人生を跨ぐとき、私はいつも奇妙な空間を通過する。 上下左右が分からなくなり、手を伸ばしても何も掴めず、足を突き出しても何も引っかからない白い空間。 まるで冷たい海を揺蕩っているようだ。
時折、訳の分からない文字が目の前を通過する。
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それが何を意味しているのかは分からない。 ただ一つ言えることは。
――私はまた、失敗したということだ。
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「ソフィーナ。どうしたの?」 「何がですか? おねーさま」
いつものように五歳から再スタートを切り、いつものように日々を消化していると、お姉様が心配そうにこちらを覗き込む。
「ここのところ、ずっと元気がないように見えるのだけれど……何かあった?」 「……」
人生をやり直していれば、表面上の取り繕いは嫌でも上手になる。 しかしやはり、初めてのイベントに遭遇した直後はそれが崩れる時もある。 とはいえ、急激に下手になるという訳ではない。 実際、父と母は難なく騙せているのだから。 崩れる、と言ってもほんの僅かな違いでしかないはずだ。
お姉様はその『僅かな違い』を見抜いてくる。 その優しい心根に、思わず涙が出そうになった。
――こんなにも優しい姉を、お前はまた殺した
「……っ」
心の中のもう一人の自分が、私をちくちくと責め立てる。
――『ループ』と『選択肢』。神に匹敵する力を持ちながら、どうして最愛の姉一人を救うことができない?
――いくら表面を取り繕おうと変わらない。
――お前はあの時と変わらない『出来損ない』のままだ。
「……ッ」 「ソフィーナ?」
お姉様をそっと抱きしめる。 お姉様は困惑しながらも、しっかりと抱きしめ返してくれた。
「……実は、ひとり部屋がまだ怖くて」 「そうだったのね。じゃあ今日は私の部屋で一緒に寝る?」
優しく提案してくれるお姉様。 私は小さく首を振り、それをやんわりと断る。
「だいじょーぶです。今日はメイドさんに一緒にいてもらうようにおねがいしたので」 「そうなの。それは残念」
ふふっと笑い、お姉様は私から離れた。
「それじゃ、今度怖くなったら私と一緒に寝ましょう?」 「はい。ありがとうございます」
お姉様のぬくもりに触れた瞬間、あれだけ私を責め立てていたもう一人の私が一瞬で黙りこくる。 おかげで冷静さを取り戻せた。
お姉様を救うと言いつつ、いつだって私は助けられてばかりだ。
「それじゃ、おやすみなさい」 「おやすみなさい、おねーさま」
▼
しばらくの時間を経て、ノーラといつもの橋の下で合流する。
「ソフィーナ!」 「ぐぇ」
ノーラは私を見るなり、体当たりをするほどの勢いで飛びついてきた。
「よかったぁ。無事……じゃないけど、無事だったんだね」 「殺される寸前でループを発動できた。ノーラのおかげだ」
先に死んでしまったノーラは、私が殺されたことを知らない。 なので、あえてそのことは伏せておいた。
「あの人……スイレンさんのイベントは今回が初めて?」 「ああ」
お姉様がこれほど早く魔法を学んだのは今回のルートからだ。 当然、スイレンと関わったのも今回が初めてとなる。 まさかあんな危険人物だったとは……。
「そっかぁ。けど、回避するのは簡単だね。関わらなければいいんだから」
明るく手を握るノーラ。 その手は……小さく、震えていた。
ノーラのいた神の世界では、人々は平和に暮らしているという。 ゼロとまでは言わないが、少なくとも全うに生きていれば小さな喧嘩ですらほとんど見る機会はない、と。
この世界に転生して、少しは暴力沙汰に耐性がついた……と本人は言っていたが、それでも笑いながら人を殺すような人間には出会ったことがないはず。 今も恐怖が残っていて当然だ。
あの時。 スイレンの殺意は私に向いていた。 その余波だけでも、ノーラは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなったはず。
しかし、ノーラは動いた。 筆舌に尽くしがたい恐怖で硬直する身体を無理やり動かしてでも、 経験したことのない痛みを味わうことになってでも、
私を……助けようとしてくれた。 なのに私は、ノーラを疑った。 悪役令嬢の敵だから、ヒロインだから――というだけで、ノーラを疑ってしまった。 今のままでは、胸を張って協力してもらうなんておこがましいことはできない。 私には罰が必要だ。
「家庭教師の人を別にしたら回避できるかな? ああでも、人があんまりいないんだったっけ。じゃあ適任者を探すところからだね。知り合いに水の魔法使いはいないから、私は今回あんまりお役に立てないかも……」
回避策を考えつつ座り込むノーラ。 いつもの手提げ鞄の中には、ちゃっかりクッキーが用意されていた。
「作戦会議の前に、やって欲しいことがある」 「なーに?」
さくっ、とクッキーを頬張るノーラに、私は自分の頬を差し出した。
「私を殴ってくれ」 「え。ええぇ!?」