口の中に広がる味に、私は顔を押さえてその場にうずくまった。
馬鹿な……。 馬鹿な…………!
「どどどどうしたの!? 口に合わなかった!?」
慌てて駆け寄り、背中をさするノーラ。 私はケーキをゆっくり咀嚼してから、一言。
「…………おいしい」 「リアクション派手すぎて草」
独特の言い回し――草ってなんだ?――をしつつ、ノーラは笑う。 しかし、決して大袈裟ではない。
公爵令嬢である私は、食に関してはずっと恵まれた環境にいた。 両親に冷遇されていた時代ですら「やせ細っていてはみっともない」と、ちゃんとしたものを食べさせてもらっていた。
今はもちろん、未来では王妃の妹として王宮に何度も招かれている。 平民では手が届かない国外の甘味を食べたことだってある。 当然のように舌は肥えていて、多少の美味しい物では全く動じない。
そんな私の舌が驚いてしまうくらい、ノーラのチーズケーキは美味だった。
「これ、本当にあなたが……?」 「もちろん」
私は続けて二口、三口とチーズケーキを口にする。
しっとりとした食感。 ほどよい焼き加減。 濃縮された甘み。
実家の料理人ですら、ここまでのものは作れない。
「おいしすぎる……何を入れればこんな味になるんだ」 「卵、グラニュー糖、クリームチーズ、薄力粉、ミルク、レモン汁。全部普通のやつだよ」
貴族は料理をしない。 それは使用人の仕事であり、貴族がすべきことではないからだ。 紅茶と珈琲だけは例外で、家族や伴侶となる人物に親愛の証として淹れることはあるが、それだけだ。
料理の知識が皆無の私に『普通の材料』と言われても、それが本当に普通なのかは分からなかった。 後で実家のシェフに聞いてみよう。
私の反応に気を良くしたのか、ふふん、とノーラは得意げに胸を張った。
「前世はY〇utubeでいろんな動画を見るのが趣味だったの。あんまりSNS映えするデコとかはできないけど、基本的なお菓子はだいたい作れるよ」
ユ……? 動画? えすえぬえす? でこ?
さっきの『草』の意味も正直よく分かっていない。 まるで異国の人間と話をしているようだ(実際、そうなのだが)
「あなたと話していると、知らない単語がどんどん増えていくな」 「ノーラでいいよ。レイラの妹ちゃん」 「ソフィーナだ」 「ソフィーナ、ソフィーナ……」
咀嚼するように、ノーラは私の名前を繰り返した。
「……私の知っている登場人物の中にはいない子だね」 「そうだろうな」
製作者の言葉を借りるなら、私はモブだ。 何の役割も与えられなかった、いてもいなくてもいい人間。
「その辺りも含めて聞かせてもらえるかな」
ノーラはさっきと同じ場所にすとんと腰を下ろし、逸れた話題を元に戻した。 私は残ったチーズケーキを食べ終えてから、彼女の対面に座る。
「少し長くなる」
▼
私は、これまでの経緯をすべて話した。
出来損ないだったこと。 自分のせいでお姉様を死なせてしまったこと。 ループし、お姉様の死を回避する機会を得たこと。 回避する度にお姉様が死んだこと。
そして、神々の世界に行ったこと。 床も、壁も、机も、椅子も、人さえも真っ白な世界。 そこはこの下位世界を創造した神々が住まう上位世界。
彼らこそ、世界の創造主。 万物の運命を司る彼らは、お姉様を死の運命に縛った。 お姉様はこれから先、どんな運命を進もうと必ず死ぬ。
事故、事件、天災、戦争。 あらゆる矛先がお姉様の喉元を掻き切ろうとしているのだ。
それに抗うため、私は神々の世界でループと選択肢の能力を得た。
……思えば、この能力は本来ノーラのものだったのかもしれない。 私は、彼女に与えられるはずだった力を奪ったのだろうか。
「――という訳だ」
包み隠さず、本当にすべてを話した。 ここまで明け透けに話したのは長いループの中で初めてだ。 自分なりに短くまとめたつもりだったが、気が付けば建物の影が大きく動いている。 時計は無いものの、太陽の位置が移動するほど時間が経っていることを示していた。
「気になってることを聞いてもいい?」 「ああ」 「つまりソフィーナちゃんは、転生者じゃないってこと?」 「生まれも育ちも下位世界だ」
