最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#173 第二十話「フィンランディ家の面々3」


「ついて来なさい」

 セラに言われるまま彼女の後ろを歩く。

(痛い……)

 リネアに水球をぶつけられたところが、歩くたび、じんじんと痛みを訴えてくる。  その場にうずくまりたいけれど、そうなったら最後。  私は屋敷の外に叩き出されると思う。

 だから、お腹に力を入れて何でもない風を装った。

「入りなさい」 「失礼します」

 連れて来られたのは、広い部屋だ。  ベッドと勉強机、テーブルと椅子、本棚とドレッサー。  すべて大きいサイズだけれど、部屋が広いせいか、どれも小さく感じる。

 ――たぶん、ここがセラの私室なんだろう。  部屋のインテリアや家具の種類がソフィーナの部屋と似ている。  入ってきた扉とは別に、もう一つ別の扉があった。  あっちは衣装部屋に通じてるのかな。

 ソフィーナの部屋に衣装部屋はなかったから、どちらかと言うとソニアさんの部屋っぽい。

「……」

 セラは一言も喋らない。  ……痛いのを我慢するのでいっぱいいっぱいだったけど。

 また、手足を縛られて酷いことされるのかな。

 そんな考えが頭をよぎった瞬間、忘れていた怖さが足をぶるぶると震えさせた。

 セラは炎魔法の適性を持っている。  リネアみたいなことをされたら、手足もお腹も焦げて灰になりそう。

 それとも、ここで全身消し炭にされちゃうのかな。  ……あのときのレイラみたいに。

「あなたの名前は……ノーラ、だったかしら」 「は、はいっ」 「リネアに何をされたの」 「おっ……お腹に、魔法を、ぶつけられ……ました」

 痛みと怖さがぐるぐると渦を巻き、うまく口が動かない。  我慢して伸ばしていた姿勢が、徐々に前のめりになっていく。

「そう。とりあえず脱ぎなさい」 「はいっ………………え?」

 脱ぎなさい?  緊張のあまり、耳が機能しなくなったのかと思い、素っ頓狂な声で聞き返してしまった。

「二度も言わせないで。脱ぎなさい」

 かなり失礼な言い方だったけれど、セラは眉間にしわを寄せるだけでスルーしてくれた。  その上で、二度目の「脱げ」。  幻聴ではなかったみたいだけど……なんで?

「口を挟むようで申し訳ありません。なぜ、でしょうか」 「脱がないと魔法を当てられた部位を確認できないでしょう。そんなことも分からないの?」 「当てられた部位を確認して、何をなさるおつもりなのでしょう」 「……はぁ。あなた、そんなことも察せられないほど愚図なの?」

 呆れたように、セラは肩をすくめた。  ……手当てをしようとしてくれている。  順当に考えるならそうだけど、果たしてそれがこの家の中でも通用するのかな。

 考えても答えは出ない。  逆らったらもっと酷い目に遭う可能性だってある。  ……言われた通りにやるしかない。

「失礼しました。では」

 私は背中のファスナーを外し、メイド服を脱いだ。  メイド服は上下が一体になった、いわゆるワンピースみたいなタイプだ。  忙しく動いてもベルトが緩まないので便利だけど、お腹を見せるためには上から脱ぐ必要がある。

