「『聖なる乙女と純白の騎士』……」 「うん。書庫にあったりしないかな」
二回目のループをした私は、さっそく例の小説のことをソフィーナに聞いた。 イグマリート家の書庫にあれば話は早い。
けれどソフィーナは、すぐに首を横に振った。
「……いや。見たことないな。教養書とかチェスの本ならたくさんあるんだが」 「そっかぁ」
書庫の本はソフィーナのお父さんであるレブロンさんが買ったものがほとんどだ。 当たり前だけど、レブロンさんの趣味の範囲外のものは置いていない。
「別に落ち込むことないだろ。本くらい買えばいいんだから」 「まあ、そうだけど」
ソフィーナは簡単に言うけど、この世界の本って高いんだよね……。 前世の感覚で表現すると、古本でも回転しないお寿司くらいの値段がする。 新品の本だとさらにその数倍だ。
ほんの一時の娯楽のためにそんなお金を出す余裕なんてない。 セラの言っていた通り、小説は庶民が手に入れられるものじゃない。
……けど、セラと仲良くなるきっかけになるなら必要な出費かな。
「家に戻っていい? お父さんにお金借りてくる」
席を立とうとする私を、ソフィーナががしっと掴む。
「なにを言ってる。私が出す」 「いやいや、それは悪いよ」 「悪いの意味が分からん」 「いやだって、本って高いから」 「お金の心配なんてするな」
どーん、と胸を叩くソフィーナ。
「これでも私は公爵令嬢なんだぞ。本の十冊や二十冊買うくらいは余裕だ」 「けど……もとは私のワガママで……あ痛たぁ!」
おでこに強い衝撃を受け、私はひっくり返った。 早くて見えなかったけど、ソフィーナがちょっと強めのデコピンを放ったみたい。
床を転がる私の頭上で、ソフィーナが仁王立ちする。
「遠慮するなって前に言っただろ。ループはもちろん、お金もだ」 「けど……」 「なら、こう考えてくれ。私からノーラへのプレゼントだ、とな」 「プレゼント……?」 「そう。普段からお菓子をもらってるから、そのお礼。これならいいだろ?」
そう言われると、あれだけあった抵抗感がスッと消えたような感覚があった。 それが表情に出ていたみたいで、ソフィーナがため息をつきながら手を差し伸べてきた。
「まったく面倒くさい奴だなお前は」 「ご、ごめん……」 「まあ、そういう面倒くさいところが――」
そっぽを向きながらソフィーナがもごもごと何かを口にした。 後半、聞こえなかったんだけど。
「なんて言ったの?」 「なんでもない。ほら、本屋に行くぞ」 「あ、待ってよ~」
話をスパッと切り上げ、ソフィーナは部屋を出た。 私も慌てて後を追う。
▼ ▼ ▼
しばらくの時間が過ぎた。 今の時間軸はセラの専属使用人になってしばらく経った午後。
この数日で、前回起きた出来事――イベント、って言っていいのかな――はすべて経過している。 リネアに攻撃されたり、セラにお茶やお菓子を褒めてもらったり。
今回は――さらに一歩、セラに近づく。 そのための準備はバッチリだ。
「美味しかったわ。下がりなさい」
いつものように本を開くセラ。 ――ソフィーナの家で何度も読んだ、あの本だ。
「セラ様。お伺いしても宜しいでしょうか」 「なに」 「もしかしてその本、『聖なる乙女と純白の騎士』ではありませんか?」 「――ッ。知ってるの?」
ばっ! という擬音が聞こえるくらいの早さで首を向けるセラ。
「はい。すごく素敵なお話ですよね」
『聖なる乙女と純白の騎士』のあらすじはこうだ。 聖なる乙女、サナ・クラリス。 癒やしの力を持つ名門の出身で、「聖なる乙女」と呼ばれていた。 けど、サナに嫉妬した妹のクラウディアによって濡れ衣を着せられ、聖なる乙女の立場を追われてしまう。 地位も名誉も信頼も全部失っちゃうんだけど、一人だけサナのことを信じてくれた人がいた。
それが護衛騎士のアルヴィス。 彼は何もかもを捨てて追放されたサナに寄り添い、身の潔白の証明を手伝ってくれる。 二人で一緒に旅をするうちお互いどんどん惹かれて……っていう、胸キュンなストーリーだ。
セラと話を合わせるため……と思って買ってもらった本だけど、普通にハマった。 まさかこの世界で追放ざまぁモノが読めるなんて思ってなかったから、それもあって夢中で読んでしまった。
ソフィーナは「姉妹仲が悪いとかありえない」って言ってあんまりお気に召さなかったみたいだけど……。
「聞きたいんだけど、どの章が好きなのかしら」 「全部……と言いたいところですけど、第五章でアルヴィスが実は初恋を拗らせたことが分かったところとか、第六章でライバルだったセリーヌが実はサナを心配していたところとか――」 「あなた話が分かるわね!」
ちょっとびっくりするくらいの大きな声で、セラ。
「そう――そうなのよ! 物語の根本はサナとアルヴィスの恋物語なんだけど、ライバルのセリーヌとサナの関係がすごくいいのよねッ!」 「分かります。第三章の時から伏線があって、もしかして……と思ってたらその通りでしたね。お互いがお互いを嫌ってるって勘違いが解消されて友達になったシーン、何度も読み返しました」 「こっちに来て。座りなさい」
セラはぶんぶんと手招きして、正面にある椅子を指さした。
「宜しいのですか?」 「当然よ。もっと話がしたいわ」
やったっ。 作戦は成功だ。 SNSもないこの世界だと、同じ作品を熱く語れる人を見つけるのはすごく難しい。 セラの変わり方はちょっとびっくりしたけど、それだけ作品を語れる人に飢えていたってことかな。
私は最初から話せる相手がいる前提で読んだけれど、もしいなかったらって考えると……。 ……前回、セラが落胆した理由がよく分かった。
▼
「セラ様。お食事の時間で――」
食事の時間を告げに来たライザさんが、扉を開けた瞬間硬直した。 その目は私をじっと見つめていた。
「え、なんでいるの?」みたいな表情だ。 いつもだったら部屋を出されている時間帯だから、びっくりするのも無理はないか。
「あら、もうそんな時間なのね」
ライザさんの表情に気付かず、セラがすっと立ち上がる。
「それじゃノーラ。また後で」 「はい。お話ありがとうございました」 「いいのいいの。私たちは『同士』なんだから」
「!?」
セラの視界の外で、ライザさんがすごく困惑している。 いつもクールな感じだったから、ちょっと面白い。
「そういえばノーラ。あなたはこの本をどこで?」
去り際、ふとセラからそんなことを聞かれる。
「友達にプレゼントしてもらいました」 「――そう。とてもいいご友人ね」 「はい。私の自慢の友達です」
薄く微笑み、セラは今度こそ部屋を出て行った。
「……」
心は完全に開けた……と、思う。 これでレイラのこととか聞けるようになった、かな……?