ノーラのいた日本の一部では、輪廻転生が強く信仰されていたらしい。 死んだあとは望む下位世界に転生し埒外の力――チート、と呼ぶらしい――で好きに生きることができる、と。
彼女がそうだったので、私も同じ境遇だと思われていたようだ。
「巻き込んで申し訳ないとは思っている。けど、お姉様を救い出すまでループを止めるつもりはない」 「……終わる目途はあるの?」 「ない」
正直に答えた。 神が定めた運命は強力で、どこまでもお姉様を追いつめてくる。 十五年後に起こる西大陸との戦争を回避する手段を探しているが……そこを乗り越えたとしても、次にまたお姉様を殺す大きなイベントが起きないとも限らない。 既に数えきれないほどループを繰り返しているが、未だ道半ばなのだ。
「そっか」
神妙な表情で、ノーラが立ち上がる。 口を真一文字に引き締め、怒っているようにも見える。
怒るのは当然か。 ようやく見つけた迷路から脱出する手段を拒まれ、その上まだまだループすると宣言しているのだから。
嘘で誤魔化そう――という考えは浮かんでこなかった。 ループを共有している以上すぐにバレるし、何より……嘘をつきたくなかった。 迷惑をかけている以上、誠実でいるべきだろう。
「私には何をしてもいい。けど、お姉様には手を出さないでくれ。お願いだ」
私はノーラに懇願した。
「お金も、地位も、私ができる範囲のものは用意させてもらう。だから――!?」
いきなりノーラが私の両手を掴んだ。 少し痛いくらいの力強さで引っ張られ、彼女の整った顔がすぐ近くまで接近した。
視界いっぱいに映るノーラの顔は、赤らんでいた。 怒りによるもの――ではない。 まるで意中の異性を前にした時のように、その表情はだらしなく蕩けていた。 半開きになったノーラの唇が、言葉を紡ぐ。
「てぇてぇ」 「は?」 「推しであるお姉ちゃんのためにループを繰り返す妹……こんな美しい姉妹愛がある!? いえ、ないわ!」
鼻息を荒くしながら手を上下にぶんぶんと振るうノーラ。 なんだろう。怖い。
「前世でもここまでの人は見たことないわ! ソフィーナちゃん尊すぎてしんどい無理、死ぬ!」 「具合が悪いのか?」
幻覚系の毒キノコをうっかり食べてしまった時のような奇行に、思わず背中をさする。
「あ、ごめんごめん。つい尊みが爆発しちゃった」 「……」
言葉は分かるのに、意味が全く理解できない。 神の世界の言い回しはこうも難解なのか。
「ねぇソフィーナちゃん。提案なんだけど――」
ひとしきり騒いで落ち着いたノーラの言葉に被さるように、半透明の窓が出現した。
『ノーラを仲間にしますか?』 はい いいえ
▼
「あ、選択肢だ」 「見えるのか!?」
さすがヒロインと言うべきか、選択肢はノーラも見えるらしい。 『はい』を選べば、彼女を仲間にできる。
願ってもない話だ。 ノーラとならループを挟んでも話にズレが生じない。 一度きりの作戦ではなく、いくつものループを跨いだ前提の作戦だって組める。 私が持っていない神の世界の知識を持っていて、私の視点では見えない突破口も見いだせるかもしれない。 味方として、これ以上に頼もしい相手はいないと言える。
「いいのか?」
私はすぐに『はい』を選ばず、意思確認をした。 お姉様のことを思うなら答えは決まっているのだが……ノーラには不義理を働けない。
「もちろん。てか、ちょうど私も提案しようとしていたから」
反対側から『はい』の部分をちょいちょいと突つくノーラ。 どうやら、見ることはできても選ぶことはできないらしい。
「神の使徒なのに、神に反逆することになるんだぞ」 「確かに前世は日本人で、あなたの言葉を借りるならここは下位世界。けど、今の私はもうこの世界の住人だよ。神の使徒でもなんでもない、ただの平民」
とん、と自分の胸を叩く。
「私たちはいわば同志よ」 「同志?」 「そう。同じ熱量で推しを愛することができる同志!」
推し、の意味はちょっと分からないが。 彼女とは――彼女となら、本当の意味で仲間になれるかもしれない。
私は手を伸ばす。 半透明の窓を挟んで、両者の手のひらが重なった。
「これからよろしく。ノーラ」 「こちらこそ、ソフィーナちゃん」
選択肢を選ぶと、いつもはすぐ消えるはずの窓が、別の文字を映し出した。
『――ノーラを仲間にしました。セーブ能力を開放します』