「やっぱり。痣になっているわね」

 露わになった私のお腹は、見事なまでに真っ青になっていた。  水球自体はそれほど硬くなかったけれど、あれだけ何回もぶつけられたらこうなるのも仕方ないか。

「よくこれで歩けたものだわ」 「!?」

 セラが、青くなった部分を、ぐい、と押す。  激痛が走り、私は思わずうずくま――ろうとしたところを、下から顎を掴まれる。

 リネアにされたみたいに、セラと至近距離で目が合う。

「粗相を働いたことに関してはそれで済ませてあげる。以後、気を付けなさい」

 リリィン――と、澄んだ音が響く。  何の音かと視線を横にずらすと、セラが空いた方の手でベルを左右に揺らしていた。

「お呼びでしょうか」

 十秒ほどで、部屋にライザさんがやって来た。

「彼女を手当てしなさい。このままじゃ使い物にならないわ」 「畏まりました」

 ライザさんは服を着るよう指示してから、私を部屋の外へと連れ出した。

 ▼

「なぜ、私の言いつけを守らなかったのですか」 「……すみません。つい」 「つい、ではありません」 「冷た!?」

 幅広の草をそのまま、ぺたりと患部に貼り付けるライザさん。  触れた瞬間の草の冷たさに、思わずぶるりと震えた。

「専属使用人は他の使用人より優遇されています。多少のことは見逃してもらえる可能性もあるでしょう。ですが、絶対ではありません」

 たとえ専属使用人であろうと、家人の機嫌を損ねればなる。

「約束しなさい。今後、誰がどんな目に遭っていても手は出さないと」 「……」

 ライザさんの言っていることは、この家で働く上では、きっと正しいんだと思う。  あれがもし日常茶飯事なんだとしたら身が持たない。

 私の目的から考えてもそうだ。  他のことにかまけてセラから信頼を得られなかったら、何のためにフィンランディ家に潜入したのか分からなくなる。

 それは頭では分かっている。  けれど、私は素直に「はい」とは言えなかった。

「ノーラ」

 黙りこくる私を見かねてか、ライザさんが腰を屈めて視線を合わせてくる。  眉がハの字になっていて、怒りと悲しさがぐにゅぐにゅと混ざっているような表情だった。

「お願いだから約束して」

 ライザさんは心から私を心配してくれている。  他人を見捨てることが正解だと分かりつつ、本当はいつも心を痛めていたんだろう。

 それに応えたい気持ちはある。  あるけれど……また同じ場面に遭遇したとき、動き出す体を止める自信はなかった。

「……最大限、善処します」 「あなた、なかなかに頑固ね」

 ふ――と、張り詰めたものが抜けたような笑みを浮かべるライザさん。  けれど次の瞬間には、キリッとした真面目な顔に戻っていた。

「分かりました。今はそれで結構です。……はい、終わりましたよ」 「ありがとうございます」

 草を挟んだガーゼみたいなものを張ってもらい、処置は完了した。  最初は冷たくて飛び上がったのに、今はひんやりして気持ちいい。  薬草の成分が効いてるのかな。

「順番が前後してしまいましたが、屋敷の案内を再開します。その後、セラ様に改めてご挨拶なさい」 「はい!」

 ▼

 中断していた屋敷の案内を済ませ、再びセラの私室に入る。

「本日より配属されましたノーラと申します。未熟ゆえご迷惑をおかけすることもありますが、何卒よろしくお願いいたします」 「迷惑ならもうかけられたわ」

 皮肉を返しながら、セラは鼻を鳴らした。

「ひとまずこれを付けなさい」 「? これは……?」

 渡されたのは、少しくすんだ色の白粉おしろいと、眉墨まゆずみだ。  前世風に言えばファンデーションとアイブロウだけど……どうしてこんなものを?

 不思議に思ったのが顔に出ていたみたいで、セラがまたため息を吐く。

「平民のあなたは見たこともないのね。それは肌の色と眉を描くために使うものよ」

 知ってます。  前世では必需品だったし、今世でもソフィーナに使わせてもらったことがある。  ――とは言えないので、とりあえず口を閉じて次の説明を待った。

「本来なら顔を良く見せるためのものだけど――あなたは逆に使いなさい」

 逆。  つまり、顔を悪く見せるために使え、ということらしい。

「理由をお伺いしても宜しいでしょうか」 「あなた、リネアに顔を傷つけられそうになったでしょう」

 ――今日のことを忘れないよう、ほっぺをちょっとえぐっておこうかな。

 あの時、リネアにそう宣言されたけど……それと顔を悪く見せることが、どう関係してるんだろ。

「リネアが顔を傷つけるのは、自分より優れた容姿を持つ者だけ」 「それって、つまり……」 「あなた、リネアに嫉妬されたのよ。そのままにしていると、いつか因縁付けられて顔に消えない傷痕を刻まれるわよ」

