最愛のお姉様が悪役令嬢だったので、神が定めた運命(シナリオ)に抗います

#48 第九話「ヒロインとの対話」


「待っ……!」

 私が止める間もなく、ヒロインがそれを出した。  僅かだが、甘い香りが鼻腔を刺激する。

 魔物を呼び寄せる類の道具は二種類ある。  音で呼び寄せるか、匂いで呼び寄せるか。  彼女が持ってきたものは後者のようだ。

 音より拡散しにくいものの、しばらくその場に残り続ける厄介なタイプだ。

(まずい、まずいぞ……)

 私はお姉様に降りかかる災厄への対抗手段をいくつも習得してきた。  しかし、魔物への対抗手段は魔法しかない。

 お姉様が魔物に襲われるイベントよりも、薄汚い貴族とのいざこざの方が遥かに数が多かったためだ。  そもそも魔物をけしかけてくる輩は他国の人間ばかりで、時期はお姉様が王妃になった後だ。  その頃の私は十全に魔法を使えるようになっており、来ると分かっている魔物程度なら簡単に追い払えた。

 ――しかし今はどうだ。  五歳の貧弱な身体では魔法の反動を受け止めきれない。  魔物にダメージを与えられるほどの威力となれば、重大な後遺症が残ることは確実だろう。  しかも来る魔物は一体とは限らない。

 切り札のやり直しも使えない。  戻ったところでヒロインはこの出来事を覚えているのだから。  私が従わないと分かったのなら、もう対話の機会など設けず魔物を仕向けてくるだろう。  戻って一日や二日では対処法も限られてくる。

 マズい、なんてレベルじゃない。  これまでにない袋小路――『詰み』だ。

(従うフリをして、時間を稼ぐしかない!)

 不幸中の幸いで、今はお姉様がオズワルドの婚約者になるルートになっている。  こちらのルートで起こるイベントはほぼ網羅している。  ヒロインの邪魔をしないよう立ち回りながら対処法を考えるしかない。

「わかったわ。あなたの言う通りにするから。だからそれを引っ込め――え?」

 改めてヒロインが出してきたモノを見て、私は言葉を失った。  甘そうな香りを漂わせる、丸い円形の物体。  まるでホールケーキのようだ。

 違う。  ようだ、ではなく……ケーキだ。

 私ほどではないが、ヒロインもきょとんとした表情を浮かべている。

「前のクッキーが気に入らないかと思って今度はチーズケーキを作ったんだけど……もしかして甘いものが苦手?」 「クッキー……?」

 前?  何の話だ?

「というか……魔物寄せは?」 「なにそれ?」

 大きな目をぱちくりとさせながら、ヒロインは首を傾げる。

「えっと……お姉様を殺そうとしたんじゃ」 「殺……!? いやいや、ありえないから!」

 ヒロインはぶんぶんと手を横に振って拒絶を示す。

「ファンタジー世界に転生しちゃったけど、心は日本人のままだから。暴力ダメ絶対!」

 ファンタジー世界?  転生?  ニホンジン?

「あなたは現地に適応しちゃった系? 男性向けファンタジーではそういうのが多いけど……TSしたとかじゃないよね? もしそうなら接し方を変えなきゃだから、事前に言っておいてほしいなー、なんて」

 現地?  男性向け?  TS?

 訳の分からない単語の濁流に呑まれ、私は頭を抱えた。

「……ひとつだけ確認させてくれ」 「うん?」 「お前は敵じゃないのか?」 「違うよ」

 私は微笑みを返すヒロインの目を、じっ、と見つめる。

「そんなに見つめられると照れるなぁ」

 ヒロインはあくまで能天気な雰囲気を崩さない。  ぺたんと腰を下ろし、隣に座るように促してくる。

「とりあえず座らない? 私たち、いろいろ誤解があるみたいだし」 「……そうだな」

 ヒロインの誘いを無視して、私は彼女の対面に座った。  さすがにまだ警戒は解けない。

「まずは私から。自己紹介と、どうして手紙を送ったのかを話すね」 「ああ」

 ▼

 ヒロインの名前はノーラ。  下町で治具じぐ屋を営む平民の娘で、年齢はお姉様と同じ七歳。  一見すると見てくれのいいただの少女だが、その中身は神々の世界――日本、というらしい――で暮らしていた住人だという。  日本で命を落とし、この世界に転生を果たしたらしい。

