「ついて来なさい」
セラに言われるまま彼女の後ろを歩く。
(痛い……)
リネアに水球をぶつけられたところが、歩くたび、じんじんと痛みを訴えてくる。 その場にうずくまりたいけれど、そうなったら最後。 私は屋敷の外に叩き出されると思う。
だから、お腹に力を入れて何でもない風を装った。
「入りなさい」 「失礼します」
連れて来られたのは、広い部屋だ。 ベッドと勉強机、テーブルと椅子、本棚とドレッサー。 すべて大きいサイズだけれど、部屋が広いせいか、どれも小さく感じる。
――たぶん、ここがセラの私室なんだろう。 部屋のインテリアや家具の種類がソフィーナの部屋と似ている。 入ってきた扉とは別に、もう一つ別の扉があった。 あっちは衣装部屋に通じてるのかな。
ソフィーナの部屋に衣装部屋はなかったから、どちらかと言うとソニアさんの部屋っぽい。
「……」
セラは一言も喋らない。 ……痛いのを我慢するのでいっぱいいっぱいだったけど。
また、手足を縛られて酷いことされるのかな。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、忘れていた怖さが足をぶるぶると震えさせた。
セラは炎魔法の適性を持っている。 リネアみたいなことをされたら、手足もお腹も焦げて灰になりそう。
それとも、ここで全身消し炭にされちゃうのかな。 ……あのときのレイラみたいに。
「あなたの名前は……ノーラ、だったかしら」 「は、はいっ」 「リネアに何をされたの」 「おっ……お腹に、魔法を、ぶつけられ……ました」
痛みと怖さがぐるぐると渦を巻き、うまく口が動かない。 我慢して伸ばしていた姿勢が、徐々に前のめりになっていく。
「そう。とりあえず脱ぎなさい」 「はいっ………………え?」
脱ぎなさい? 緊張のあまり、耳が機能しなくなったのかと思い、素っ頓狂な声で聞き返してしまった。
「二度も言わせないで。脱ぎなさい」
かなり失礼な言い方だったけれど、セラは眉間にしわを寄せるだけでスルーしてくれた。 その上で、二度目の「脱げ」。 幻聴ではなかったみたいだけど……なんで?
「口を挟むようで申し訳ありません。なぜ、でしょうか」 「脱がないと魔法を当てられた部位を確認できないでしょう。そんなことも分からないの?」 「当てられた部位を確認して、何をなさるおつもりなのでしょう」 「……はぁ。あなた、そんなことも察せられないほど愚図なの?」
呆れたように、セラは肩をすくめた。 ……手当てをしようとしてくれている。 順当に考えるならそうだけど、果たしてそれがこの家の中でも通用するのかな。
考えても答えは出ない。 逆らったらもっと酷い目に遭う可能性だってある。 ……言われた通りにやるしかない。
「失礼しました。では」
私は背中のファスナーを外し、メイド服を脱いだ。 メイド服は上下が一体になった、いわゆるワンピースみたいなタイプだ。 忙しく動いてもベルトが緩まないので便利だけど、お腹を見せるためには上から脱ぐ必要がある。
「やっぱり。痣になっているわね」
露わになった私のお腹は、見事なまでに真っ青になっていた。 水球自体はそれほど硬くなかったけれど、あれだけ何回もぶつけられたらこうなるのも仕方ないか。
「よくこれで歩けたものだわ」 「!?」
セラが、青くなった部分を、ぐい、と押す。 激痛が走り、私は思わずうずくま――ろうとしたところを、下から顎を掴まれる。
リネアにされたみたいに、セラと至近距離で目が合う。
「粗相を働いたことに関してはそれで済ませてあげる。以後、気を付けなさい」
リリィン――と、澄んだ音が響く。 何の音かと視線を横にずらすと、セラが空いた方の手でベルを左右に揺らしていた。
「お呼びでしょうか」
十秒ほどで、部屋にライザさんがやって来た。
「彼女を手当てしなさい。このままじゃ使い物にならないわ」 「畏まりました」
ライザさんは服を着るよう指示してから、私を部屋の外へと連れ出した。
▼
「なぜ、私の言いつけを守らなかったのですか」 「……すみません。つい」 「つい、ではありません」 「冷た!?」
幅広の草をそのまま、ぺたりと患部に貼り付けるライザさん。 触れた瞬間の草の冷たさに、思わずぶるりと震えた。
「専属使用人は他の使用人より優遇されています。多少のことは見逃してもらえる可能性もあるでしょう。ですが、絶対ではありません」
たとえ専属使用人であろうと、家人の機嫌を損ねればこうなる。
「約束しなさい。今後、誰がどんな目に遭っていても手は出さないと」 「……」
ライザさんの言っていることは、この家で働く上では、きっと正しいんだと思う。 あれがもし日常茶飯事なんだとしたら身が持たない。
私の目的から考えてもそうだ。 他のことにかまけてセラから信頼を得られなかったら、何のためにフィンランディ家に潜入したのか分からなくなる。
それは頭では分かっている。 けれど、私は素直に「はい」とは言えなかった。
「ノーラ」
黙りこくる私を見かねてか、ライザさんが腰を屈めて視線を合わせてくる。 眉がハの字になっていて、怒りと悲しさがぐにゅぐにゅと混ざっているような表情だった。
「お願いだから約束して」
ライザさんは心から私を心配してくれている。 他人を見捨てることが正解だと分かりつつ、本当はいつも心を痛めていたんだろう。
それに応えたい気持ちはある。 あるけれど……また同じ場面に遭遇したとき、動き出す体を止める自信はなかった。
「……最大限、善処します」 「あなた、なかなかに頑固ね」
ふ――と、張り詰めたものが抜けたような笑みを浮かべるライザさん。 けれど次の瞬間には、キリッとした真面目な顔に戻っていた。
「分かりました。今はそれで結構です。……はい、終わりましたよ」 「ありがとうございます」
草を挟んだガーゼみたいなものを張ってもらい、処置は完了した。 最初は冷たくて飛び上がったのに、今はひんやりして気持ちいい。 薬草の成分が効いてるのかな。
「順番が前後してしまいましたが、屋敷の案内を再開します。その後、セラ様に改めてご挨拶なさい」 「はい!」
▼
中断していた屋敷の案内を済ませ、再びセラの私室に入る。
「本日より配属されましたノーラと申します。未熟ゆえご迷惑をおかけすることもありますが、何卒よろしくお願いいたします」 「迷惑ならもうかけられたわ」
皮肉を返しながら、セラは鼻を鳴らした。
「ひとまずこれを付けなさい」 「? これは……?」
渡されたのは、少しくすんだ色の白粉と、眉墨だ。 前世風に言えばファンデーションとアイブロウだけど……どうしてこんなものを?