 自分より可愛い子をいじめる人は前世にもいたけれど、リネアはそのパワーアップ版らしい。

「今後、化粧で自分を醜く見せること。いい?」 「承知しました」 「結構。今日はもう下がりなさい」

 化粧セットだけ渡して、セラは私たちに背中を向けた。  置いてあった本を開き、そこに視線を落とす。

「セラ様。宜しいのですか?」

 まだ仕事を終えていい時間帯じゃない。  ライザさんがやや戸惑いながら声をかける。

「そんな察しの悪い使用人、居ても邪魔なだけだわ」

 それで話は終わりだと言わんばかりに、セラは何も言わなくなった。

「……畏まりました。ノーラ、来なさい」 「はい」

 部屋を出る直前、私はセラの背中に向かって頭を下げた。

「セラ様。ありがとうございます」

 フィンランディ家の人間はみんな恐ろしい。  セラも厳しい態度だったけれど、彼女だけはどことなく優しさを含んでいた。

 魔法で庇ってくれたし、怪我の手当を手配してくれたし、化粧セットもくれた。  これは想像だけど、下がれって言ったのも、私の体調を心配してくれたから……な気がする。

 前のループ、露店で会ったときもそうだ。  喧嘩腰だったけれど、元を辿れば声をかけてきた理由は気分が悪いかを確認するため。

 この人、言葉がトゲトゲしいから勘違いしそうになるけれど、本当はいい人なんじゃないかな……?

「……どうして礼を言われるのか理解できないわ」

 ページをめくる音と共に、はぁ――と、大きなため息が聞こえてきた。

「さっさと出て行きなさい」 「はい。失礼いたします」

 ▼

「今日はここまでにしましょう。部屋で手順書を読んでおくように」 「分かりました」

 使用人詰め所へと移動中、新たな人物と遭遇する。

「! ノーラ。端に避けて頭を下げなさい」

 脇に退くライザさん。  それに習い、私もさっと端に避けた。  廊下の奥から執事を伴ってやって来たのは、青白い肌をした美青年。

 ソフィーナから聞いた中で、その特徴に合致する人物が一人いた。  フィンランディ家長男、セヴェリウス。

(この人……怖い!)

 ただ前からやって来ただけなのに、寒気が止まらない。  叫び声を上げて、いますぐここから逃げ出したい――そんな衝動を、必死で抑えつける。

 後頭部に視線を感じ、一瞬だけ顔を上げる。  セヴェリウスが連れている執事と目が合った。

 どうしてか分からないけれど、セヴェリウスとはまた別の寒気を感じた。  慌てて頭を下げ直し、そのまま二人が通り過ぎるのを待つ。

「ノーラ。もういいですよ」 「――っ。はい」

 ライザさんに声をかけられ、下げていた頭の位置を戻す。  体感では十分くらいに感じられたけど、実際には一分も経っていなかった。

「リネア様のときはたまたま痣で済みましたが、あの方はそうはいきませんよ」

 ライザさんの言葉は単なる脅し文句じゃないと、本能で理解した。  セヴェリウスは私のことも、ライザさんのことも、人間と認識していない。  廊下の途中途中に飾っている絵画や壺と同じ調度品……いや、靴とか掃除用具くらいにしか思っていない。  乱暴に扱ってもお構いなしで、壊れたらそれまで。

 目を合わせなくても、話をしていなくても。  気配だけでそうだと直感した。

 ソフィーナは別のルートで、セヴェリウスにしつこく求婚されたと言っていた。  あんな人に結婚を迫られたら……と、考えただけで震えが止まらない。

 ソフィーナが「やばい」と連呼していた理由、少し分かった気がする。