「これが異世界転生かーと思ってテンション上がってたのよ。最初はね」 「最初は?」 「うん。チート能力はないけど推しのヒーローに毎日癒されながら順調に日々を楽しんでたの。で、初めて十七歳になった頃だったかな。いきなり大地震が起きて――家の下敷きになったわ」

 十七歳になった頃。  知らない人間が聞けば意味不明な言い回しだが、私には分かる。

 まだ私が自分の不甲斐なさを棚に上げ、お姉様を嫌っていた頃。  初めてのループを経験した時だ。  奇しくも同じタイミングで、私たちは瓦礫に挟まれ死にかけていた。

「で、意識が遠のいたと思ったら、七歳に戻ってた。チート能力持ってんじゃん! ってまたテンション上がったわ――けど」

 そこでノーラは、口をへの字に曲げた。

「任意には発動できなかった、と」 「そう」

 予想通り、私とノーラはループを共有していた。  しかしその主導権を握っているのは、何故か私だ。

 私が戻れと言えばループは発動するが、ノーラが言ってもしない。  私が死ねばループが強制発動するが、ノーラが死んでもしない。

「知らない間にスタート地点に戻っちゃうの。推しといい感じになってもそれが無いことにされちゃって、もうワケわかんなくなって……けど推しの尊さでなんとか病まずにここまで来られたわ」 「……」

 お姉様の死。  作戦の失敗。  選択肢の選び間違い。  時折起こる不運。

 理由はどうあれ、私がループをするたび、彼女はその巻き添えを喰らっていた。  前兆も脈絡もなく七歳に引き戻される。

 私と同じ回数ループしていると言うのなら、その回数は……。

 あれ。  これって……私が悪い、のか?  じわり、と嫌な汗が出てきた。

「私がループを止めてほしい理由、分かってくれた?」 「……あぁ」

 ノーラを自分に置き換えると、彼女がそう言いたくなる気持ちは痛いほど理解できた。  お姉様が亡くなっても、すぐに戻れない。  選択肢を間違え、死亡イベントを発生させてしまっても指を咥えて見ているしかできない。  オズワルドの横暴に我慢の糸が切れてボコボコにしても、いつ戻れるのか分からない。

 ……気が狂ってもおかしくない。

「手紙にもっと細かく書けばよかったんだけど、うまくまとめられなくて……簡潔に伝わるようにしたんだけど、逆に誤解させちゃったね」

 ごめんなさい、とノーラは頭を下げた。

「……いや」

 謝るのはむしろ……私の方だ。

「そういえば、最初の手紙にクッキー付けたんだけど、届いてない?」 「食べ物は全部処分する決まりになっているんだ」

 父が勝手に決めたルールだから深い理由は知らない。  ただ、意味は分からなくても執事やメイドがそれを破ることはない。  ルールに従ってクッキーは処分され、手紙だけが私の元に来た……ということだ。

「残念。あれもおいしくできてたのに」

 ノーラはそう言って、手のひらの上に乗せていたチーズケーキを私の前に差し出した。

「今度はあなたの話を聞かせて。これ食べながら」 「……」 「やっぱり甘いもの苦手だった?」 「いや、食べる」

 ループを止めてほしいという願いも、お姉様に危害を加える目的ではなかった。  私が一人で勘違いして、一人で空回りしていただけだ。

 改めて、ヒロイン――ノーラに対し罪悪感がこみ上げてくる。  私はお姉様以外の人間はどうでもいいと思っていた。  どれだけ友情を育んでも、どれだけ信頼を積み上げてもそれを持ち越すことはできない。  ループすれば誰もがすべて忘れてしまう。

 だから他人に対する感情への配慮がどんどん疎かになっていた。  しかし、彼女は違う。  知らなかったとはいえ――何百、何千年というループに巻き込んでいた。  何度も試行錯誤した裏で、彼女は同じ人生をずっと歩んでいた。  私以上の袋小路をずっと彷徨っていた。  その犯人は……私だ。

 同じ場所を堂々巡りする人生に絶望し、精神が壊れてもおかしくない。  頭の中で想像していたヒロインのように私は憎まれ、敵視されて当然だ。  しかし彼女はあえて姿を現し、対話で解決しようとしてくれている。

 ……彼女なら。  信じて、いいんじゃないか。

「フォークは?」 「ないよ。手掴みでどうぞ」

 公爵令嬢としてはマナー違反もはなはだしいが、今だけはそれを忘れることにした。  私はノーラが差し出したチーズケーキを掴む。

 しっとりした感触と、甘い香りが鼻腔を満たす。  それを一口、口に運ぶ。

「――――――うっ!?」