最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#172 第十九話「フィンランディ家の面々2」


「こっち向いて」 「……」 「向けっつってんの」

 リネアが足をだん! と踏みつける。  それが合図になったみたいに、メイドさんの自由を奪っていた水がするりと取れた。  まるで意思を持ったスライムみたいに、私の手足に絡みつく。

「わ、わ!?」

 あっという間に、メイドさんと同じ格好で宙づりにされる。  その過程で強制的に振り向かされ、リネアと目が合う。

「ん~? 見かけない顔ね」

 ふわふわした桃色の髪をツーサイドアップにした、お人形さんみたいに整った顔立ちの女の子。  いつもだったらその可愛さに卒倒していたかもしれないけれど、険しそうに歪めたその表情が、彼女の可愛さをぜんぶ台無しにしていた。

「ライザ。こいつ新入り?」 「……はい。彼女はノーラといいまして、本日配属されました」 「あー。先週、お兄様のせいで働けなくなった奴がたくさん出たもんね」

 ライザさんの説明に、ぽんと手を叩くリネア。  フィンランディ家では、セラさんの専属使用人以外にも使用人の募集が行われていた。  どうやら「働けなくなった人」がいたらしいけれど、その人はどうして働けなくなったんだろう。

「いえ、彼女は補充要員ではなく――」

 ライザさんが補足しようとしたけれど、リネアはもう聞いていなかった。  私から視線を外し、今まさに虐めていたメイドさんの前にしゃがみ込む。

「申し訳ありません、申し訳ありません、申し訳ありません……っ!」

 痛みと恐怖で縮こまり、震えるメイドさん。

「……」 「おっ、お願いします、命だけは!」 「人聞きが悪いなぁ。私はお父様やお兄様じゃないんだから、よっぽどのことがない限り、そんなことはしないわよ」

 ぴん、と、メイドさんの額を指で弾く。

「次から気を付けてね♪」

 にこー、と、年相応の笑みを浮かべるリネア。  ここで起きた数分の記憶さえなかったら、萌えてしまいそうなくらい愛くるしい笑顔だ。

 ――だからこそ、怖い。  あんなことをした相手に対して、タイムラグなくそんな笑顔を向けられるこの子のことが。

「ライザ。この子立てないみたいだから、連れてってあげてー」 「かしこまりました。あの、ノーラは」 「この子は居残りー」

 声のトーンは無邪気なままなのに、どうしてだろう。  震えが止まらないくらい、恐ろしく感じるのは。

「リネア様。彼女は――っ」

 肩越しに、リネアがライザさんの方を向いた。  途端に、ライザさんの顔がさあ――と青くなった。

 私の位置からだとリネアの表情は分からなかったけれど、なんとなく、どういう表情をしているかは想像がついた。

「彼女は。なに?」 「――――いえ。失礼いたします」

 ライザさんは俯いたまま、メイドさんを連れて出て行ってしまった。

「さて。まだフィンランディ家のことが分かっていないあんたに、この私が直々に教えてあげるわ」

 ▼

 私は魔法を使うことはできない。  けれど転生者としてのさがか、魔法に関しての興味は人一倍あった。  もともと雑学が好きってことも手伝って、魔法の話を聞くことは大好きだった。

 この世界の魔法は、魔力を使い精霊に代行してもらう形で行使され、そのために呪文を使う。  そして呪文には、ある種のテンプレートみたいなものが存在している。

 人間は精霊に「お願い」をする立場だ。  だから呪文は丁寧に、下手に出る言い方が基本。  もちろん命令口調の呪文でも魔法は使える。  けれど魔力がより多く必要になったり、想定よりも効果が小さくなってしまう。  目には見えないけれど、精霊にも感情? みたいなものがある、とソフィーナは言っていたっけ。

