最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#47 第八話「奮発」


「……ぁ」

 咄嗟に言葉が出てこなかった。

 ヒロイン。  神々の寵愛を受けた、世界の中心人物。

「手紙じゃまどろっこしいから、直接来ちゃった」

 彼女――ヒロインは明るい声でそう告げた。  向日葵ひまわりを思わせるような笑顔は、男女問わず愛される魅力を含んでいる。  しかし私にとっては不気味以外の何物でもない。

 なぜ、わざわざ姿を現した?  隠れて手紙だけ送っておけば、発見にはもっと時間がかかったというのに。

 あえて姿を見せることで油断を誘い、私を亡き者にするつもりか?

 ヒロインの意図が分からず、私は混乱した。  彼女は私よりも長く、お姉様よりも短い髪を風になびかせながら、

「ここじゃ人目につくね。場所を変えよっか。外に出れる? それとも私が中に入る?」 「……少し待て」

 私は門番に「友人が会いに来てくれた」と嘘をつき、外へ出た。

「お待ちくださいソフィーナ様! いま護衛の者を呼んでまいりますので」 「だいじょーぶです。すぐに戻りますから。ご迷惑はおかけしません」

 真面目な門番を口八丁で説き伏せ、逃げるようにイグマリート家の門から遠ざかった。

「貴族って大変だね」 「……」

 他人事のようなヒロインをひと睨みする。  何故、こんなことになっているのだろうか。  始まりは数時間前に遡る。

 ▼

「体調問題なし……と」

 お姉様がオズワルドと婚約した翌日から一週間だけ、私は自分の体調に細心の注意を払う。  ここで熱を出すとお姉様が誘拐イベントに巻き込まれてしまうためだ。

 健康そのものであることを確認してから、朝の挨拶と朝食を済ませる。  お姉様は早速、花嫁修業を開始していた。

「頑張っていて偉いわね、レイラ」 「ありがとうございます、お母様」

 別のルートとは打って変わって、母はお姉様に優しい。  いくつもの人生を俯瞰してみるとその差は歴然だ。

 イグマリート家は四大公爵家に数えられているものの、その力は他と比べるべくもなく弱い。  父は領地経営がお世辞にも上手くないし、母だってそうだ。

 王族との繋がりを強くする娘を可愛がるのは当然と言えば当然だが……あまりに現金な態度に反吐が出る。  どうせ心の底や、お姉様のいないところではネチネチと嫌味を言う癖に。

「オズワルド殿下をしっかり支えるのよ」 「はい、お母様」

「……すみません。少しだけ庭を散歩してきます」 「かしこまりました。門の外には出ないでくださいね」 「はーい」

 母の猫撫で声に気分が悪くなった私は、メイドに断りを入れてから外の空気を吸いに家を出た。

 ▼

 なんとなしに庭と外を隔てる壁沿いを歩きながら、ふぅ、と息を吐く。

「やっぱりルートを戻したのは失敗だったかもしれないな」

 母の一挙手一投足が、お姉様にとって重圧になる。  父も母も庇護を与えてくれる味方であると同時に、遅効性の毒を吐く敵でもある。  排除できない――クソとはいえ親は親。お姉様が精神的に自立するまではいてもらわなければならない――という点では、ヒロインと同じくらい厄介かもしれない。

 とはいえ花嫁修業の過密スケジュールとヒロイン探しを並行するのも無理がある。  奇病の時のように『そうしなければ発生しないイベント』だとか、ある程度捜索範囲が絞れているでもない限りは今のルートの方が動きやすい。

 勉強や研究で結果を出さなければ、両親は私への関心を失う。  自由に動くには、今のルートが最適なのだ。

 お姉様と同じ年齢の女子を探し、素性を調べる。  まずは身分の近い貴族からスタートして、次に商人、平民と手を広げていく。  国内にめぼしい人物がいなければ隣国も対象だ。

 ヒロインが見つかるまで、お姉様の死亡フラグを取り除くこと以外は一切何もしない。  しばらくは人生を『捨て』続けることになる。  問題は国内にそれらしき人物がいなかった場合だ。  情勢などの諸事情により、調べるのが難しい国もある。