不思議に思ったのが顔に出ていたみたいで、セラがまたため息を吐く。
「平民のあなたは見たこともないのね。それは肌の色と眉を描くために使うものよ」
知ってます。 前世では必需品だったし、今世でもソフィーナに使わせてもらったことがある。 ――とは言えないので、とりあえず口を閉じて次の説明を待った。
「本来なら顔を良く見せるためのものだけど――あなたは逆に使いなさい」
逆。 つまり、顔を悪く見せるために使え、ということらしい。
「理由をお伺いしても宜しいでしょうか」 「あなた、リネアに顔を傷つけられそうになったでしょう」
――今日のことを忘れないよう、ほっぺをちょっと抉っておこうかな。
あの時、リネアにそう宣言されたけど……それと顔を悪く見せることが、どう関係してるんだろ。
「リネアが顔を傷つけるのは、自分より優れた容姿を持つ者だけ」 「それって、つまり……」 「あなた、リネアに嫉妬されたのよ。そのままにしていると、いつか因縁付けられて顔に消えない傷痕を刻まれるわよ」
自分より可愛い子をいじめる人は前世にもいたけれど、リネアはそのパワーアップ版らしい。
「今後、化粧で自分を醜く見せること。いい?」 「承知しました」 「結構。今日はもう下がりなさい」
化粧セットだけ渡して、セラは私たちに背中を向けた。 置いてあった本を開き、そこに視線を落とす。
「セラ様。宜しいのですか?」
まだ仕事を終えていい時間帯じゃない。 ライザさんがやや戸惑いながら声をかける。
「そんな察しの悪い使用人、居ても邪魔なだけだわ」
それで話は終わりだと言わんばかりに、セラは何も言わなくなった。
「……畏まりました。ノーラ、来なさい」 「はい」
部屋を出る直前、私はセラの背中に向かって頭を下げた。
「セラ様。ありがとうございます」
フィンランディ家の人間はみんな恐ろしい。 セラも厳しい態度だったけれど、彼女だけはどことなく優しさを含んでいた。
魔法で庇ってくれたし、怪我の手当を手配してくれたし、化粧セットもくれた。 これは想像だけど、下がれって言ったのも、私の体調を心配してくれたから……な気がする。
前のループ、露店で会ったときもそうだ。 喧嘩腰だったけれど、元を辿れば声をかけてきた理由は気分が悪いかを確認するため。
この人、言葉がトゲトゲしいから勘違いしそうになるけれど、本当はいい人なんじゃないかな……?
「……どうして礼を言われるのか理解できないわ」
ページをめくる音と共に、はぁ――と、大きなため息が聞こえてきた。
「さっさと出て行きなさい」 「はい。失礼いたします」
▼
「今日はここまでにしましょう。部屋で手順書を読んでおくように」 「分かりました」
使用人詰め所へと移動中、新たな人物と遭遇する。
「! ノーラ。端に避けて頭を下げなさい」
脇に退くライザさん。 それに習い、私もさっと端に避けた。 廊下の奥から執事を伴ってやって来たのは、青白い肌をした美青年。
ソフィーナから聞いた中で、その特徴に合致する人物が一人いた。 フィンランディ家長男、セヴェリウス。
(この人……怖い!)
ただ前からやって来ただけなのに、寒気が止まらない。 叫び声を上げて、いますぐここから逃げ出したい――そんな衝動を、必死で抑えつける。
後頭部に視線を感じ、一瞬だけ顔を上げる。 セヴェリウスが連れている執事と目が合った。
どうしてか分からないけれど、セヴェリウスとはまた別の寒気を感じた。 慌てて頭を下げ直し、そのまま二人が通り過ぎるのを待つ。
「ノーラ。もういいですよ」 「――っ。はい」
ライザさんに声をかけられ、下げていた頭の位置を戻す。 体感では十分くらいに感じられたけど、実際には一分も経っていなかった。
「リネア様のときはたまたま痣で済みましたが、あの方はそうはいきませんよ」
ライザさんの言葉は単なる脅し文句じゃないと、本能で理解した。 セヴェリウスは私のことも、ライザさんのことも、人間と認識していない。 廊下の途中途中に飾っている絵画や壺と同じ調度品……いや、靴とか掃除用具くらいにしか思っていない。 乱暴に扱ってもお構いなしで、壊れたらそれまで。
目を合わせなくても、話をしていなくても。 気配だけでそうだと直感した。
ソフィーナは別のルートで、セヴェリウスにしつこく求婚されたと言っていた。 あんな人に結婚を迫られたら……と、考えただけで震えが止まらない。
ソフィーナが「やばい」と連呼していた理由、少し分かった気がする。