 呪文は丁寧に、下手に。  これが基本。  けれど、何事にも例外はある。

 精霊に愛された人間は、命令口調の呪文でも問題なく魔法が使える。  その「愛され度合い」のことを、ソフィーナたちは「適性」と呼んでいる。

「『精霊に命ず。揺蕩たゆたう水球を此処ここへ』」

 リネアが呪文を唱えると、彼女の手のひらの周りにテニスボールくらいの水の球がふよふよと現れた。  ソフィーナが「そうそうできるものじゃない」と言っていた命令形式の呪文で。

「教えてあげる――といっても、この家のルールは至ってシンプルよ。たった一つ覚えるだけでいいわ」 「……」 「私たちに逆らわないこと。もし逆らったら」 「うっ……!」

 リネアが指を向けると、水の球が私のお腹に突っ込んできた。  水とは思えない重たい感触。胃の中のものがせり上がってくる。

「こんな風に、おしおきされることになるわ。どう? 猿でも分かるくらいシンプルでしょ」 「うっ、うっ、うっ……ッ!」

 リネアが指をくるくる回すたび、どすん、どすん、どすん、と、水の球が離れてはぶつかり、離れてはぶつかりを繰り返していく。

 手足を拘束されて、逃げることも防御することもできない。

 怖い。  怖い、けど……。  あのメイドさんは、私よりももっと痛いことをされていた。

 フィンランディ家でやっていくためには、ライザさんのやり方が正しいと、頭では分かっている。  けれどあの光景を黙って見ていることはできなかった。

 だから、痛いし、怖いけれど。  後悔はしていない。

「……なーんか、目が気に入らないわね」

 しばらく私を嬲っていた手を止め、リネアが近付いてくる。  顎を掴まれ、至近距離で顔を睨みつけられる。

「あんた……本当に平民?」 「はい……」 「にしては生意気な顔してるわね」

 リネアが指を鳴らすと、空中で待機していた水の球が、アイスピックみたいな形状に変化した。

「今日のことを忘れないよう、ほっぺをちょっと抉っておこうかな」 「――!」 「ふふ。今さらガタガタ震えたって遅いんだから」

 いじめっ子特有の嗜虐的な笑みを浮かべたリネアが、私に指を向けた。  淡い光を反射する水の針が、一直線に向かって――

「『精霊に命ず。盾となりて迫る愚者を焼き払え』」

 誰かの呪文が唱えられると同時、目の前に炎が現れた。  じゅう、と焼ける音がして、アイスピック状の水が蒸発していく。

「――いつまで経っても来ないと思ったら。何してるの」

 部屋の入り口に、いつの間にか人が立っていた。  赤く、燃えるような髪を腰まで伸ばしたロングヘアの女の子。  見間違えるはずがない。露店と、入学式で見たあの子だ。

「セラ……ッ!」 「お姉様を付けなさい」

 ギリ……と、セラを睨むリネア。  まるで親の仇でも見てるみたいな表情だ。

「……何か用ですか。私はいま、この世間知らずの教育に忙しいんですが?」

 お姉様、の部分だけ憎々しげで嫌みったらしい言い方をして、リネアは吐き捨てた。  ……ソフィーナとレイラはあんなにも仲良しだけど、この家の姉妹はかなり仲が悪いみたい。

「その子の教育は私の仕事よ」 「はぁ? ってことは」

 じろり、とリネアが私を睨んだ。

「あんた、お姉様の専属使用人なの?」 「えっと……はい」 「……ウッッッッザ。だったら先にそう言いなさいよ」

 リネアが手を叩くと、私を縛っていた水がじゅわっと音を立てて消えた。  自由の身になり、その場にへたり込む。

「私たちに迷惑がかからないよう、ちゃんと教育してくださいね。お姉様」

 リネアはもう私を見ていない。  助かった……のかな。

「何かあったらお母様に言いつけますから」

 セラとすれ違う際、リネアは去って行った。

「……言われるまでもないわ」

 入れ替わるようにして残ったセラが、じろり、と私を冷たく見下ろした。

 ……まだ、助かってないみたい。