「それじゃソフィーナ、私は先に行くわね」
朝食を終えたお姉様が、ナプキンで口元を拭きながら席を立った。
「はい! また学園でお会いしましょう、お姉様」 「……無理に会いに来なくてもいいのよ? オズワルドは普通科だし、私の魔法科とは距離が――」 「何を言っているんですか! あんなの離れているうちに入りません」
私が力強く宣言すると、父と母がくすくすと微笑んだ。
「仲の良いことだ」 「私たちも負けてられませんわね、あなた」 「待てソニア。なぜ張り合おうとする」
どさくさに紛れて父に抱きつこうとする母。 父の手に阻まれ、口が「3」の形になっている。 その様子に私とお姉様は顔を見合わせ、彼らと同じように、ぷっと吹き出した。
――もはや日常と化した、仲睦まじいイグマリート家の、いつもの朝の風景だ。
▼ ▼ ▼
入学式のイベント『親善試合』をクリアしてから一年が経過した。 今の時間軸はお姉様が十四歳、私は十二歳だ。
ハモンズ王立学園は神々が用意した『遊び』のメイン舞台。 当然、イベントの数もそれに伴い増える。 たとえお姉様が魔法科を選択しようとそれは変わらない。
魔法使いたち特有の排他的な空気も相まり、厄介なイベントはこれまで以上に増えると考えていた。 それらに備えるため、入学してからしばらくはあの手この手で理由を付けて、ずっとお姉様の側で警戒を強めることもしていた。
――しかし、私が考えていたようなことにはならなかった。 死亡レベルのイベントはおろか、お姉様の精神を削るような小競り合いすらも起きていない。
それは、ひとえに彼女のおかげだ。
(おっと。噂をすれば……だな)
「レイラお嬢様。支度が調いました」 「ありがとうセラ。……でも、家の中では普通に呼んでって言ってるじゃない」 「あふっ。いえ、その……そろそろ口調を固定しておかないと、学園でも呼び捨てにしちゃいそうだから……」
脇腹をつんつんされ、可愛らしい声を上げているのはお姉様の専属使用人となったセラだ。 元はフィンランディ家の長女だったが、紆余曲折あって今はイグマリート家で使用人をしている。
お姉様が魔法科で平和に過ごせているのは、セラが大いに関係している。 勘当されたとはいえ、フィンランディの血筋を引いているのは事実。そして魔法使いは血筋と実力を重んじている。
セラの存在を無視できるはずがなかった。 お姉様に対するやっかみが無いわけではなかったが、セラが睨みを効かせることですべて無効化できている。
もし、セラがいなかったら。 たぶん、お姉様は魔法科にうまく馴染めなかっただろう。
セラさまさまだ。
「……ソフィーナ。たまに私を拝むのはなぜ?」 「縁起がいいからです」 「?」
……とはいえ、イベントそのものが消えたわけではない。 例えば、半年前の図書室の本棚が倒れた事件。 お姉様が探している本を先回りして用意していなければ、巻き込まれていた。
例えば、三か月前の食中毒事件。 管理不備により、カビの生えたパンが提供されてしまった。 ノーラが用意してくれたサンドイッチを食べようと提案しなければ、お姉様の口に入っていた。
例えば、先週の魔法暴発による窓ガラス破損事故。 お姉様に抱き着くテイで、勢い余って押し倒していなければ、無数の破片がお姉様に突き刺さっていた。
完全に油断はできない。 ただ、死亡イベントそのものは減少傾向にある。
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お姉様が家を出たとほぼ同時刻に、我が家に一台の馬車がやってきた。
「ソフィーナ! 行くぞ!」 「はい、オズワルドさま」
腕を組み、尊大な態度でふんぞり返るオズワルド。 私の婚約者は今日も絶好調のようだ。
「ん!」
ぶっきらぼうに手を差し伸べられる。 学園入学前に急いで仕込んだエスコートの所作だ。 ツッコみたいところは色々あるが、まあ、一応形になっているのでいいか。
オズワルドの手を握り、にこ、と微笑みを向ける。 私ももう十二歳だ。子供っぽい「にぱ」笑いは封印し、年相応の少女らしさを意識する。
「今日もよろしくお願いします」 「うむ! しっかり僕をサポートするんだぞ!」 「はーい」
私の入学は来年だが、在学生の婚約者ということで学園の出入りは既に許されている。 Aルートでは何かと理由を付けないと入れなかったので、この点はBルートのメリットと言える。
(順調だな)
両親の機嫌を気にして肩を縮こまらせる必要もなくなった。 セラという使用人兼、一番の友人も得た。 大好きな魔法を、何の制限もなく目一杯学べている。
死亡イベントは多少発生しているが、気付かれることなく潰せている。
長いループ人生の中で、本当に何もかもが上手くいっている。 お姉様の周辺を取り巻く環境としては最高の状態だ。
「とーーーーう!」
私が馬車の中に座るなり、待っていましたとばかりに膝に頭を乗せて寝転ぶオズワルド。 もはや恒例となってしまった膝枕だ。
「オズワルド様。お行儀が悪いですよ」 「誰も見ていないからいいだろ! それに、お前を迎えに来るためにいつも早起きしているんだぞ! 少しは僕を労われ!」 「もう。しょうがないですね♡」
こめかみに浮かぶ血管を、髪を整える真似をして隠す。
「僕は寝る! 学園についたら起こすように!」 「はーい」
オズワルドの口から寝息が漏れ始めたと同時。 灯りがふっと消えるように、私の顔から笑顔が消える。
(あとはコイツをどうにかしないとな)
一応、これでもオズワルドはマシになっている。 Aルートでは、二年生に上がる頃にはもう授業について行けなくなっていた。 しかし今は好成績を維持できている。
情緒の面もかなり落ち着いている。 癇癪はほとんど起こさなくなったし、ワガママといえば膝枕を要求されることくらい。 こちらの『お願い』も、それなりに聞いてくれるようになった。
お世辞でもなんでもなく、本当にマシになっている。
(けど、これじゃダメなんだ)
マシと評価しているのは、あくまで「Aルートの頃と比べれば」だ。 それでもかなりの成長ではあるのだが、私が求める像には遠く及ばない。 お姉様のイベントに役立たせるためには、人格をアンインストールしていた頃のオズワルドと同程度の有能さが必要だ。
「本当に……頼むぞ」
しっかりと寝入っていることを確認してから、私はぼそりとつぶやいた。
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これほど上々な日々を送っているにも関わらず、私の心には薄いもやがかかっていた。 そしてそれは日を増す毎に大きくなっていく。
もやの原因は「不安」。
すべてが順調であっても、この先にやってくるイベントを乗り越えられるかどうかは分からない。 何故なら、乗り越えたことがないから。
舞踏会。
学園編の詰みイベントその二は、すぐそこまでやって来ていた。
そしてその主役はお姉様ではなく――――オズワルドなのだ。