔力を使い精霊に代行してもらう形で行使され、そのために呪文を使う。 そして呪文には、ある種のテンプレートみたいなものが存在している。
人間は精霊に「お願い」をする立場だ。 だから呪文は丁寧に、下手に出る言い方が基本。 もちろん命令口調の呪文でも魔法は使える。 けれど魔力がより多く必要になったり、想定よりも効果が小さくなってしまう。 目には見えないけれど、精霊にも感情? みたいなものがある、とソフィーナは言っていたっけ。
呪文は丁寧に、下手に。 これが基本。 けれど、何事にも例外はある。
精霊に愛された人間は、命令口調の呪文でも問題なく魔法が使える。 その「愛され度合い」のことを、ソフィーナたちは「適性」と呼んでいる。
「『精霊に命ず。揺蕩う水球を此処へ』」
リネアが呪文を唱えると、彼女の手のひらの周りにテニスボールくらいの水の球がふよふよと現れた。 ソフィーナが「そうそうできるものじゃない」と言っていた命令形式の呪文で。
「教えてあげる――といっても、この家のルールは至ってシンプルよ。たった一つ覚えるだけでいいわ」 「……」 「私たちに逆らわないこと。もし逆らったら」 「うっ……!」
リネアが指を向けると、水の球が私のお腹に突っ込んできた。 水とは思えない重たい感触。胃の中のものがせり上がってくる。
「こんな風に、おしおきされることになるわ。どう? 猿でも分かるくらいシンプルでしょ」 「うっ、うっ、うっ……ッ!」
リネアが指をくるくる回すたび、どすん、どすん、どすん、と、水の球が離れてはぶつかり、離れてはぶつかりを繰り返していく。
手足を拘束されて、逃げることも防御することもできない。
怖い。 怖い、けど……。 あのメイドさんは、私よりももっと痛いことをされていた。
フィンランディ家でやっていくためには、ライザさんのやり方が正しいと、頭では分かっている。 けれどあの光景を黙って見ていることはできなかった。
だから、痛いし、怖いけれど。 後悔はしていない。
「……なーんか、目が気に入らないわね」
しばらく私を嬲っていた手を止め、リネアが近付いてくる。 顎を掴まれ、至近距離で顔を睨みつけられる。
「あんた……本当に平民?」 「はい……」 「にしては生意気な顔してるわね」
リネアが指を鳴らすと、空中で待機していた水の球が、アイスピックみたいな形状に変化した。
「今日のことを忘れないよう、ほっぺをちょっと抉っておこうかな」 「――!」 「ふふ。今さらガタガタ震えたって遅いんだから」
いじめっ子特有の嗜虐的な笑みを浮かべたリネアが、私に指を向けた。 淡い光を反射する水の針が、一直線に向かって――
「『精霊に命ず。盾となりて迫る愚者を焼き払え』」
誰かの呪文が唱えられると同時、目の前に炎が現れた。 じゅう、と焼ける音がして、アイスピック状の水が蒸発していく。
「――いつまで経っても来ないと思ったら。何してるの」
部屋の入り口に、いつの間にか人が立っていた。 赤く、燃えるような髪を腰まで伸ばしたロングヘアの女の子。 見間違えるはずがない。露店と、入学式で見たあの子だ。
「セラ……ッ!」 「お姉様を付けなさい」
ギリ……と、セラを睨むリネア。 まるで親の仇でも見てるみたいな表情だ。
「……何か用ですかお姉様。私はいま、この世間知らずの教育に忙しいんですが?」
お姉様、の部分だけ憎々しげで嫌みったらしい言い方をして、リネアは吐き捨てた。 ……ソフィーナとレイラはあんなにも仲良しだけど、この家の姉妹はかなり仲が悪いみたい。
「その子の教育は私の仕事よ」 「はぁ? ってことは」
じろり、とリネアが私を睨んだ。
「あんた、お姉様の専属使用人なの?」 「えっと……はい」 「……ウッッッッザ。だったら先にそう言いなさいよ」
リネアが手を叩くと、私を縛っていた水がじゅわっと音を立てて消えた。 自由の身になり、その場にへたり込む。
「私たちに迷惑がかからないよう、ちゃんと教育してくださいね。お姉様」
リネアはもう私を見ていない。 助かった……のかな。
「何かあったらお母様に言いつけますから」
セラとすれ違う際、リネアは去って行った。
「……言われるまでもないわ」
入れ替わるようにして残ったセラが、じろり、と私を冷たく見下ろした。
……まだ、助かってないみたい。