「……ま、百回以内に収まればいいか」

 そのくらいのやり直しで済めばまだいい方だ。  以前のルートでオズワルドを真人間にすべく試行した回数に比べれば、どうということはない。

 それどころか、しばらくオズワルドの子守からも解放されると考えれば、いいリフレッシュになるかもしれない。

 ――なんてことを考えながら正門の傍を通り過ぎようとしたその時。

「ねえ、ちょっと」

 不意に声をかけられ、私は声のした方に目を向けた。  格子状の門の向こう側に、一人の少女がいた。

 一般的に高位の人間は髪の色が明るく、それ以外は暗い色をしていると言われている。  あくまで一般論で、それを裏付ける学説はないが。  少女はやや暗い髪色をしていた。長さは背中の真ん中にかかるくらい。  私より長く、お姉様より短い。その中間くらいだ。  動きやすそうな麻の服を身に纏い、右手には糸を編んだ手提げ袋を持っている。  下町の人間然とした佇まい。どこからどう見ても平民の子供だが、顔を見て、私は目を見張った。

 ――綺麗。

 そうとしか形容できない顔立ちをしている。  大きく開いた目。輪郭のすっきりした鼻筋、健康的な肌と血色の良い頬、そして自信に満ちた表情。  少女は私より少し上くらいの年齢だろうか。

 今でこの美少女ぶりなら、成長すれば誰もを虜にできる美女となるだろう。

(ま、お姉様には劣るがな)

 しばし少女を観察してから、私はそう付け加えた。  ごく稀にだが、こうして下町の子供が門の前に来ることがある。  オズワルドが下町で目を輝かせていたように、下町の子供も貴族の生活に興味津々なのだ。

「すみませんが、ご用があるなら一度守衛さんを通してもらえますか?」 「他の人に言っても理解してもらえないもん」 「?」 「単刀直入に言うとね」

 少女は空いた左手で自分の胸に手を当て、宣言した。

「私がヒロインだよ」

 ▼

 ――そして話は冒頭に戻る。

「おい、どこまで行く気だ」 「もうすぐだから」

 ヒロインは複雑な道をすいすいと通っていく。  下町の地理は把握しているつもりだったが、それはあくまで普通の道だけ。  ここまでの裏道はさすがに分からない。

「そこ、水路の幅が広いから気を付けてね」 「……」

 先ほどから無防備な背中を晒し続けるヒロイン。  ――私の中で黒い衝動が駆け巡る。

 こいつさえ。  こいつさえいなければ……!

(――ッ、駄目だ!)

 痛みを無視して魔法を発動しようとして、冷静な自分が待ったをかける。  これは罠だ。

 わざと隙を晒して、自分が攻撃しないかを試している。  攻撃すれば最後、こいつはお姉様を今以上に過酷な運命に突き落そうとするだろう。

 ……けど。  言いなりになったところで、行く末は――。

 やがて私たちは、入り組んだ水路の中にやってきた。  橋の下のような構造になっていて、手を伸ばせば背の低い私でも天井に届いてしまう。  大人では窮屈で入れないような狭い空間で、子供ならではの『秘密基地』といったところか。  石造りの天井の上は路地になっていて、がやがやと人々の喧騒が聞こえてきた。

「ここ、私のお気に入りなの」 「目的は何だ」 「、気に入ってもらえなかったみたいだね」 「――ッ」

 プレゼント、という単語に反応し、私はヒロインと距離を取った。  警戒する私を他所に、彼女は続ける。

「私からのお願いはただひとつ。これ以上ループをしないこと」 「ループ?」 「毎回スタート地点に戻ってるでしょ?」 「……ああ」

 私がやり直し能力と呼んでいるものを、彼女はループと呼んでいるようだ。  たぶん、意味は同じなのだろう。

「それは……できない」

 ループしない、ということは今後起こるイベントの一切をミスなく突破し続ける必要がある、ということだ。  特に新しいルート構築中のいま、失敗の回数はしばらく増え続けるだろう。

 私は何でも一度で正解を当てられる主人公じゃない。  ループ能力なしでは、お姉様を救う活路は開けない。

「そう――それは残念」

 ヒロインは持っていた手提げ袋に手を入れた。

 ――次はもっと大きなものを持っていくわ。

 手紙の一文が脳裏を過ぎる。  お姉様を襲った前々回よりも、もっと強力な

「やめろ! こんな街中で――!」

 下町とイグマリート家はそう遠く離れていない。  万が一ここにやって来た魔物が、お姉様の元に行ってしまったら――!

 私の懇願など耳に入っていないのか、ヒロインはただ薄く笑うだけだった。

「今回はしたわ。絶対に気に入ってくれるはず」